遂に弟子を持つ身分となったらしい。
朝7:35吉塚発に乗るために7:27前に吉塚駅に到着。
7:20には来ますよ、と高らかに宣言していた、後輩の島Dくんがいない。やれやれ。
沖縄人は時間ギリギリにしか来ないという前日の酒の話題を具現化するつもりか。
来ないなら、どこに行こうかと思案する。
これだから、単独行の方が気楽である。
もう駄目だなと諦めかけた時に、やっとやって来た。慌てて切符を購入し、
ダッシュでホームまで距離のある吉塚駅を走る。なんとかセーフ。
こちらも若干キレ気味で、空気は悪い。
博多駅で乗り換え、二日市駅で下車。
今日の予定は、この後、西鉄二日市から西鉄太宰府と電車に乗り、
コミュニティバスで一気に竃門神社へ。そこから、三郡縦走で若杉山に行き、
篠栗駅に出て、吉塚に戻るというもの。
JR二日市駅のコンビニでおにぎりを3つ購入し、
島Dくんは、お茶もあった方が良いと云う、小生の意見を無視したようで、
スポーツドリンクしか買わなかった。
なんの障害もなく、竃門神社に到着。
とりあえず、1人でも良いから、難なく若杉山に着くことを祈願する。
竃門神社裏から、九州自然歩道でもある、辛い階段道を登る。
昨日から今朝までの雨のせいで若干ぬかるんでいる。
島Dくんは、強がっているらしく、初めこそ、良いスピードで登っていたが、
うちなんちゅ故に400m以上の山に登ったことがない経験が示す通りに、
早くも水場の休憩を前後にバテたようだ。まあ、調教する人間としても、
ガツンと初めに1発くらわすのに好都合である。もちろん予定通りである。
平気で頂上まで行かれては、こちらの指導の意味がない。
とにかく、精神的に励まさねば、登っていけない。多少騙しても良いだろう。
「もうちょい」を連発する。途中、おっさんに抜かれ、悔しかった。
8合目辺りまで来れば、かなり楽になり、なんとか山頂に辿り着く。
早朝に比べれば、だいぶ雲も消えはしたが、
ちょうど宝満山にかけて上昇気流が発生して雲ができ、
余り視界がよろしくない。
太宰府で購入した梅枝餅とおにぎりを食し、仏頂山へ。
大した距離もないので、楽々と到着。すぐに、縦走路を三郡山へと。
今年の1月以来だが、
雪景色でなければ、なんの変哲もない、
歩き易い九州自然歩道だ。頭巾山に寄り道。
赤い実を島Dくんと食べてみるものの、余りの苦さにすぐに吐き出す。
元の九州自然歩道に戻り、しばらく行った水場に下る。
こんな音が聞こえたのは初めて。結構、冷たくて、そのせいか、
その後、腹が一時的に緩み、一番辛かった。
水場に寄ったのは、
島Dくんは持参のスポーツドリンク2lの半分を水で割るがため。
よく1lも希で飲めたものだ。
ほどなくレーダーが鎮座する三郡山頂上へ。
フェンス裏を通る正規ルートで。
山頂で会った人に宝満山はどこか聞かれたので、少し講釈。
以前にも同じことをした記憶がある。
基本的に三郡山から宝満山は見えない。
おにぎり1つを食す程の少々休憩の後、縦走路を北へ。
うんざりする縦走路で、島Dくんは少しずつ疲労して来たようだ。
ちょっとした登りで手を膝に付けて登り出した。
再び、「あと、ちょっと」の大安売り。
なんとか、前砥石に到着。砥石山もほんのちょいだったが、
これまでの平坦な道に比べると、多少up-downがきついために、
しんどそう。
展望の効かない砥石山で少々休み、鬼岩谷へ。
鬼岩谷での島Dくんの一言「お茶の方が良かった」を無視する。
全て自己責任である。本当にヤバくなれば助けるが、
余裕のあるうちは甘やかしてはいけない。
ショウケ越を経て、若杉山まで、なだめすかして行かせないと。
それぞれの頂上で島Dくんを撮影までする、もてなし振りであったが、
その達成感の笑顔に、次第に疲労感が漂い出した。
こちらは、いつもより遅いペースだったが、そのせいか、
腹が減って仕方なかった。
ショウケ越までの下り道は、さ程きつくなかったようで、比較的楽に行った。
問題は最後の登りだ。あの若杉山の頂上は知らない方が良い。
まあ、最後の登りということもあって、なんとか最初の登りを克服。
台風のせいか道は荒れ気味。
なんとか最後の急登まで来た所で、
若杉山の頂上の全貌が明かになり、急にスピードダウン。
仕方なし。
さすがに、こたえたとのこと。縦走のゴールがあれじゃ確かにいただけない。
奥の院で無事に辿り着いたお礼を祈り、米ノ山に向かう。
アスファルトで下るのも味気ないので、良さげな土の道を下る。
が、ただでさえ泥で歩きにくいのに、追い討ちをかけるかのように
しばらく行った所から、木の杭と、それを埋めるべき穴が一定間隔で、
道に現れ、相当大変な思いをして、なんとか下り切った。
途中の太い杉の原生林に感激。
米ノ山への入口に入り、最後の急登へ。
ここで、師としての実力を顕示するために、
ちょいと本気を出し、一気に登り切る。
息を切らさないと登った気がしない。
ここも頂上は多少味気ない。三角点と共に撮影する。
今日はパラグライダーの人達はいなかった。
岳城に登るかと云うことで、アスファルトの道を楽園まで行くことにする。
楽園まで来たは良いが、岳城までの道がどこだったか忘れてしまい、
困ったところに、ちょうど大和の森の看板が。
是非見たい代物だったので、これはなだめすかしてでも行かねばなるまい。
彼は説得すれば、すぐに乗る人間なので操作し易い。
案の定上手く行った。1km余り登る。
さっきの感激がなんだったのかと云うくらいの、かなりの大木があり、
大和杉を目指す。目的地になかなか着かず、二人でごちゃごちゃ言っていたら、
目の前に鎮座する大木に絶句。正直、言葉にならない。
自分達のちっぽけさが恥ずかしくなる程の威圧感。
大和杉を言葉で尽くすことは間違っている。
しばらく大和杉の前で休んだ後、楽園に出て、キャンプ場から下る。
温泉でない、若杉の湯で一っ風呂浴び、日没しかかった空の下、
大和杉との遭遇の感慨そのままに、篠栗駅へと帰路をとる。
塚本、川島-千代反田-増川-アレックス、
有光-米田-ホベルト-宮崎、林-エジウソン。
例年よりも早い開催である。「天皇杯=寒い」が定着しているために、
違和感を覚えずにはいられない。
チャレンジャーとなる下位のチームとしては、以前よりは多少不利かもしれない。
というのも、例年なら、シーズンも終わった後の天皇杯は、緊張感もなく、
モティベーションも低い状態となっていて、外国人選手がいないケースは多々あり、
内容的にお寒いことがよくあるからだ。
リーグ戦に比べ、十分に告知されたないのか、観客席はお寒い状況。
バック中央のややアウェー側に陣を布いた天理大の応援(ご家族と部員か)
が目立っていた。
試合開始から天理大はDFラインを高い位置に置き、
引くことを選択せずに、攻撃的にコンパクトなサッカーを布いてきた。
特に右サイドからの攻撃に冴えを見せ、なかなか良い攻撃をしていた。
が、先制したのは福岡。エジウソンが個人技から強引に決めた。
当たりの強さなど、フィジカル面ではプロは数段も上だ。
さらにたたみかけるように、高いDFラインの裏をついたスルーパスの折り返しを、
宮崎がフリーで決め、2-0となり、やや天理大の運動量は落ちた。
今シーズン、得点のない2人が決められたのは大きかった。
が、福岡もこれで気が緩んだらしく、天理大の右サイドからの攻撃を、
誰がマークに行くことなく、簡単にクロスを上げられ、
斜め後ろからのクロスだったが、FWが見事に足で合わせ、1点返した。
これには天理大サポーターも大喜び。関西弁トークで調子に乗り出す。
福岡のサポーターは黙りこくってしまった。
キレのなかったFW林を前半ながらFW太田に代えた。
そんな悪い雰囲気の中、前半終了間際にPKを得、
これをアレックスが蹴り、見事に左ポストに当て、3点目ならなかった。
すごく空気の悪いハーフタイムを迎えた。
天理大サポーターは、行けるんちゃうか、という感じで景気良さげ。
が、後半になると天理大の運動量は一気に落ち、福岡は、
セットプレーからホベルトが公式戦初得点を奪取すると、
その直後にも、ホベルトの折り返しをアレックスが決め
(かなりオフサイドぽかった)、4-1と一気に突き放した。
天理大としてはキーマンだった右SBの怪我による退場が余りにも大き過ぎた。
天理大サポーターは時間とともに静かになっていった。
福岡はこれに容赦することを知らず、満足することなく、
高いDFラインの裏を突いていった。
太田が5点目を決めると、川島の右からのパスに松下がミドルを決め、6-1。
さらに太田が頭で決め、CKからホベルトがニアでヘッドで決め、8-1。
ロスタイムに入りかけたところで、田中がゴール前で粘った末に、
落ち着いて放った左足のシュートが決まり、9-1となり、終了した。
最後まで気を抜かず本気でプレーをしていたホベルトには驚いた。
監督に似て、真面目な人間なようだ。有光はゴールこそなかったが、
DFラインの裏を幾度も突破し、良い動きを見せた。
今日の9得点が、
リーグ戦での得点力不足を解消するきっかけとなることを祈ってやまない。
今回は、布教活動第2団。
テコでも登りそうになかった橋Mくんまで島Dくんの誘いに依り、
とりあえず同行することになった。
布教活動は、初期段階からヤマ場を迎えることになった。
このことは、基本的に目標物の外堀から埋めて行き、
最後に詰めるのが常套手段であるにも関わらず、
外堀も埋めないうちに、いきなり本丸を攻めることに直結する。
1面をクリアして次に進んだら、いきなり大ボス登場、てな具合である。
もちろん、ここをクリアすれば前途は開けるわけだ。
移動には、Mくんの車を借りて、島Dくんが運転となった。
残念ながら、Mくんは賢く同行することを厳然と拒んだ故の対処であった。
朝8:00に箱崎駅で待合わせをしたが、島Dくんが予想通りにオチを付けてくれた。
8時に集まったのは、小生と橋Mくんで、1分後に橋Mくんの携帯に連絡が入った。
2週連続の遅刻で、結局車の置かれてある方面へと行くことになった。やれやれ。
しばらく行った所で会い、駐車場へ。
直方への最短ルートである、犬鳴越で行く。
この道を知っているのは小生のみなので、ガイドする。
基本的に1本道なので楽勝だったが、
唯一、龍徳の辺りで右折すべき箇所を、地域ガイドに夢中になるあまり、
気付かずに直進し、やや時間をロスした。
直方市内で島Dくんが郵貯で金をおろした後、
スーパーとコンビニで水分と食料を買い込み、
内ヶ磯の鳥野神社前に駐車する。
装備を整え、出発。
今日の予定は、鳥野神社-雲取山-福智山-鷹取山-鳥野神社である。
最近出来た福智ダムの回避コースである階段を、先駆けを任せた島Dくんが、
自分の実力を顕示するためか、かなりのペースで登り、おかげで、
橋Mくんは息が上がり、本人曰く、これが後々まで引いたとか。
初心者1人と2回目1人の3人のパーティーだけに先が思いやられる。
雲取山へは、内ヶ磯から、すぐの所にある駐車場の裏からのコースは、
急斜面かつザラ斜面
という最悪な環境なので回避する。
ダムをしばらく行った所にある、
最近整備された道から登るのがベストと想像される。
道の良し悪しは分らない。
取り付きの位置は多少記憶にあり、そこから入る。
道は階段、立て札など、いろいろと整備されていて文句の付けようがない程。
初心者を連れて行くには、もってこいの道かもしれない。
ともかく、ゆっくりと高度を上げて行く。
途中から、2人ともへたばり出し、「もう少し」の大安売り。
やっとこさ、九州自然歩道からの道と合流し、頂上までは急斜面を上がり、
到着。この先が思いやられる。
山頂でおにぎりを1つ食し、九州自然歩道へと合流するために東上する。
台風のためか若干荒れてはいた。余り人と出くわさない、何故だ?
しばらく歩いて、合流。そのまま、九州自然歩道を南下。
昨日の雨のせいか、若干滑り易く、ナーヴァスになっているようだ。
こけることを恐れない方が良いと思うが。
つまり、大胆さと慎重さが必要。
豊前越を過ぎてから結構人に会いだした。
からす落としで休憩をとって、たぬき水へ。
急斜面が続き、足が痛くなって来たという橋Mくんのことを考慮し、
スピードを落とすように島Dくんを促す。
たぬき水は最近の多雨のせいか、水が豊富で音をたてて勢いよく流れ出している。
味は旨みは感じないものの、冷たくて良い。
頂上までは、ほんのちょいで後ろの雄大な景色を眺めながら、上がって行く。
西に広がる八丁のススキ原は予想通り黄金色に輝き、山頂からの景色は、
南の英彦山辺りが曇って見にくいものの、それ以外は、クリアに見渡せる。
ちゃんと関門大橋も見えるし、周防灘も。
おにぎりを1つ食し、ひととおり休憩した後、鷹取山へ下る。
さすがに橋Mくんは疲労の色が隠せない。隠してもないようだが。
ここから、上野(あがの)越までは、雨のせいでぬかるんでいて、
やたらと膝に負担がかかって辛い。晴れていた場合は、逆に、
石だらけで滑り易いのだが。
なんとか、上野越に着き、鷹取山まで行ってしまう。
ここも見晴しが良く、しかも"それ"の跡で、良い場所である。
休憩している間に、いろいろと探ってみた。ついでに小キジも撃つ。
鷹取山で、一緒になったおじさんと景色を眺めつつ、語り会う。
さて下るわけだが、賢明なリーダーなら、疲労している人間がいれば、
私心は捨てて、上野越まで戻り、内ヶ磯に下ったであろう。
が、残念。小生は賢明なリーダーとなりうる人間ではなかった。
秘かに楽しみにしていたのが、このマニアックな鷹取山-鳥野神社コース。
某雑誌にも自然林の多いことで掲載され、幾分か整備されたであろうと想像した。
おまけに過去に下った経験がある。
その時は尾根筋を左に曲がる箇所で、気付かずに直進し、15分程迷ったが。
ともかく、上野越から内ヶ磯に下った経験がないことをたてに、
このマニアックなコースに誘導することに成功。
道がはっきりしないことも考慮して、先頭を任せてもらうことにした。
正直、道に迷うことも考慮していたので。
下るとすぐに長い急斜面。痩せ我慢してロープを使わずに下っていたが、
足を滑らせ、約1m程斜面を道なりに滑落した。パンツが汚れただけで、
何も被害がなかったのが救い。もちろん、重心を低くしているから、
頭から滑ることはなかったと思うが。
たまに銃声らしき音が聞こえるが、慣れている小生はなんでもないのだが、
残りの2人は肝を冷したようだ。
さて、道の方は確かに自然林の中で且つ、"それ"の跡で、趣き深い。
多少台風のせいもあって荒れているのが、珠にキズではあるが、
人が頻繁に通れば、かなり良いコースではなかろうか。
途中、橋Mくんが転倒したらしく、少しキレ気味だったのには、
責められているようで内心辛かった。
尾根筋を下り、左方向に曲がる地点では、木々で直進を遮ってあった。
ついでに小枝を拾って、その上に重ねておいた。
さて、左折するわけだが、ここからの道が多少心配。
ちゃんと道があるのだろうか。
道幅は狭いものの、なんとか下って行けた。
だが、ここから鳥野神社までは玄人好みの道でお勧めは出来ない。
台風のせいか、やたらと倒木も目立つし、道も不明瞭な所もある。
とにかく、後ろの2人を動揺させないように、道を突き止め続けた。
道の悪さに体力的に疲労するよりも、そのことで精神的に疲れた。
こんな所で道を見失ったら、1人なら引き返せば良いが、
2人も引き連れていては到底、無理な話だろう。
まあ、そう云う心配事も杞憂に終わり、
なんとか鳥野神社に出て、かなりホッとした。
駐車場まではすぐなので、いざ乗り込み、いこいの村の温泉へ。
温泉は、ミネラル温泉だそうで、やたらヌルヌルして、温泉らしくて良かった。
露天風呂に漬かりすぎたようで若干ノボせた。恒例のヨーグルトを飲む。
車で直方に戻り、コンビニに寄って、軽く腹に入れ、
そのまま犬鳴を越えて、帰途に就いた。
3人の山での体力が余りにもバラバラで正直辛かった。
少なくとも最低レベルの人間に合わせた行動を採るべきだろうと思う。
それが出来ないなら、やはり単独行に限る気がする。
水谷、川島-千代反田-増川-アレックス、
山形-米田-ホベルト-宮崎、有光-エジウソン。
立ち上がりから、お互いに精度が悪く、思うような攻撃が出来ない。
そんな中、セットプレイからアレックスの蹴ったボールを、
ホベルトが右足で合わせ先制した。
実際、生で観ている時は、誰が何をして入ったのかよく分らない状況で、
ホベルトが喜んで、ゆりかごポーズをしていたことしか分らなかった。
とにかく流れが来てない状況下で先制できたのは大きかった。
エジウソンがボールをキープできれば、そこでタメができ、
後ろからのオーヴァーラップがあり、攻撃は拡大された。
その後、山形がフリーでシュートを放つシーンがあったが、
決定力に欠け、前半を終えた。
後半になっても、展開は変わらず、徐々に札幌に押され出す。
福岡ゴール前でポストの選手に2人引き付けられ、
その落としたボールがフリーになっていたFW堀井に渡り、
シュートを撃たれ、GK,DFともなんとか最後のところで凌いだ。
その後、有光が個人技のドリブルから2回PA内で倒され、2回目にやっと、PKを得た。
PKキッカーの山形は既に交代してしまった。
今日は誰だろうとざわついている中、黙々と米田がボールを拾い、セットした。
かなり集中しているようだ。
だったが、これを見事にバーの上にクリアするように蹴り出し、
逃げ切りに失敗した。終了間際にホベルトが足を攣り、どうにもならなくなった。
交代枠は使い切っただけに、前線に張らせて、なんとか最少得点差で逃げ切った。
吉塚乗車の新飯塚下車。
単独行の気ままさを満喫。飯塚オート開催?のせいか、
駅前のバス停にそれらしき人達がたむろ。
頴田町経由の明治坑行きに乗る。乗客は小生のみ。
時刻表の時間よりも早く出たのが気になった。
そのうち乗客は微増した。勢田橋で下車。
日射しがまだまだ強いので着帽し、南下。
しばらく行くと、目的地である鹿毛馬。
昨今の台風のせいか、崖崩れがあったらしく、
周回コースが閉ざされていたが、脇をくぐり抜け、進む。
多少蜘蛛の巣が多かったが、300度くらい回ったところで、
人に会った。地元の方かと思い、水門はどこか聞いてみたが、
彼も同士だったようだ。階段を降りて、周回コースを行くと水門跡。
だいぶ埋められたようで、残念。
そのまま進むと、再び崖崩れ箇所で、発掘中らしいので、現場を踏まぬように、
上に回避してコースに戻る。
1周して、勢田橋まで戻り、
小竹町にリベンジに行く。
3月以来なので記憶に新しい。
草場にあると云われる"それ"に早速取り掛かるが、
跡らしき所が荒れた小山を進めども見付からず、
蚊に剌されただけだった。
地元住民に聞いても、今はないようなことを言っておられた。
気をとり直して、予定通り筑紫野市にある宮地岳に登ろうと思うが、
どうしても、桂川-原田間の筑豊本線に乗りたいので、
便が少ない故に桂川で時間(1時間強くらい)を潰すことにした。
桂川下車は2002年3月以来。
駅からそこそこ近い、以前見損ねた王塚古墳でも見るかと行くと、
沿道に幟が立っていたりして、何かの祭らしい。
王塚古墳に着くや、祭の会場(古代の謎フェスティバル)だった。
人が多く、多少うんざりしたが、運良く、
春・秋2回の石室内部特別公開に当たり、無料で見ることが出来た。
高松塚古墳以来の装飾古墳だ。
古墳マニアでもなかったはずが、
何時のまにか興味を持ち出したのが我ながら末恐しい。
王塚装飾古墳館も観て、駅へ引き返す。
ここから、筑前山家(やまえ)までディーゼルカー。
情緒豊かなローカル線で、眠たいのを我慢して景色を眺める。
実に良い。冷水峠にかかると、傾斜のせいか、スピードがかなり落ち、
トロッコ列車のようなスピード。トンネルも結構長くなかなか外に出なかった。
筑前山家下車。
宿場跡を通り過ぎて、宮地岳にリベンジ。
某化繊メーカーの工場からの登山道を行くことにする。
最初こそ入口がはっきりしないが、すぐに林道に出て、
「宮地岳登山道」の札がある。あとは道なりに行けば良いだけ。
登ると、道沿いに石塁の連続が出現し、予想外の展開に心踊る。
西斜面の阿志岐の方に古代の"それ"の跡があり、それが目的で登っていたのに、
中世の"それ"の屋敷跡らしい臭いがあるとは。
頂上に登るにつれ、多少"それ"の感じがしないでもないが、
自信を持って、断定も出来ない。
頂上にいたっては、植林された味気ないエリアで、自信も揺らぐ。
ともかく、古代の"それ"を探すことにする。
祠から来た道を下らずに、阿志岐方面に下る。
初めて行く道だけに、ちゃんと道があるのか心配。
ともかく、赤テープがあり、台風のせいか荒れ気味だったが、
なんとか林道に出られ、一安心。
だが、目的物の古代の"それ"らしき所がない。
下って行くと、寺に出て、完全に民家の領域になり、断念することになった。
仕方なく天山(あまやま)まで歩き、
以前画質の悪かった"それ"を再訪することにした。
事を終え、天山のバス停でかなり待ち、二日市温泉に漬かって、帰宅。
朝比較的ゆっくりと出発。
晩飯を両親と天神で食す予定(18時待合わせ)なので、
今日は天神を起点とする。チャリで天神旧岩田屋の裏に駐車し、
西鉄二日市乗り換えで朝倉街道下車。雪隠に行ったせいで、
バスにぎりぎりで乗り込む。山家道下車。束の間だった。
山家道から某化繊メーカーの工場を目指す。
先週の"おさらい"だから比較的楽。
貯水池近傍で草刈りが行われていたようだ。
高度を上げて、石塁が出て来た所で、余裕を持って、撮影に勤しむ。
まだ午前中(10時代)というのが嬉しい。
湧き水を追って、道を右に反れて登って行くと、石塁はしばらく上まで続いていた。
おさらく屋敷跡だと思うが、いつ頃の時代だろうか。
室町後期か、はたまた江戸、明治くらいまで下るか。
ともかく山頂へ。味気ない山頂を下って、阿志岐方面へ下り、
反射板への道へ寄り道をする。
多少荒れ気味の道を赤テープ頼りに歩めば、
植林された、なだらかなピークに着く。"それ"の跡なのか、はっきりしない。
もう少し下って様子を見たが、道は荒れる一方で、赤テープも定かでなくなり、
引い返すことにした。
阿志岐への分岐に戻り、先週の道を下る。
今日の本命、古代の"それ"を見付けねばならぬ。
下り道よりも北側の尾根筋にあるようなので、分岐路を探して、
杣道のような細い道を行ってみるが、なんの収穫もなく引き返さざるをえない。
手掛りを見付ける方が確実であるから、
とりあえず、手元の地図にある、林道を探してみる。
ある程度下った所まで来て、
これ以外にもう分岐はないなと先週の下りで学んでいたので、
その林道らしき道に入ってみる。
昨今の台風で荒れているらしく倒木が生生しい。
妙な小道があるので行ってみるが違うのか。
林道へ戻り、さらに奥へ行き、辺りをつぶさに見ると、
ちょっと下った辺りに石塁を発見。「来たっ」。
早速、下って観察。そして、手元の地図でidentify。
きっちりと1対1対応しているから分り易い。1つ1つ丹念に見て行く。
最後の「M」「N」は行きにくかったが、経験が物を云って、確認し、
先週と同じように、だが満足感に充たされて、天山バス停へ。
砥上岳に登るために、バスで石櫃下車。本当は中牟田付近も散策したい所だったが、
時間と疲労度を考慮し、今回はパス。
石櫃から砥上神社に向けて北西にひたすら歩く。
住宅地を抜け、田んぼの中を通り、砥上神社へ。
ちゃんと看板もあって良い感じだ。
やたらと吠えまくっていた犬を後目に、
屋根の葺き替えをしている本殿の横を通って、登山道へと入って行く。
道路を横切って、しばらく行くと、自動二輪が頑張って登山道を登ろうとしていた。
だが、道に石が多く、多少泥濘るんでいたこともあって、かなり苦戦していた。
はっきり云って、邪魔なので、さっさと抜いて行った。
登山道における「歩道のあり方」にはきっちりとした法令はないが、
マナーは存在すると思う。果たして、二輪が走って良いものなのか。
彼らにしても、なかなか今の日本じゃ楽しむ場所がないのも分かるのだが。
途中、観音塚古墳へ寄り道。1km以上もあって、疲労がたまった。
古墳自体も傾斜のあるエリアで全体像が掴みにくい。
元来た道を引き返し、砥上岳へ。
道は非常に良い。しばらく行くと、今日唯一の遭遇者に会う。
一言挨拶を交わして、そのまま進む。この山は神功皇后にまつわるポイントが多い。
神功皇后の存在については、信用できるものではないが、
その時代から何かあったのだろう。
特に、みそぎのはる(漢字表記だと禊の原?)にかけては、フラットな地帯で、
古墳時代はもとより戦国時代にも活用されたかもしれない。
ともかく台風の影響で多少荒れているとは云え、かなり良い道である。
急斜面に対しては、直登、迂回の2コースに分岐するのが2回もある。
1時間程頑張れば、山頂。山頂は開けているので、天気が良ければ、
最高だったろうと推測されるが、霞がかってはっきりしなかった。
山頂でひとしきり休んだ後、一気に下る。
途中、渓流と合流する地点で行きに飲んだ水を再び飲む。
ここは、かなり美味いので、持ち帰ることにした。
水量が豊富でないので、少し汲みにくかった。
再び、一気に砥上神社まで下る。
石櫃まで再び同じ道を行く。
往路に気付かなかったコスモスが、秋の真っ只中であることを、
控えめに主張していた。
石櫃に着く頃には、かなり疲労しており、バスもしばらくして来た。
余裕を持って、二日市温泉に入り、天神に出られるなと思っていたのが、
朝倉街道の渋滞でJR二日市駅に着いたのが、17時10分くらいだった。
最低17:38の西鉄二日市発の特急に乗らねば、天神には18時前には着かない。
とりあえず、5分/kmくらいで温泉まで辿り着き、200円払い、速攻で脱衣して、
洗髪、洗体?して、2〜3分程湯ぶねに漬かり、着替え、外に出たのが、
17:25を過ぎていたか。恒例のヨーグルトもお預け。
二日市温泉から西鉄二日市駅まではJRよりも遠い。
しかも、JR二日市駅の北側の踏切は、1回ハマるとなかなか開かない。
せっかく温泉に入ったのに、またもや走って、3分前に西鉄二日市駅に到着。
電車に乗ってからは、汗ダラダラ。
ただ着替えるためだけに温泉に入ったようなもんだった。
朝、母親から鹿児島の祖父が心肺停止の連絡を受ける。 ある程度、覚悟はしていたが、前触れもなく、 それは訪ずれたので驚きはしたが、実感を伴わない。
妹と「つばめリレー号」新幹線「つばめ」で一路、鹿児島へ。
まさか、こんなに早く九州新幹線に乗るとは思わなかった
(日曜に九州新幹線について話していただけに)。
方向オンチな妹と博多駅の中央改札で待ち合わせるという博打が成功し、
滞りなく乗車。新八代に近付くにつれて、工事の進捗具合は高まる。
その地における新幹線の必要性と比例するのか。寝たり、読書したりして、
新八代到着。ホーム目の前の新幹線に乗り込む。
和をイメージした、木をベースとしている列車内は新鮮。
注文を付けるなら、「白いかもめ」の椅子の方が座り心地は良い。
トンネルからたまに外に出て、信じられないくらいの速さで鹿児島中央に到着。
「有明」で5時間くらいかけて西鹿児島を往復していた頃が懐しい。
本をじっくりと読む暇すらない。
しかも、「西鹿児島」から「鹿児島中央」に駅名まで替わってしまった。
「鹿児島」駅よりは頻度が高いとは云え、本当に中央なのか?
おまけに、どっかを模倣したような観覧車。10年後の姿を想像すると恐しい。
タクシーで葬儀場へ。
タクシーの運転手が信号待ちの時に携帯を見ていたのにツッコミを入れたかった。
葬儀場では親族の席に座る。すぐに葬儀場の進行役から、役回りについての解説。
1回練習をする。
式はえらく緊張して終えた。
ここから出棺までが、演技の必要がなく、緊張も解け、
祖父の逝去を実感した。
その後、カメラ役になったので、気持ちを改め、撮影へ。
谷山にある火葬場へ移動。
昨日の雨の後の今日の晴天故か、桜島がやたらと綺麗だった。
火葬場には元来良いイメージがなかったが、
この近代的な火葬場は悪くはなかった。
そのまま、草牟田の墓へ納骨し、挨拶をして、葬儀場に戻る。
すぐに初七日を行い、葬儀場の上で夕食を摂る。
葬儀場の人はやたら「ロバート」の1人に似ていた。
食後、すぐに父親と妹と鹿児島中央から帰途に就く。
爆睡。
水谷、川島-千代反田-増川-アレックス、
山形-米田-ホベルト-宮崎、有光-エジウソン。
立ち上がりは、ボールの回りが良く、15分過ぎに、
有光が前線でボールをフリーで持ち、DFがプレスを掛ける前に、右足を一蹴。
これが綺麗に弧を描き、サイドネットに突きささった。
先制点を上げると勝率はぐんと上がる。これで気が緩んだのか、
福岡のバランスが急に悪くなった。
相手がミスをして、せっかく奪ったボールも、
ゆっくりと自分達の流れにすることなく、
焦って単発的な攻撃を繰り返し、その都度、相手の攻撃を受ける形となった。
特にMF宮崎とDFアレックスの上がった後の、
スペースの大きな左サイドを頻繁にMF関に突破され、
最後の精度の悪さに救われた。
福岡のボランチのホベルトは、献身的に執拗に相手を追い、
相手の攻撃に掛ける時間を遅めていた。
後半開始から、攻守ともに調子の上がらなかった、
右SB川島に代えて宮本を入れた。
立ち上がりこそ、水戸のペースだったが、エジウソンを太田に代えてから、
次第に中盤のスペースを活かした福岡のペースになっていった。
水戸もCKから合わせたヘッドが、
かろうじてゴールライン手前で宮崎に跳ね返されたりと運も悪かった。
次第に水戸の運動量が落ち、トップに対するマークも甘くなり、
太田が決定的なチャンスを何回か得始めた。
そうするうちに、山形がDFラインと中盤の間のスペースに、
ドリブルで展開し、機を見て、放ったアウトにかけたシュートが、
相手GKも反応できずに、そのままゴール右隅に決まり、試合は決っした。
その後、札幌戦同様にホベルトの左足が攣り出し、前線に置かれた。
2点差で勝っていたから良かったものの、交代枠を考える必要もある気がする。
結果的には2-0と完勝のようだが、内容的には、
まだまだ不安定としか云いようがない。
下手をすれば追い付かれていてもおかしくなかっただろう。
ただ、自分達の時間帯にきっちりと点を取ったこと、
ならびにそれが先制点であったことは評価に値した。
チャリでひたすら旧3号線を南下。
25分くらい?で板付遺跡に到着。日曜の昼下がりだけあって、
のどかな空気が流れている。
自分自身の興味が弥生時代辺りまで拡大していることを実感した。
なにを今更?だろうが、弥生時代の遺物をこれ程熱心に見れるとは思わなかった。
環濠は、戦国時代の空堀となんら大差はない。
板付遺跡弥生館で、自身の社会的身分について、考えさせられた。
「大学院生」とは"大人"と"大学生"のどちらに所属するのか、甚だ難しい。
今回は、というか大半、"大学生"に分類されてしまう。
まあ、入場料が掛かる場合は、それはそれで助かるのだが。
だが、こちらとしても"大学生"なんかと一緒にされるのは、
素直に喜べないものである。ただ若いだけじゃないかと。
もちろん、"若い"という要素は非常に大きな要素ではあるのだけれど。
力士が出没した板付遺跡を後にし、春日市にある須玖岡本遺跡に向かう。
井尻駅を通り過ぎてほどなく着く。
奴国の丘歴史資料館でも「大学院生」とはなんぞやと考えさせられる。
まあ、quasi-staticであり、且つ、specialであることには違いないのだけれど。
ここも無料なのは有難い。しかも、いただいた資料は、なかなか良い代物だった。
野外にある墳丘墓を観て、中の展示を観る。
17時までOKだったはずが、16時半で閉められる。
(ひょっとして、熱中しすぎて時間間違いか)
予定が狂い、一番観たい所を慌てて観る羽目になった。残念。
日没の近い夕暮れの中、さらに南下し、「小水城」を大土居と天神山で2箇所見る。
途中、中学生の頃に、
春日市在住の友人宅を親藩的友人と訪問した際に降りたバス停を通り過ぎ、
自分の記憶力の良さを高く評価した。
「小水城」は、今では単なる小山で、すさまじい程の吸引力はない。
でも、そのうちネタには使えるかもしれない。
程なく日没なので、B.O.春日店で物色し、得る物のない後、北上する。
大橋まで出ると、那珂川町からの道(385号)と合流し、
最早、通い慣れた日赤通りを北上。B.O. 日赤前店で、
最近蒐集し始めた井上靖の絶版物を4冊購入。105円という廉価さは嬉しい。
井上靖の文章の美しさはマネできない。
漢字、漢文を多く知る人間にしか書けないだろう。
その後、B.O. 福岡博多口店に寄ってみたが、収穫なし。
しかしながら、度々、覗かねば、良書は収穫できないだろう。