前回の借り
を返す為に再びチャリで諸富町へ。
今回は前回の跌を踏まえてしっかりと詳細地図を持参。
東北東の風が強くてしんどい。
前回行かなかった地域を攻めていると偶然的に狙ったものとは違う"それ"を発見。
良い流れが来た!しばらく、本命を探し、散歩中のおじさんに聞いたら、
やっとHitしたものの既渡の"それ"の別名らしい。肩透かしを食ったような気分。
気分をとり直し、大川へ筑後川を渡って攻める。
風浪宮近辺の"それ"ははっきりせず、断念。
若宮八幡宮はあったけど、いまいち。
時間がなくなり、帰宅へ。
旧佐賀線を利用した徐福サイクルロードをひたすら北西にこぐ。
こう云うサイクルロードがあるのは実にすばらしい。
父親の車で仁比山付近まで行き、1人で登り、父親は待つことに。 神社から、しばらくは竹林が続き、道は整備されているものの、 若干、雨による水流で流されている感もある。 さらに行くと、その水流のせいで中央部が削られて中を歩くには細過ぎて、 両サイドの壁を両手両足を使って登らんといかんかった。 石であれば良かったが、土だけに滑りそうで恐かった。 まあ、滑ったところで生死に関わることはないので、 たいしたことではないのかもしれない。 頂上は見晴らしが裏の背振方面しか見れず、頂上を示す看板もなく着いて、 茶を飲んで即下山。途中、草蔭に残雪があった。 縦走路をしばらく西へ行ってみたが、結構道が良く行けそうな感じはしたが、 今日の予定ではないので、引き返す。[腰巻山へ続くと思われる。] 上宮にある神体である巨石から佐賀平野が一望できる。守りに良さそう。 あずま屋や親不孝岩を見て、走るように下山。 これくらいの低い山でも結構楽しめた。
とあるキーワードで、 長崎街道のページからリンクが切れていた若頭のページをやっと発見した。 ちょっと前の実名で人が登場する頃のものだったから、 検索ページで読んで笑ってしまった。 数週間前に野Dさんに、リンクを切った事情とURLを教えてもらいはしたが、 URLは余りにも無機的で覚えられる代物ではなかった。 それにしても、牧Nさんといい、ちゃんと正直に書けるのは羨ましい。
雨の中、明日のためにラリーグラスにチャリで行く。
アイゼンを物色していると、real山屋らしい店員の方(WPによればグッズ担当)が、
相談に。ローカットの靴ではお薦めしないとのこと。当然だろう。
それでも、ないよりはマシだということで、アルミ製のゴムバンドが2つある、
4爪のものを薦めてくれた。アイゼンとか小説やエッセイの中の話だと、
自分では割切っていたのだが、いやはや。
いつからか、かけ違えたボタンは、小生を完全なる明後日の方向に誘う。
1度滑り出した船は、なかなか元には戻れない。
他に手袋カバーも購入。手足が冷えるは良くない。
金があれば、ちゃんとしたパンツも購入したいところではあったが、我慢。
良い物は高い。ついでにルートのことも教えていただいた。
金を出せば、居心地の良い場所になりつつあり、そんな自分にハッと気付かされる。
とりあえず、
翌日はあちらの世界に完全に行ってしまった坂Mさんのために露払いをする予定。
大キジ撃ちの実演指導を受講する権利を確保する為に。
梅枝餅を二日市駅で購入するつもりだったが、予想通りまだ開店してなかった。
気を取り直し、踏み切りを渡り、二日市温泉を通り過ぎ、武蔵寺まで行く。
4年前の正月以来。
武蔵寺を参拝して、九州自然歩道に入る前に仕度をしていたら、
カメラを持った常連ぽい人にどこまで行くか聞かれ、
準備が完了する前に引きずられるように、
一緒に登り始め、そのぽい人とはすぐに違う道へと別れた。
しばらく、だらだらと登り道を歩くと天拝山のノーマルルートと合流。
以前そっちから登ったような記憶が頭をかすめる。
整備された階段を、きつさを堪えて、息付く暇もなく、登り続け、山頂到着。
14分要す。こんなもんだっけか。
山頂からの景色を一瞥し、喉を潤し、九州自然歩道を追いかける。
どうも左足の付け根の調子が悪い。下り道で、時折、痛みとともに力がフッと抜ける。
とにかく、九千部山まで耐えてくれと祈る。
前日の雨のせいか道はぬかるみ、歩きにくい。
しばらく行くと、林道に出た。
そろそろ、"それ"の跡があるはずで、石塁らしきものも、
見かけたが、結局看板がないせいで発見できずに、
天拝湖に面した筑紫野市総合公園に出てしまった。
仕方なく諦め、アスファルトの道を山口に下る。
少し歩いて、再び自然歩道に入る。
ところどころに石塁があって、"それ"の跡かと期待する。
結局、看板も碑もなく、一旦、車道に出てしまい、その気配もなくなってしまった。
(帰宅後、書で確認してみれば、おそらく正解だったようだ。)
基山に続く、草原に出て、早くも山頂の気配を感じた。
最後の急斜面を気合いで乗り切り、頂上到着。
祈りを捧げる巫女を初めとする人達がいて、
その崇高な雰囲気に近寄り難く、三角点から離れた所で、
その雰囲気をよそにおにぎりを2つ食す。
そして、アスファルトの縦走路を歩む。左足の調子はまだ良くない。
電波塔の立つ、九千部山がはるか向こうに小さく見える。まだまだ距離はありそうだ。
しばらく行って、看板があり右折すると道は民家に続き、飼い犬が2犬騒ぐ。
しかも、1頭は道の際にいる。道が合っているかも分らず躊躇して引き返したところで、
ちょうどトラックに乗った地元の方に道を聞くことが出来た。
やはり、犬の際を通らねばならない。
仕方なく、進むと案の定吠えたてられたが、鎖が届かないことを良いことに、
へへっと云う感じで犬を少し馬鹿にして通り過ぎた。
ここからコンクリートで出来た石畳があり、土やアスファルトよりも歩きにくく辟易。
石畳が途切れても道が荒れていて、うんざりさせられた。
しばらく行くと、道路に出て、柿ノ原峠に出た。
少時間の休憩後、九州自然歩道の看板に書いてあるように、
ダラダラとした登り坂の連続になった。
登るだけでは、左足はいっこうに痛まず、急斜面でもなく、かえって楽だった。
そう、調子に乗っていると、右足が昨日の雨のせいで柔らかな箇所で滑り、
したたかに左足の弁慶の泣き所を木の根に打ち、体が坂を滑り落ちるのを、
なんとか両手で木を掴み防いだ。さながら、リポビ*ンDのようだった。
そのうち、権現山への分岐に出た。
案内用の杭には0.1kmとあるが、0.3kmはあった気がした。
道も荒れ気味で、頂上も三角点があるだけで、がっかりさせられた。
道を引き返し、階段を降りて行くと、大峠。車が数台停めてある。
少時間の休憩後、登り始める。
だいぶ九千部山も大きくなって来た。
そのうち、道の蔭に雪が目立ち始めたと思いきや、
道にも雪が残っており、いよいよアイゼンを装着せんといかんかと、
面倒を考えつつも、持って来ただけに使ってみたくもあった。
が、結局、昨日の雨と今日の春並みの好天気のせいで、
ほとんど解けかかっていて、靴で突破できた。
そして、頂上到達。12時台に着くのは予想外。ここまでは、規定演技と云ったところ。
かなり順調な過程だった。
これからが自由演技に入る。おにぎりを1つ食し、即、下山に取り掛かる。
桜谷登山道を探し、道路を右往左往し、30分も消費し諦めた末に、
以前下りたうるしが谷登山道で、
遠回りして網取に出ることにした。
子供会の行事なのか、でっかい鍋を囲むようにたむろする集団をよそ目に、
雪に覆われたアスファルトを雪を避けつつ歩いていると、桜谷登山道を発見。
即、入道。しばらく行くうちに、
"それ"の本丸か二の丸の匂いがかすかに第6感を刺激する箇所を通り過ぎ、
道をたんたんと下る。
道の途中に複数の石で作られたトーチカもしくは井戸?
のような構造物を度々目にするようになった。
これは、以前にも金山の登山道や鬼子岳でも見たことがあり、何なのか良く分らない。
ただ、近代、現代の物ではないようだ。
さらに下ると、段々になっている屋敷跡らしき匂いのする箇所を発見。
初めこそ、杉の植林の為だろうと思っていたら、
石塁でしっかりと補強してあることも分り、
もう興奮のるつぼ状態。最近の文献では出て来ないようだし、果たして?
さらに下って、グリーンピア那珂川に出た。
時間にかなり余裕があるので、前々から狙っていた一ノ岳を目指す。
林道をしばらく行くと人や車の気配からは完全に遮断された。
なるべくこういう所で怪我はしたくないもの。
そのうち、ゲートが閉じており、これ以上、車は進めないようだ。
一応、人が1人通れるくらいに横の茂みが開いていたので良いだろうと解釈。
林道は山の表面をずっと走る。今度は西方向に進み右に一ノ岳の頂上を見上げる。
さながら六つ墓村にあるような林道に飽き始めていた頃に、突然右側でガサコソと。
パッと顔を向けると1mは優にあるイノシシが慌てて坂を登って行った。
こちらも驚愕且つ動遥。慎重に歩き続けたが、
本当はきびすを返したい気持ちで一杯だった。
さらに進んで行くと、
上の茂みの方でこちらの方へザザーッとイノシシが走って来ていた。
(まだ上からこちらまで5mくらいの距離はあった。)
思わず、身構えたが、彼も発見された地点から逃げて来たのか、
こちらの様子を窺うために来たのか、そこで停止した。逃げるように先を急いだ。
あんなデカいのに猪突猛進されたら、たまったもんじゃない。
うまくかわせるだろうか。
ジャンプしたらどうかと思案しながら、
うんざりするくらい長い林道を心細くなりつつ歩き続ける。
初めて歩く道は長く感じるのは当然ながら、本当に頂上まで通じているのか、
ますます不安に包まれる。そのうち、やっと右に方向転換。
正直彼がいそうな右方向には行きたくない。
慎重かつ大胆に足を進めると、送電線が出現し、そこで林道は終わり、
九電が作ったであろう階段を発見。おそらく、ここを進めば良いはず。
彼に遭わぬように、そそくさと登り続ける。
今でこそ、かなりのハイペースだっただろうと推測される。
ひたすら登り続け、頂上に到達。
ここは"それ"の跡らしいが、どうも本にあるような跡がない。
遠くで銃声が聞こえた気がした。彼がやられたのか?イノシシの次は猟銃か。
跡を探してうろちょろしてみたが、どうもそうなのか首をかしげたくなったが、
早く引き上げたいので、無理に納得してみることにする。
とりあえず、以前購入の茶色
の上に緑色のダウンを着込み、撃たれる可能性を落とす。
もう彼には遭いたくないので、違う亀ノ尾峠に行く道を探す。
運良く、背振少年自然の家の看板が適当な間隔で道を示してくれる。
ただ目的地がどこなのか表示されてないのは、ひっかかったが。
とりあえず、背振少年自然の家には小学校の時に何回かお世話になったし、
少なくとも悪いところではないので、全幅の信頼の下に看板の指すままに進む。
北面の道のせいか、雪に覆われた場所があったりした。アイゼンはごめんだ。
小走りに進み下って行くと、急に車も通れそうな広い道に出た。
思わず救われたわと、安堵したら、4差路に出た。
どうも間違った方向に来たことが発覚。
だが、そこはちゃんと2万5千を持って来た甲斐があったというもの。
東に行くべきを北に来ている。
亀ノ尾峠を諦め、東の方へ下る道を探すことにする。
運良く、東に行きそうな車の進めそうな林道が続く。
また西には背振少年自然の家の看板のある道があり、
まさかのエスケープにはなるだろうと見当した。
しばらく林道を進むとなんと林道は3差路へ。一方は広いが赤いテープで塞がれ、
もう一方は車が通れない杣道。
様子を窺てみても、先へ進んでもはまるような感じがして諦め、
赤テープをくぐってみて様子を窺ってみるも、こちらもヤバそうな気がして、
なくなく元来た道を引き返すことにした。
唯一の救いはまだ日の入りまでは時間がありそうなこと。
思わず焦りそうな自分を落ち着かせながら、背振少年自然の家の看板を逆に辿る。
なんとか、元来た道に辿り着き、一目散に下る。
やっとのことで送電線に出て、林道を下る。
16時台のバスを諦める。
もう出ないでくれと祈りつつ、事故現場をビクビク通過。
しばらく行って、ふっーと肩の力を緩める。
林道入口近辺に屋敷跡の石塁があることを発見。収穫はこれだけか。
おまけに16時台のバスも行ってしまい、次は18時台で2時間もある。
しょうがなく、亀ノ尾峠への道を次回の為に偵察しつつ、国道385号線をひたすら下る。
筑紫耶馬渓に差し掛かった辺りで走った方が楽なことが分り、
1kmを4分を切るくらいのペースで下る。
箱根の下りを思わず想像せずにはいられない。1kmくらい行った辺りから、また歩き、
バスが数台停まってた市ノ瀬バス停で17時台のバスがあることが分り、歩みを止めた。
那珂川営業所で降り、真向いの大型古本店
で2冊ばかり仕入れ、帰宅。
飯を食いつつ、地図や本を片手に反芻していると、一ノ岳の"それ"は東にある、
もう1つの峰であることが発覚。
顔面の左上辺りから、
数本の架空の線が左目にかけて振り降ろされたのは云うまでもない。
完全なるグリコーゲン切れか。
前日から、やたらと喉が喝き、腹が減り、甘いものが欲しくなる。
大殿筋がこわったまま。
カシミールで反芻。山を征服していく喜びをカシミールで味わう。
(征服した山だけ、地名データに追加しているから一目瞭然。)
カシバードで撮影とかして、おおいにハマった。
カメラにも種類があり、さらにフィルムの種類も選べるあたりがすご過ぎる。
第2部も断面図を描いてみたら、
ルートが地図上で正確に分らないという誤差を含むものの、
推定で20kmちょいあった。1部、2部合わせれば、約40kmの行程だったようだ。
大殿筋がこわったまま。
5:20起床の予定だったが、前日の10時間睡眠と緊張のおかげで、
4:00に目が覚め、結局眠られなかった。まあ10kmやから、そんなに
interactionは大きくない。摂動として扱っても構わない。
とりあえず、小雨の降る暗い中、チャリで天神に出て、7:00の特急に乗る。
車両が青緑の普通車両だったのには残念。
横向きに走られるのは余り嬉しくない。本を読んで時間を消化。
大牟田で乗り換え、玉名に到着。おにぎりを購入し、食し終わったところで、
師と産医の高Hさんが特急で来られ合流した。
普通の大会だったら、ジャージを着た人とかウヨウヨしとうのに、
ここはさっぱり。誘導の人もいなければ、会場への看板もない。
小雨がまだ降っていて、天気予報ではそろそろ晴れるはずだと言いながら、
ひたすら歩いて会場に行く。
会場に着いたが、スタート(ゴール)地点のあまりのしょぼさに驚いた。
まあ、こじんまりとした手作りの大会なのだろう。
RCチップを使わない時点から察っしは付くが。
とりあえず、体育館で受け付けを済ませ、着替えようとしたら、
地元中学生らによる太鼓が始まった。そして、お偉いさん方の挨拶。
途中で抜けて、ジョグることなり、外へ出ると、まだ小雨が降っていた。
10分前まで走っていたが、だいぶ雨も止んだ。
10:30に5kmの部がスタートした。
師や高Hさんはいつのまにか行ってしまった。
2分後に10kmの部のスタートだったが、スタート前の大会事務長?のエイエイオーが、
しつこいくらいに繰り返された為に、鼓舞が終わるや否や、
10秒前のカウントダウンもなく、いきなり、パッーンとピストルが鳴り、
「えーっ」という声があちらこちらで聞かれた。さすが、手作り。
花火も派手に鳴り響く。
自分のペースに合わせる為に、とりあえず、周りにいる人達を抜くのに苦労。
しばらく走ったところで、参加者も少ないおかげで、
自分のペースに持ち込めた。最初の1kmは3'47だったか。
そのうち、5kmの部の人達を抜いて行くが、2kmまでが長く感じる。
2kmの段階で7'34だったか。後々計算してみるとペースが落ちていた。
走っている時は、あまり頭が働かない。
とにかく、遅いなと感じ、少しペースを上げた。
しばらく行くと、5kmのコースとお別れ。5kmが羨しくて仕方がなかった。
そのままのペースで走り続ける。どうやら、自分の後ろに人はいないようだ。
自分がケツじゃないかと錯覚した。
途中で後方を見たら、20〜30mは間隔が空いていて安心した。
前に4、5人いるが、なかなか抜けない。同じくらいのペースで走るわけやから、
抜くのにはペースを少し上げんといかし、向かい風やったし、
集団で切磋琢磨するのも悪くない。
というのは、やはり、嘘で、前に人がいたら、抜きたくなるのは、
人間が集団生活を始めるようになってからの本能なのか、2、3人かわした。
4kmを越えしばらく行くと、もう折り返した連中が余裕そうに走り去って行く。
いつのまにか、後ろから1人着いて来るランナーがいて、すごく気になった。
抜かれてはならじと、とにかく、折り返しまでは、前を行ったが、
相手もさる者。ベテランの香りすらする。
途中に時折応援する町民がいるが、毎回思わず会釈して、その都度疲れを覚える。
額や目の上に溜った汗を拭き取る為に右手を上げるのもかなりの苦痛だ。
しばらく、頑張っていたが、前に行かれ、付いて行くことにしたら、
前は4人の集団になってダンゴになった。それを見て、一気に抜いてやった。
は、良かったが、まだ、5〜6km地点。早速、バテが来た。思わず両手を腰にやる。
例のベテラン風に軽く抜かれ、
こっちはもうギブアップしたいくらいで順位はどうでも良くなった。
我慢していると、まあ慣れるもんで、しばらくは安泰だった。
8km手前で後ろからヒタヒタと気配を感じ、振り切る為に、
若干スピードを上げるが、ヤツもこっちを抜くことしか考えてないようだ。
次第に呼吸音が大きくなる。正直、かなり、ウザい。
抜くなら、早く抜いてくれ。こっちのペースまで乱れてしまうじゃないか。
8kmを過ぎた辺りで、やっと抜かれたが、
ヤツもしばらく行くと、バテたようだ。少しづつながら、また差も縮まる。
9kmを過ぎて、ヤツはスパートを掛けたようだが、こっちも付いて行くと、
ゴール150m前くらいに師と高Hさんがいて、その応援のお蔭で一気に加速して、
ヤツを抜き去り、さらに前にいたバテ君のランナーも抜いてゴールした。
手元の時計で38'51。スタートで約1秒遅れたはずだから、38'52だろう。
23位でラッキー賞を貰った。素数だったから貰えたのか。
数年振りにぜんざいを食い、後悔した。表彰式を見て、温泉に向う。
正直、きついだけで、さっぱり楽しくなかった。
自分の力を120%出し切れた実感はある。
ただ、それは日頃の練習でフルスピードで連続6kmしか走ってない状況の下の話だ。
10km走るなら少なくともそれ以上練習で走っとかんといかん。
1週間前に山に行ったのと、左足付け根の調子の悪いのと、
練習し過ぎによる疲れがたまっていたのが反省すべき点だ。
それと、一番納得出来なかったのが、精神面だろう。
正直、5〜7kmの段階ではある意味レースを捨てかけていた。
結果的に好タイムを出せたものの、運が良かっただけかもしれない。
さながら、棄教をせまられた宣教師が拷問の道具を一目見ただけで簡単に転び、
命は助かったが、なんとも云えないような悔恨を胸に抱え込んだような気分だった。
参加するだけで、弁当、牛乳、タオル、Tシャツ、温泉卵、
玉名の飴等が貰え、指定温泉旅館でタダ風呂。
おまけに、ラッキー賞はエネルゲンの粉末とボトルと保温用のカバー。
さらにカロリーメイトと地元企業のエネルギー飲料の粉末。
一風呂浴びて、ちょっと貧相な弁当を食した。
予定では南関に玉名からバスで向かうはずが、都合の良い便がなかった。
今日の最大の楽しみだったのに、かなりがっくり。
とりあえず大牟田に出て、南関に行くバスがあるか調べ、
なければ急遽、三池山に登ることにした。
ホテルから駅までが意外に遠くて、特急に乗る予定の師達と一緒に駅まで走る。
ギリギリで間に合い、師達とお別れ。
大牟田に鈍行で出たら、20分後にバスがあったので、南関に行くことにした。
とりあえず、大津山(256.1m)に20分弱で登り、即下山する。
しばらく歩いてたら、右足の付け根がちかっぱ痛くなり、
引きずりながら歩くことになった。
2つ目の"それ"を求めて、間違って違う山に入り込んだりして、
なんとかジモッティのお蔭で発見。かなりの規模の"それ"に久々の感動を味わう。
自信を持って人に薦めることが出来そうなくらい。
しばらく堪能して下山。3つ目の"それ"に行けるかバスの時間との相談だったが、
ちょうど40分くらいあり、迷うことなく行くことにした。
ちょっと場所に自信がなかったが、意外に簡単に見付かり、
足を引きずり3つ目クリア。
バス停まで歩き、大牟田に出、電車に乗り換え帰路に就く。
福吉駅8:04-8:23入口8:26-9:00十坊山9:07-旧白木峠(9:22)-
9:29白木峠9:31-10:21浮嶽10:49-11:05南登山道(40分コース)入口11:07
-白木峠(11:39)-12:30まむし温泉
前日の夕方まで今日は読書の日のつもりが、
雨が止みそうなので急遽行くことになった。
十坊山から雷山、あわよくば三瀬峠も狙いに入れての早朝登山。
筑肥線の中で読んでいた新田次郎の『冬の掟』は遭難ばかりを扱った短篇集で、
登山前に読むべき代物ではなかった。
福吉駅を8時過ぎに出発。十坊山の頂上は雲に隠れて見えない。
みかん畑を通って登山道に入る。
小学校の時の遠足で登頂経験があるものの最早記憶の彼方。
しばらく行き始めるやいなや、銃声。恐れ戦きながら、本当にひたすら登る。
左手前方から聞こえたかと思えば、左手後方だったりして、かなりナーヴァスになる。
雨は止んでいるのかどうか、時折木から雨だれがしたたり落ちることもあれば、
降っていても木のおかげで濡れないこともある。
そうこうするうちに、あっという間に頂上に到達。
こんなに早くて良いのかとびっくりした。やはり小学生の時から成長したんだなあ。
灰色の暗い雲が低く垂れ籠め、わずかながら福吉、大入の方向や唐津、
虹の松原が見渡せた。これから登るべき、浮嶽はあいにく雲に隠れて見えない。
雨が降っているのだろうか、嫌な感じだ。
早速縦走路に入ったは良いものの、滑りまくりで、
なんとかスピードを落としてこけずには済んだ。左手方向の銃声は相変わらずだ。
(旧)白木峠を過ぎると白木峠。車が通るようになって白木峠が2つに縮退したらしい。
今度は90分コースで浮嶽を目指す。
右手にゴルフ場を木々の間から見ながら、たんたんと登る。
銃声は相変わらずだ。今日は誰にも会わないし、かなり憂鬱だ。
帰りたい気分ですらある。
おまけに雨のせいで地が緩くなって登りにくいことこの上ない。
両足の筋肉に力を入れ、両手も使い、いつもの1.5倍くらいのアルバイトが必要だ。
手袋も濡れてしまった。
しばらくして、登りが続き、耐えていると、「ンブヒッ、ダダー」と、
遠のく彼の声がした。姿を見なくて済んだが、まあそれなりの大きさの声だった。
今回はそれ程まで動揺することもなく、たんたんと登り続け、頂上に到着。
頂上近辺で傘をさす羽目になった。しばらく小屋で晴れるかどうか見守ったが、
本音としては下る方向だったので、言い訳を探していた気がする。
結局、これからのもしものエスケープが困難であること、雨で体が濡れ寒いこと、
手袋が濡れ手がどうなるか分らないこと、
雷山への道が初めてでどうなのか不安なこと、
等言い訳を探せばいくらでも出て来てはいただろう。進むも勇気、退くも勇気。
ダウンを着て、手袋を軍手に換えて、雨合羽を着込んで、
一早く安全域に逃げるために南登山道(40分コース)へ。
しばらく急斜面をロープを掴みながら下りていると、登って来る夫婦に会った。
久々の人間が嬉しかった。少し行くと浮嶽羽金山林道へ出た。
後はアスファルトやからもう助かったと思えたら、空には青空も少し顔を見せていた。
下山したことの正当性をいろいろと考えながら車道をひたすら下る。
車道から見た浮嶽はすばらしかった。筑前富士と呼ばれていただけはある。
吉井の町に出たところで行きに見かけていた
「まむし温泉」へ。
大人1,200円の看板にひるみ3秒程悩んだが、
今日は脱ストイックで行こうという乗りで入場。
ジェット、露天風呂、五右衛門風呂、壷の風呂、打たせ湯、サウナ、天然塩サウナ、
と元を取る為にあらゆるもの全て試す。
タオルとなんとも云えない部屋着を貸してくれたので、その部屋着を着て、
外のスペースを一通り見て、汗まみれの服を着込む瞬間と来たら。
入る時はいなかったのに「まむし温泉」から出たすぐそこで、
ソフトクリームを売っていた。
かねがね食いたいと思っていた巨峰ソフトクリームが売ってあるようなので即購入。
もう今日は脱ストイックにまかせて、緩みっぱなし。
孫を前にしたお爺ちゃんのような気分だ。駅まで食べ歩き。
駅員に早かったなと言われたので、いろいろと事情を語った。
今日のようなレジャー登山を1人でやるのは、
はたから見ると実にさみしい図だったろう。
やはりレジャー登山は集団でやるに限る。
に、またも大名の『ROOMS』でSWPのライブ?がある。 去年の4月以来で 実に嬉しい。 クラブを再び体験出来るのも嬉しい。 この業界では味わえない世の中が凝縮されている。 新歓がおそらくこの日だろうが、まあ良いだろう。
日フィルによるビゼー『 カルメンから 闘牛士の行進 ジプシーの踊り』
チャイコフスキー『バイオリン協奏曲』
ベートーベン 『交響曲第6番田園』を聴きに佐賀文化会館に行った。
こう云う時に実家のありがたさを想ふ。
カルメンは有名で賑やかな曲だった。
次のバイオリン協奏曲が目的であった。
以前聴いた時は初聴きやったせいもあって、
どぎついイメージがあったのだが、CDを聴くにつれ、かなりはまるようになった。
今回も入念に予習をして行ったが、第1楽章が終わった後に、
なぜか楽章毎に拍手をする聴衆に引きづられるように拍手をしてしまい、
屈辱感で一杯だった。さすがに生のバイオリンの音は良かった。
雰囲気や音響、聴衆の点で、会場がアクロスであればと少し残念に思えた。
曲そのものに没頭出来なかったのは曲そのものが持つ特徴なのか、場のせいなのか。
第3楽章の終わりのバイオリンと楽団との展開が良かった。
生ではCDでは分らない場の空気が存在し、それが醍醐味と云えよう。
田園が演奏される直前に、
終始派手なアクションを展開していた指揮者の前に楽譜が乗ってなく、
妙な間があったのには失笑(取り繕うように第1バイオリンが慌てて音合わせをした)。
かえって人間臭くて、ほっとさせられた。
この田園は予習してなかったので、ちょっとつらい。
何回もレコードで聴いたことはあるが、かなり昔のことで懐しい。
第1楽章と第3楽章は有名。
柔らかな曲調の中にもベートーベンらしい? 丈夫ぶりが織り込まれてある。
というか、ベートーベンにしては優しい感じの曲であるらしい。
話が変わるが、最近お気に入りの曲はラフマニノフの『ボカリーズ』。
この頃の小生の縦走時間に対して、
1.5を掛けるように定義されていた。
思えばこれが初縦走だった。
わけでもなかった。
最近の段階では、十坊山110分を約60分、浮嶽90分を50分であるから、
標準変換係数は約1.8だと考察される。