10時間寝た。ここ2日分よりも多いことになる。
チャリの鍵が壊され、開かなくなる。 他の居住者もヤラれたらしい。 盗られなくて良かったと受け留めるべきなのだろう。
中央食堂前で体脂肪や肺活量の測定をしていたけん、
体脂肪だけやってみた。
16.*。
余りのショックで単精度すらない。
言い訳として、昼食直後であったことと、測定方法が春の身体測定と違って、
両手で測定するものであったこと(春は体重と同時に測定する両足による測定法)。
唯一自慢出来ていた13%が、こうも簡単に崩壊するとは。
運動不足と云うことか。もっとハードにやらねば。
水谷、川島-増川-加藤-アレックス、宮崎-篠田-米田-古賀、
林-ベンチーニョ。
1回戦を7-0で勝って来ているだけに博多の森本年ラストマッチに期待がもてる。
不安材料と云えば、CB。
千代反田が手術後で出られず、藏田も前の試合で怪我をして出られない。
今日はサテライトの2人が先発。
博多の森に着くや、マルヤス工業の応援団の多さには正直驚いた。
愛知県の代表だが、
こちらの支社の社員・家族を動員して赤いジャンパーを着ての応援で、
一方の福岡側は例年天皇杯は客足が悪く、
どちらのHOMEなのか、分りかねた。
試合もマルヤス工業は身長こそないが、ディフェンスが固かった。
福岡は開始とともに引いて来た相手にベンチーニョ、林がチャンスをはずし、
おまけに古賀、川島のクロスの精度が悪過ぎて、20分過ぎには閉塞した。
相手の深いタックルに福岡の選手達はとまどっていた。
さらに、パスワークがさっぱりで、徐々にマルヤス工業ペースになっていった。
が、マスヤス工業の攻撃は守り程洗練されておらず、
1回だけ危ういシーンが見られた以外は失点の匂いは感じなかった。
ともかく、前半はマルヤス工業がGKを中心となって守り抜き、
0-0で折り返すことになった。
何があるか分らないのが、トーナメントの怖さで、先制されると、波乱もありうる。
後半は、ロッカールームで監督の激が入ったのか、
福岡は元気付いた。
CKで古賀のキックにニアにつっ立っていた林が、頭で合わせ先制すると、
数分後にはベンチーニョのFKから増川が公式戦初ゴールとなる2点目を入れ、
試合は決まった。すると、
今迄堅固で福岡を悩ませたマルヤス工業のディフェンスの集中力が完全に切れ、
左からの古賀のクロスにゴール前にいたドフリーのベンチーニョに渡り、
思いっきりたたき込み3-0となった。
その後も攻めたが、追加点を奪う程に福岡の攻撃も洗練さがなく、
結局3-0で順調?に3回戦に駒を進めた。
次の相手は過去に勝利したことのない鹿島。
一泡吹かせてやりたいものである。
された、とある海外サイトに。主語はjpgファイル。
お忙がしい中、
某山D先生に"Webページ上でのモラル"という題目で質問をさせていただいたところ、
すぐに直リンクの弾き方を教授していただいた。.htaccessを用いる。
それにしても、大胆且つ失礼極まりない行為に憤然とした。
access解析万歳。
がリリースされたことを教えてもらう。 だが、混み合っているようだし、javaが必要なのか?
羽犬塚駅で合流予定で博多駅10:47に乗車。
博多駅の改札から1段上がった通路で梅枝餅を購入予定やったが、
今日は出店したおらず、買えんかった。ともかく、羽犬塚駅に着き、少々待って、
坂Mさん、土Tさんと合流。そのまま八女ICから入り、山川SAで師達を待つ。
しばらくして、師、牧Nさん、若頭が到着し、合流。
牧Nさんがこちらの坂M号に乗り込む。
宮原SAまで行き、熊本ラーメンという名の代物を食す(カーボローデイングの一環)。
次は霧島SAで昨年同様、
マンゴーソフトクリームを食す。
記憶の中の味より美味かった。酸味が良い。
観光情報案内所のお姉さんが昨年と同じ人だった。
昨年同様、土Tさんが積極的に声を掛けていた。
宮崎ICから降りると、もうコース上。往路7km、復路35kmのへん。
昨年のきつかった記憶が蘇える。手続きを行うためにスタート地点であり、
且つゴール地点でもある、県営陸上競技場へ。この距離が復路では本当にきつい。
16時過ぎには手続きを済ませ、時間的に余裕があり、青島神社へ。
廃虚がかったホテル群を右手に見ながら、砂洲を渡り、pseudo鬼の洗濯を見る。
おそらく岩石が層を成して出来た状態のままに横になっているのだろうと議論した。
日没が近付き寒くなった。
宮崎市内大淀川の北にあるウィークリーマンションが今日のホテルで、
見付けるのに少し時間を要した。殺伐としたものを感じざるをえなかった。
夕食は、うどんと牛丼。炭水化物を多めに摂らねば。
が、せっかく、宮崎まで来て、"もも焼き"を食わずに帰福するのは、
ちょっと考えられない。
ということで、有志で、秋の学会の時に1人で渡った後に行った、
やきとり屋らしき居酒屋に行く。
純粋に"もも焼き"だけを食べる。
時間も遅かったためか、人数分なかったのが残念。
おまけに断酒のためにビールもなし。早々に食べ終え、
もう1軒の店で持ち帰りすることに。
もう1軒は外観は歴史を感じさせる。
こういうケースは味がどっちか両極端のことが多い。
ホテルに戻り、少し冷えたのは残念だが、食ってみると、
炭がかって微妙な色をしているが、これが美味い。
是非とも店ですぐに食べたいくらい。最後の方はみんな食い飽きてしまった。
朝7:00に集合予定で、5:50に起床する。 寒さに慣れるために敢えて暖房も入れない。早めに食し飲む。 去年の跌を活かさねばならない。 走っている途中にトイレに行くのは時間のロスやけん避けたい。 7:10にホテルを出て、途中道に迷いつつも40分前くらいに総合運動公園着。 何人かがトイレに行ってしまい、その時間を利用して、軽くジョグる。 全員揃って陸上競技場に行こうとしたのは、もうスタート15分前だった。 この辺りの足並はいつも通りと云えばそう。 慌てて上を脱いでスタートラインへ。手袋はしないことにした。 すでに5分前くらいになっとって、ややそれた所にしか布陣出来んかった。 相変わらず、すごい人の数。 今日の目標は去年より記録を伸ばすことで、 サブスリーはあわよくば狙うことにした。 第一、去年より最後の1ヶ月は走り足りてないからスタミナ的に無理だろう。 たった160kmくらいだ。
してから、実際にスタートラインをまたぐまで、約1分30秒くらい要した。
まあ、シティマラソン福岡よりマシだ。
今回は公式時間で時計のストップウォッチを進める。
とりあえず、外側から人を除けつつ前の方前の方へと急いだ。
後ろは相互作用で走りにくい。昨年と違って、4〜5kmくらいで、
周りは人が多くなくなり、走り易くなった。
3km走ったくらいで、早くも軽いランナーズハイが来た。
余りにも早くてびっくりしたが、効果も1kmくらいしかなかった。
7kmの一ツ葉有料道路に入る前に水分補給し、やや飛ばして坂を上がり、
息がきつくなり後悔した。だが、ペースは予定より遅れ気味か。
10kmを45'20くらいだったか。9kmくらいから13kmくらいまで、
良いペースの人がおったけん、遅れずに付いて行く。
13kmを過ぎる手前くらいで向こうのペースが落ちたのか、
こっちが上がったのか、いつの間にかいなくなった。
クランクを行きながら、昨年お世話になった公衆便所を眺める。
徐々にペースを上げていたけん、どんどん人を抜いていける。
ハーフを90分(1'30)で行けるか、どうも微妙なところ。
少しずつサブスリーが頭によぎるようになった。
そのうち右側に太平洋が現われ爽快感を味わう。気温も上がって来た。
16,7kmで早くも腹が減り始めた。朝食のおにぎりを食べたのが6時前後で、
走る前にも師からいただいた大福とカステラを食べたがもたなかったのか。
ブドウ糖は後半のためにまだ使わず、水分補給の前、19kmくらいで初めて摂取。
折り返したランナーが来た。1位は断突の招待ランナーで、
3位4位あたりにいた、
招待選手である佐々選手がにこやかに行き交う人みんなに声を掛けていた。
その後、一般ランナーがぞくぞく来始めた。ハーフのランナーもかなりいた。
この後、調子良く走って、もうすぐ折り返しというところで師とすれ違った。
去年よりはだいぶ差は縮まったようだ。
折り返したら、昨年同様向かい風だった。さらに疲労感を感じた。
ハーフで1'31を越えたようだ。だが11kmを46分強と悪くはない。
サブスリーのためにもこのままペースを持続するしかない。
とりあえず、バナナを1本取り、皮をむいて、食べようとする。
が、これが難しい。呼吸と食べるタイミングがなかなか。
1〜2kmくらい手に持ったまま、モグモグ走った。
折り返しに向かうランナーに対する優越感はまさにバナナだった。
左手に太平洋を見ながらバナナを食べつつ走れる喜びを素直に感じた。
昨年の違ってランナーズハイは来ず、ペースを落とさないように気を付けた。
いつの間にか、頭は常にサブスリーペースとの誤差を計算していた。
つまり4分/kmで行けば、3時間には12分くらい余裕があると。
この時点で既に6〜7分くらい使っていた記憶がある。
25kmくらい行って、妙に疲労感を覚え始めた。
それでも、まだ余力は十分にあり、
徐々に遅くなりつつある周りのランナーに合わせることなく、
自分のペースをなんとか保って、抜いていった。
少しずつ自分の速度が分らなくなっていく。
他のランナーに比べ、
相対的に速くとも自分のペースが遅くなっていることには気が付きにくい。
この辺りで、土Tさんと牧Mさんとすれ違った。
30kmを過ぎて、ひたすら気力だけで走っていた。まだ気力が残っているだけマシだ。
給水地点でもらった柑橘系がたまらくなく美味い。
エネルギーも喝きも癒やせて両得。
残り10kmを過ぎて、徐々に疲れが出始めた。
おまけに気温も上がり、日射しもきつい。
給水では軽く飲んで、残りを頭にかけるようにした。
良いペースで走るおじさんに付いて行く。お互い意識しているようだし。
ここまで来ると競争原理は働かず、共同意識が茅生える。
順位を1つ上げようというよりは、お互い頑張ろうや、と。
しばらくおじさんのペースに合わせていたが、
どうもペースが落ちて来ていたので、こちらのペースで行くことにした。
一ツ葉を降りて給水地点で高校生に温州みかんをまるごともらった。
こっちがもらったのに、「ありがとうございます」と云われた。
思わず恐縮した。餌付けに成功した気分だったのか。
親切心に対してうがった見方はやめよう。
それにしても、温州みかん、"まるごと"はちょっと参った。
食べると呼吸が乱れるし。それでも皮をむいて1つずつ食べると最高だった。
ともかく1つ食べるのも、しんどくて、左手にずっと持っていた。
残り5kmを切って、体は重くなり、足が上がらなくなって行く。
途中で背広姿の人を抜いた。
沿道の応援が実に嬉しい。
しんどそうな顔しているんだろうなあと、走りながら思った。
もう5kmもないのに、サンマリン球場はまだ遠い。ひたすらヤシの木が続く。
なんとかサブスリーをと、
自分の過去の人生におけるツメの甘さを払拭するためにも頑張ろうと叱咤した。
もう負け組には入らぬようにと。
後で後悔するうような結果だけにはしまいと。
残り3kmを切ったあたりで、どうも無理そうなことが分って来ると、
どっと気力も落ちて来た。温州みかんもやっと食い尽くす。
2kmを切ったあたりで後ろから、
良い速度で2人のランナーに追い付かれ抜かれたので、
とりあえず、最後の気力をふりしぼって付いて行くことにした。
2人のうち1人は速くて諦めたが、もう1人はなんとか牽制できて、
1kmを切った辺りで置いていけた。
3時間まで後2分半くらいだったか。
競技場の近くまで来ているのに、駐車場を迂回させられる、この辛さ。
本当にしんどかった。目標もなくなってしまうと本当に。
とりあえず、ゴールしようという気力でやっとトラックへ。
最後のカーヴで後ろから抜いて来ようとしたのでスパートすると、
これが出来た。そしてゴール。
サブスリーには届かなかったが、とりあえず、
去年の記録を縮めたから、いいやと。しかも全力を出し切ったし。
完走証をもらってみると、なんとNet Timeが計測されていて、3'00'02。
絶句。この3秒って。相変わらずツメは甘かった。
ドリンクコーナーの手前で師と再会。予想より早かった再会に驚いていた。
師はさすがで58分台。すごすぎる。
記録証を片手に師と会談していたら、さっきのおじさんが声を掛けて来た。
なんと59歳だそうで、2〜3kmを一緒に走っただけなのに、
連帯感を感じた。初めて会った気すらしなかった。
スタンドに戻ってみると、牧Nさんが寝ていた。
16kmの関門でかかったらしい。後3人の成行きが心配される。
暑い日射しの中、ずっと待って、スタート5時間を越えたところで、
3人がスタンドへ。
坂Mさんは4時間台でゴールしていたのに、場所が分らずに探していたようで、
土Tさんと若頭は30kmでかかったらしい。
とりあえず、弁当を食べ、温泉へ移動。体重計に乗ったら、59kg。
ということは。。。やはり体脂肪率は正直だったのか。
坂M号に乗せてもらう。走った後の運転はさぞかし大変だろうとは思うものの、
疲れで危うく落ちそうになった。
まあ、横に座っている牧Nさんも外を見ているフリをして、
若干落ちていたようだし。
と、加久藤トンネル前後だったか、土Tさんが突然、"うなぎ"の話をし出し、
坂M号の中は30分以上も"うなぎ"で盛り上がった。
"あの"甘い重厚なタレに浸された、
かたや柔らかいのに弾力性のある"美味い"うなぎを、
この養分を使い切った乾いた体が欲っしてやまない。自然の摂理だ。
宮原SAで、この欲望に勝てずに抗うことなく食したが、
やはり"あの"うなぎとは違った。
寧ろここは我慢して柳川に行った方が良かっただろう。
羽犬塚駅で降ろしてもらい、電車で博多駅まで。
チャリで帰宅。
森林マラソン
の際にもらったオアシス篠栗の入浴券を使う為に篠栗へ。
かねてから狙っていた飯盛山が本日の標的。
篠栗駅下車すると、樹芸の森へのコース板があったけん、それに従うことにした。
が、すぐに見失い、結局予定のコースで歩く。
金出の交差点から萩尾方面へ登って行く。
祖先もこの辺りを登ったのかと思うと感慨深い。
新四国八十八ヶ所巡りの遍路道をそのまま利用して登る。
峠を過ぎると樹芸の森。無名山301によれば、ここが飯盛山だそうだが、
これは地図を見ても明かなように誤り。そもそも道路の南側にあるべき山が、
北側にあるべくもない。のに、山頂まで登って気が付いた。
無駄にエネルギーを使っただけに終わる。
とりあえず、飯盛山は帰りに行くとして、もう1つの目的地である鉾立山へ向う。
ひたすらアスファルトを歩く。いつものように犬にも吠えたてられる。
猫峠手前で寒くなりダウンを着込む。猫峠から無線電波所への道を上がる途中で、
先客に遭遇。挨拶を交し、これ以後の道について教授してもらった。
全く人に会うとは思いもしなかったけん、非常に有難かった。
まず、菅嶽を目指す。
車止めフェンス横からすり抜け、林道に入り、分岐を左へ行く。
当っているのか心配だったが、無名山301によれば大丈夫なよう。
すぐに赤のビニールテープで2重に巻かれた木があり、
林道からはずれ、登山道に入る。
2万5千[篠栗]を持ってなかったのは、不徳の致すところ。
親切なビニールテープのおかげで菅嶽山頂に到着。おにぎりを1つ食す。
すぐに元来た道を引き返し、さっきの分岐へ。
ここを今度は右に行く。すぐに直方営林署の看板があり、
そこから登山道に入る。これは、さっきの先客に教えていただいたお蔭だ。
あとは踏み跡がしっかりしとって、まず迷うことはなく、鉾立山頂上へ。
眺望が効かないのが残念。そのまま、道を行き、畝原山へ。
途中、道を間違いそうになるポイントがあるようなことを予習していたが、
その後、整備してくれたのか、ビニールテープがしっかりとあって、
迷うことなく南東の畝原山方面に行けた。
最高点らしき所に着くと、工事関係者が5,6人おられた。
頂上はどこか聞いたが、どうやらしっかりとした頂上はないらしい。
なんとも、登山者をがっかりさせる山だ。
元来た道を引き返し、鉾立山を経て、無線電波所へ。
猫峠を経て、元来たように下って行く。犬に吠えたてられながら。
山への1月以上のブランクのせいで、4時間半歩いただけなのに、
もう疲れが出て、樹芸の森でおにぎりを1つ食べ、休憩。
飯盛山への取り付きを探す。
が、どうも、見付からず、道なき道をやぶ漕ぎをしようか、とした。
が、疲労と冬季の危険性を考え、回避。
そのまま、下り、親戚の家の前を通って、オアシス篠栗へ。
鉱泉を濾過循環しとうらしく、正確には温泉ではないようだ。
お風呂セット(シャンプー、せっけん)などをもちろん山には持って行かないので、
ちょっと困ったが、とりあえず、汗を流すという目的は達成した。
駅に戻り、帰宅。
フラッシュメモリをLinuxで使うために、
2つのサイトからの情報で
# mkdir /mnt/usbfm
# mount -t vfat /dev/sda /mnt/usbfm
が効かず、
# mount -t vfat /dev/sda1 /mnt/usbfm
とするとマウントに成功した。
# umount /mnt/usbfm
でアンマウント。
これでいちいちWin上でCD-RWを焼いてrebootして立ち上げる手間が省ける。
25日に大叔母が亡くなり、
そのお葬式に行った。親等的には4親等で遠いが、
小生の小さい頃からよく会っていたので、出たかったわけで。
よく、マシュマロとか、お菓子を持って来てくれていたのが思い出される。
改めて、若いうちには気付かない、命について考えさせられた。
対極ではなく、含まれているのだと。
9:05発の西鹿児島行きに乗るために、指定席は満席やったけん、
30分以上も前から並んで、余裕で席を確保したが、並ばずとも座れたようだ。
横には幼稚園児?が座る。母親と弟?は通路を挟んで横に。
途中、下げていた窓の日除けを彼の為に上げる。
大牟田で彼らは下車したのだが、その際に、
小生にクールミントガムを賜わる。お礼をして、お別れをした。
素直に嬉しい。後々、このクールミントガムが活きるのだから、なおさら。
とりあえず、西鹿児島まで少し寝て、それ以外は爆読。
西鹿児島駅に着いて、予定通り親藩と合流。
郡元にある雰囲気の良いカレー屋
『豊後屋2124』に実験台として食べに行くことに。
チーズ入りのカレーで値段はそこそこしたが、絶妙な味で良かった。
"それ"を求めて。川辺まで車で連れてってもらうことに。
4時間の電車で疲労したのか、少し車酔いになり、川辺の目的地に到着。
車酔いを払拭するために、さきほどのクールミントガムを食す。
余りにも公園化され過ぎて、いまいち跡がはっきりしない。
ばかりか、肝腎な、碑がない。碑を求めて、うろちょろとしてみたが駄目で、
事務所のおいちゃんも知らない。
が、やっとこさで、道路に対して背を向けた碑を発見。
卒業記念の桜の植樹を示す、類似の碑(木製)が多々あって、かなりの難関やった。
鹿児島市内に引き返すが、谷山付近で錫山方面を通り、
余りの山道にピークを向かえ途中で2回休憩を入れてもらう。
情けない体になったものだ。足以上のスピードには三半器官が着いていけないのか。
まだ道路脇には雪があった。
市内に戻り、病院で降ろしてもらう。
今回もちゃんと認識してもらう。ただ、いつものような質問はない。
しばらくして、親藩とその彼女がやって来る。
最後に叔父が来て、鴨池にある最近できたての中華料理屋で祖母にゴチになる。
その後、3人で騎射場に行き、飲み屋を探す。いろいろと雰囲気の良い店が多い。
とにかく、今、騎射場は熱い。
飯は中華料理で大概食べたので、飲み中心で行く。
酒はもちろん、焼酎。小生はどうもまだ芋のあの臭さには慣れず仕舞で、
結局臭みのない、芋を2種類飲んだ。
『薩摩茶屋』ともう1つの銘柄は残念なことに失念。
たっぷりと朝食を摂って、恒例の草牟田墓地へ。
荒田八幡電停から高見馬場で下車して歩く。
いつもの花屋で線香と花を購入し、祖父方、祖母方に参る。
マッチの点け方も上手くなった気もしないでもない。
正月前とあって、参拝者も多い。再び、高見馬場まで歩き、路面電車で、
祖父のいる病院まで。一律160円なのが嬉しい。
病院にいってみたものの、既に昼食後で、頭から毛布をかぶって寝ていたために、
どうしようも出来ず、20分くらいして、家に戻る。
昼食からトンカツを食べ終え、約束通り、親藩がやって来た。
予定通り、下道で福岡まで帰るのに便乗させてもらう。
以前、往路を便乗させてもらったこと
もあった。今日は酔う気配がなかった。
何時間もマンツーマンで乗っているとお互いに話題も尽きる。
結局、植木ICから高速を使い、帰福。
晩飯に、記憶の中では、
核理OB山Sくんが"美味い"と絶賛のラーメンの『うまうま』に行ってみた。
トンコツなのに鷄ガラかと思わせる上品な味に、博多ラーメンには珍しい平麺。
換え玉がなかったのは残念だったが、餃子といい、おいしかった。
久々に脂っこいのも食いたかったが。