水谷、平島-千代反田-藏田-宮本、山形-米田-篠田-有光、
増川-田中。
今日は、福岡の切札である左サイドの2人、アレックスと古賀が共に怪我で、
代わりに宮本、有光が入った。
試合開始から水戸は終始右サイド(=福岡の左サイド)を狙って来た。
それに対し、福岡は開始5分に相手CKから、カウンターのビッグチャンスを迎え、
有光が中央まで持ち込み、エリア外でシュートを放ったが、
弾道はゴール右上にそれて得点ならなかった。
その後は、福岡はいつものサイド攻撃はなりを潜め、
中央突破を試みることが多かった。
これには、両SHの山形、有光というドリブラーの存在が起因しているのだろう。
水戸はとにかく右を起点に攻め、GK水谷の好セーブにあったりと、
福岡同様得点不足を露呈した。
そんな中、CKから山形の蹴ったボールを千代反田がドフリーのヘッドで決め、
貴重な先制点を上げた。
前半はそれ以外に藏田がCKのこぼれ球を押し込もうとしたが、
相手にかろうじて弾き出されたのを除けば、水戸のペースだった。
久々にスタメン出場した宮本が、
なかなか本来の力を出せてないようで、ハラハラさせられた。
後半は水戸の運動量が落ち、さらにDFに怪我人が出たようで、
交代枠2枚をそれに消費したために攻めるべき時に攻められない状況になったようだ。
それに対して、福岡も追加点を奪えず、逃げ切るのがせい一杯で、
終了間際には、相変わらず、相手に繋がれ危ないシーンを作らせていた。
が、なんとか、試合終了。
勝ったことが唯一の収穫だったが、この試合で勝ち点3は大きかった。
今日の最大目的は、
昨年失敗した一ノ岳へのリベンジにある。
そもそも一ノ岳が2つ存在するのがおかしいわけである。
おかげで前回は、2万5千分の1での三角点がある方の一ノ岳に登って、
もう1つの一ノ岳を逃す羽目になった。
さらに付け加えれば、出来れば、もう1mを越える彼には遭いたくはない。
天神大丸前から那珂川営業所行きに乗る。事前に調べていた時間が誤っていたのか、
那珂川営業所発の佐賀橋行きまで余り時間がなく、少し焦る。
気が付けば、運転手とマンツーマンになっており、
どこまで行くか聞かれたので、これこれと事情を話すと、
直前の道善で下車することを薦められた。
実は今乗ったバスは屋形原経由の南から回り込むルートで、
直に385号線を北から那珂川営業所に到るルートではなかったことが、
直前に分かり理解した。道善にて乗り換え。
結局5分くらい待った。
前の前に座っている同乗者は、2万5千のコピーを持って、
しきりに外の山の稜線を眺めては手元の地図で確認をしている。
まさに登らんとする格好やし、間違いないだろう。
もう1人と別々にダム記念碑前で下車した。
ここで降りるのは一ノ岳に登るためなのだろう。
だが、マニアックな一ノ岳に本当に登るのか。
そのまま降りずに終点の佐賀橋まで。佐賀橋で降りると地図の通りに、
目の前に"それ"はあった。薮漕ぎが必要かと想像していたが、
ちゃんと小道があって頂上まで30mばかり標高を稼いで到着。
到着と云うには大仰であったが、地蔵があって、
わずかばかりの平地があるだけだった。
すぐに下山し、周りを回ってみて、網取の方面へ385号線を下る。
この五ヶ山は将来的にダムの湖底と化すことに決まっているらしく、
ここも水面下になるのだろうか。
網取まで来るとグリーンピアからの道と合流し、
以前の通りに分岐から一ノ岳に入って行く。
砂利道を歩いていたら、下って来たらしい夫婦に会った。
確認のために道を聞いたら、一ノ岳は新聞に掲載されたらしく、
その新聞の切り抜きを持っておられ、多少、安心した。
メジャーな山になったのか。
その砂利道を辿ると、記憶が蘇えって来た。季節が違うし、時間帯も違うせいか、
印象があの時とは異なる。
車止めを越えて、しばらく行くと、昨年にはなかった、
一ノ岳への札が整備されていた。
しかも、2万5千での『一ノ岳』は陣の尾山になっているようだ。
だが、どっちがどっちなのか半信半疑のままに、昨年行かなかった、
一ノ岳へ、の方向に向う。すぐに稜線に出て、左へ。
かなり良い道だ。信じられない。
テープもあってまず迷わないし、ここ最近整備されたのだろう。
途中で休憩中の1人を追い抜き、頂上手前でバスの同乗者と擦れ違う。
やはり、メジャーな山に昇格したようだ。
遺構も、かなり残っており、登り甲斐があるというもの。
頂上でやはりバスの同乗者と擦れ違う。頂上に着いて、
北西方面に下りてみたり、北東方面に下りてみるも、良い画像は撮れそうにない。
頂上に戻ると、途中で抜いた人が登ってこられていた。
よくよく本を読んでみると、西側に石塁があることが判明。
行ってみるとバッチリな具合。ほとんど休憩もとらずに下る。
二の丸跡の石塁を探してみると、立派な物が確かにあり、自然と鼻息が荒くなる。
あまりに暗いようで、デジカメがどうしてもブレてしまう。
なんとか試行錯誤して、木に接地して、撮影。上手くいったようだ。
ここから亀の尾峠方向へと下ってみる。
赤いガムテープがところどころにあり、不安にはなるが、
なんとか行けるのでは、と思う。
方位磁針を備えたからには恐いものはだいぶ減った。
下る途中には炭焼用の釜の跡があった。人の気配は全くしないが、
蜘蛛の巣も張っておらず、なかなかの道だ。しばらく下ると、標識はないが、
亀の尾峠とおぼしき、地溝へ。
自動車用の道路が出来るまでの街道だった割には、荒れていた。
石畳もあるとの話だが、本当に亀の尾峠なのか。
とりあえず、亀の尾峠であると仮定して、その東に存在するはずの、
もう1つの"それ"を探して、亀の尾峰の方へ登る。
人の踏み跡があったり、開けていたりしたので、迷うことなく、
それらしき箇所に到着。4等三角点らしき石もあった。すぐに折り返し、
亀の尾峠らしき所から南の南畑ダム方面に下る。
北にも行けるはずだが、荒れているようで無難な方を選ぶことにした。
少し行くと渓流に出て、道を見失った。しばらく、うろついてみて、
水のない川の跡のような所を下って行くと、正解だったようで、
赤いテープがあった。後は迷う所もなく下り、
車道に出る前に、石塁で幾重にも段々にあった地に出た。
屋敷の跡だそうだが、興奮せずにはいられなかった。
画像にしたが、ブレて失敗。名選手を扱うのは難しい。
かつてのダメカメラにはうんざりさせられたが、
名監督でないと名選手も扱えないのも事実。三脚が必要か。
すぐに車道に出る。バスの便もないので、そのまま筑紫耶馬渓を下る。
市ノ瀬まで出るとバスの本数は増えたが、途中で寄りたい所もあったので、
歩くことにした。
共栄橋の所にある"それ"を久し振りに訪れる。
いまいちな印象は変わらない。
すぐに車道に出て、ひたすら左を流れる那珂川と共に下る。
早良区方面、小笠木峠方向への分岐がある山田に出ると、
最後の目的地、松尾山(老林山)が見えて来た。果たして登れるだろうか。
いや、正確には、登るための道、いや、山に入る口はあるだろうか。
中古自動車屋の脇からタイヤを乗り越えて、山に入る。
急斜面な坂を直登してみる。もちろん道はない。広葉樹林なのが救いか。
簡単にピークに出ると、北西の方向に行けそう。
なんとなく踏み跡らしき感じもある。
少し行くと、竹薮だったが、道があって登れた。
さらに進むと、明らかな堀切跡に出て、大興奮。竪堀の跡まである。
曲輪の跡もはっきりしとって、すかさず撮影にはいるが、
暗い所はどうしてもブレる。
おまけに静止すると、蚊が近寄って来て、採血される。
ほどほどに諦め、頂上へ。頂上は三日月型の狭いエリアで目ぼしい物はない。
すぐに下る。道は結構難しくなく下れたが、最後の最後でやはり見失った。
多少行き過ぎた勘はあったが、まあ大して高くもない山やし、大丈夫やろうと。
とりあえず、下の道路385号線を走る車の音が聞こえる方へ道を探す。
平行移動して、なんとか下りれそうな所を見付けて、ガサゴソとしていたら、
不審に思ったのだろうか、不審そうなおじさんが何かいるのかと様子を窺っていた。
そこへ、小生が何喰わぬ顔で下りて車道へ出て行くと、
びっくりしたようだが、何喰わぬ顔で去って行った。なんだったんだろう。
まあ、まともな人はまず登らないような山だから、
あちらに分があることは認めよう。
ブロックで囲まれたバス停『松尾』はすぐ横にあり、
とりあえず、その中で上着を着替えることにした。
真向かいの軒先でおばちゃん2人がダベっていたので、少し恐縮して、
着替えていたのだが、
その1人が「シャツのタグが出ているよ、暑いから仕方ないわね」、
と云う具合にツッコミを入れて去っていった。
タグが出ていることぐらい認識していたし、そっとしておいて欲しかった。
バスに乗るのも那珂川営業所まではたいしたことないので、完徹することに。
那珂川営業所前の古本屋で1冊ゲットして天神に戻る。
天神の本屋で汗臭いザックを背負いながら、物色し、山関係の本を購入。
格好もそのまんまで少し恥かしかった。
と云いつつも、
平気でその格好で天神を徘徊できるようになりつつある自分を見付けた今日此頃でもあった。
水谷、平島-川島-千代反田-宮本、田中-米田-篠田-古賀、
ベンチーニョ-福嶋。
今年度2回目の九州クラシコ。
1週間前以上から、過激なサポーター同士で前哨戦は始まっていた。
(お互いに誹謗中傷し合っている感があったが、
仲の良い小学生同士のケンカとしか感じなかった。)
それだけ、お互いに負けられない感は強い。というのも、Jリーグ発足後に、
先にフューチャーズが鳥栖に誘致が決まり、その同じ年に、
藤枝ブルックスの福岡誘致が決まり、スポンサーの奪い合いがあったり、と、
距離的に近い上に、JFL時代にもJを目指して争ったチーム同士ということで、
チーム状態が何であれ負けられない相手である。
試合前の練習時から、お互いのブーイング合戦があり、
いやが上でも選手も観客もボルテージは上がる。
この日、生え抜きの篠田の200試合出場を記念して、
福岡を応援する人間は背番号"6"の紙を掲げ、それを祝った。
試合開始直後3分に、右サイドから下げたボールをノートラップで米田が、
FWが作った中央のスペースに蹴り込むと、これに古賀が詰め、そのまま、
効き足の左のアウトで合わせると、これがそのままゴールイン。
(後日、映像で見ると、J2にはもったいないワールドクラスだった。)
幸先良く先制点を奪った。
これで楽に戦えるかと思われたが、現実はそう甘くなかった。
鳥栖のハードなプレスの前に、FWはボールを持てない、MFはボールを持っても、
前との距離があってDFラインに回さざるをえない、DFは前からプレッシャーを受け、
ロングボールを蹴らざるをえないの繰り返しで、一方的な鳥栖ペースになった。
鳥栖は本橋、伊藤を中盤の底として、右の小石、左の中村、が伸び伸びと上がって、
ボールが良く動いた。中でも小石のスピードある上がりはキレがあり、
ファールを誘った。とにかく、福岡はCKに逃げるので精一杯になっていた。
そんな中、
DFラインで回していた福岡の川島がトラップミスから後ろを向いたところに、
鳥栖FW竹村が詰め、これを奪い、GK水谷をかわして、同点とした。
これには、福岡のサポーターもしばらくは絶句したようで声が上がらなかった。
これでより鳥栖ペースとなり、前半終了間際には、ロングスローのこぼれ球を、
高橋に折り返され、そのこぼれ球を朝比奈に押し込まれ逆転された。
まさに気持ちで持って行ったゴールだった。
福岡は前半最後にCKから篠田が決めたが、これは明かにオフサイドだった。
結局、開始3分のシュート以外1本も撃たせてもらえない展開で前半を終えた。
この展開にブーイングが起きたのは云うまでもない。
正直、負け試合だなと覚悟させられたし、鳥栖を応援したくなる展開であった。
後半頭から、FW福嶋に代え、MF山形を入れ、田中をFWに上げた。
チームの狙いがはっきりしたのか、田中に1度ボールを預け、
右を山形がキープして上がれるようになった。
さらに、ボランチ篠田に代えて、左SBの立石を入れて、宮本をCBに、
FWのベンチーニョをボランチ、CBの増川をFWに上げた。
増川が空中戦を制し、高い位置でボールをキープし起点となると、
これで一気に福岡ペースになり、鳥栖は防戦一方になった。
さらに福岡の選手は前半となまるっきり気持ちの入れ方が違って、
セカンドボールは尽く拾って前へと繋ぎ出した。
そして、山形がDF1人を得意のドリブルでかわし、
PA内から上げたクロスに増川が合わせ同点に追い付いた。
これで俄然福岡ペースになった。
鳥栖の竹村が怪我で倒れていたのをボールを持っていた本橋が気付き、
ボールをすぐ外に出しせば良いものを、そのまま保持して審判の注意をひいたが、
目の前にいた福岡の田中は周りが見えておらず、このボールを奪い、
一気にゴールへと向かうと、
緊張を弛緩させ、ホイッスルを待っていた鳥栖のDF陣も慌て、
ファールで止めた。ここで鳥栖の選手らは当然のようにキレ、
クラシコという事実も手伝ってか、乱闘さわぎに発展しかけた。
これは結局、鳥栖の2選手がイエローを喰らうという少し不憫な結果に終わった。
だが、本来は本橋がセーフティーに外へ蹴り出せば良かったわけで、
気付かなかった福岡の田中も責められない。
このファールで得た、FKは決まらなかったが、
FW田中に代わり、有光が入り、右は平島、左は立石、
それにボランチのベンチーニョと米田、SHの古賀と山形が、
FWを越して攻めていたので、鳥栖はマークに混乱し攻めに持って行けなくなっていた。
得点は、右サイドからの米田のクロスにファーにいた、
ベンチーニョ。
ベンチーニョは、ゴールから遠くにいたのにも関わらず、
おまけに、今日もかなりドフリーな展開でもはずしていたのにも関わらず、
多くの観客の予想を越えて、なんとゴールを決めた。
この後のベンチーニョの動きは軽やかで、
彼にしてはガラにもなくスライディングまでして、
必死にデフェンスまでやっていた。
試合は、鳥栖の途中交代で入った下司が2枚のイエローで退場し、
福岡は逃げ切るだけで良かった。
それにしても、途中の中断が長かった割にロスタイムは、たったの3分と、
主審の時計が信じられなかった。少なくとも5分以上はあったと思われるが、
勝っていたから良しとした。
お互い、前半と後半とまるっきし違うチームだった。
前後半でユニフォームを交換してプレーしたんじゃないかというくらい、
ここまで全然違うのも珍しい。
後半の気持ちを前面にした試合は、今季初めてで、
昨年の好調時を思い出せるものだった。
今日の試合は、そういう意味でも、勝ち点3以上に大きな勝利であったと考えられる。
だが、次の試合に今日の後半と同じ気持ちで挑めるかどうかは、未知であるし、
まるっきし違うチームとなったこともあったし。
ともかく、後で振り返った時に、今季の転機であったとなることを望む。
2月以来の歌舞伎。
3階席のC席ながら1番前の真ん中なので値段の割に観易い。
3階なので花道の様子が余り観られないのが仕方のないところ。
今日は夜の部で、武田勝頼と長尾謙信を扱った『十種香』、
『年増』、義経、弁慶で有名な『勧進帳』、『其小唄夢廓』。
最初の3つは、素人には、台詞がイヤホンの解説なしでは理解しにくい物で、
最後の『其小唄夢廓』は、芝居のような感覚で観られる物だった。
『勧進帳』での武蔵坊弁慶(松本幸四郎)の登場時の喝采はすごかった。
見栄を切る時の、屋号のかけ声も違ったように思えた。
『年増』の中村芝翫の長男が、2月に博多座で『お染の七役』をした中村福助、
次男が大河ドラマ毛利元就の中村橋之助であると理解した。
が、あろうことか、自宅で発生。5、6匹もいたので、すぐさま抹殺。 Gよりはマシだとpositiveに考えることにした。
「人は噂好きやね」との科白が意味が全く分からず、
長い休暇に、いつもの性質(タチ)の悪い冗談(核理では『=挨拶』)で
「新婚旅行ですか?」と聞いたら、
「新婚旅行"には"行かない」との返事。
ボケにしては、真剣な表情。確認をすると事実とのこと。
理研に行った院生に、その話を聞かされていなかったので、
寝耳に水だった。
自分のボケツッコミに対し、予想もしないカウンターを喰らい、ノックアウト。
「おめでたふございます」と言いそびれたので、この場を借りて。
それと、勝手にいろいろと根も葉もない噂をしておりますので、
その分を前もって陳謝しておきます。
だが、小生の考え通り、遠足時にはあっさりと否定された、
「D(0)=本人がドラマの主人公」はズバリ的中していたわけだ。
我ながら良い勘してたな。但し、日頃からD(0)でない人に限る。
九州山口核理懇終了後、大島行きのフェリーは13:55で、
欠航の可能性ありと書かれてあるが、確認してみると、
今日は大丈夫だろうとのこと。行ったきり、帰って来られないのは悲劇だ。
ネタとしては最高の部類に属するように思えなくもないが。
出港まで、
1時間半以上もあったので、神湊の裏手にある山にある"それ"を再訪することにした。
前回
はダメデジカメで暗くて画像が使えなかったし。
今度は道を間違わずに入って行くと、前回気付かなかった、すぐにそれと分かる、
竪堀跡。ちゃんと看板まであった。
本丸に向かって、そのまま進む。本丸跡で撮影にはいるが、
どうも暗過ぎるせいか、手ブレマークが出てしまい、頑張って静止して撮影するが、
哀しい哉、ブレてしまう。三脚があれば。
蚊も結構いたので業を煮やして、前回行ってなかった本丸から先の北側に行ってみた。
こちらにも遺構はちゃんとあり、さらに行けども薮と化して、諦め引き返し、
本丸跡で再び撮影を試みるものの良い画像は撮れなかった。
さらに出丸への分岐にある石塁を撮影するも、ブレる。
諦め、余り道のはっきりしない出丸へ登ってみるが、途中で道が分からず、
蚊にも悩まされ引き返す。
最後に竪堀を撮影するのに、静止するところを蚊が狙って来て、
格闘しながらも、なんとか1枚撮れた。
既に時間は13:15になっていたので、フェリー待ちのところで軽くパン1つの昼食。
まあ、昨日の夜、今日の朝、と大食しているから大丈夫だろう。
13:55にしっかりと出港。波はさほどたってないものの、風が強かった。
20分で到着。20分ながら、やはり孤島に来た実感は湧いてくる。
中津宮の中を通って、御嶽山(224m)に登る。
標高はたいしたことがないが、時期が時期だけに暑い。
登山道入口から15分ちょいで到着。東から南にかけて展望が効く。
周りが海なので、迫力を感じない。
車も走られる遊歩道を北に下っていく。
カラスやタカ?らしき鳥がこの暑い中舞っていた。
途中、スクーターに乗った警官に抜かれ、しばらくすると引き返して来た。
港から歩いてきたことに驚かれ、こちらも暑いですねと同意を求め、
和やかな雰囲気のままに別れる。しばらく行くと、牧場に出て、
最早日光を遮るものはなくなり、
砲台跡に出た。
昭和11年に建設されたらしいが、どれくらい使えたのだろうか。
日露戦争でのバルチック艦隊を破った対馬沖での海戦を引きずったままの、
当時の日本軍が思えてならない。主流は航空機へと移り変わりつつあるのに。
砲台跡を見て、風車のある先端へ行ってみる。
北からの強風の中、雄大な玄界灘を眺める。
海の正倉院、沖ノ島は見えないようだ。
時間的にも余裕はあるので、神崎にある灯台に行ってみる。
遊歩道があるので、それに従う。最初の頃は牛糞だらけだったが、
しばらく行くと、それはなくなり、歩き易くなった。
そのうちに海沿いの崖の上に遊歩道のコースは進む。
木陰に入ると、ザワザワーと枯葉が揺れる音がする。
足下からも音と共にチョロチョロと集団で動く物が。
真っ黒クロスケであれば、おとぎ話で済ませるところだが、
現実は見ためゴキブリticなフナムシ。
足を1歩踏み出す度に両サイドに動き出すものだから、
さながら、モーゼの気分である。
しかし、中には、慌てているのか、わざわざ、
こちらの足下に入り込んで来るやつらがいて、こちらが神経を使ってやって、
踏まないようにしてやる始末。
それが続くうちに軽い脱水症状か、微小な吐き気に近いものを催し、
ヤバいなと感じ始めた。とにかく目的地まで行ってしまおう。
神経も雑になったところで、1回だけ、「何か」を踏んだようで、
ヌルッとした感触を靴の裏に感じた。
とにかく、気にしないようにして、馬蹄石は回避して灯台へ。
さっき見た景色と変わりばえしない。
江戸時代に神父が禁教のために隠れたと謂れる、三浦の洞窟に足を伸ばす。
そこの直下の海は、透きとおって、
日光の影響で綺麗なブルーに反射して見えた。
洞窟にはフナムシしかいないようで正直たいしたことのなかった分、
得した気分にはなった。
すぐに灯台まで戻り、フナムシだらけの遊歩道は回避し、
距離的には短かい車道を歩くことにした。
余りに直射日光が強いので、タオルを頭から頚椎にかけて覆うことにした。
この年齢だと、まだ人様には見られたくない姿である。
命とは引き換えには出来ないが。
なるべく日陰を歩くようにして、
先程通過した峠を今度はそれとは直交するように通過。
風が強くて冷却される。が、とにかく自動販売機を見付けたい。
温泉を目指して歩くが、目の前には山があって、
アスファルトはそれを迂回するように北に伸びる。
本当に道が合っているのか不安になりだしたところ、
やっと先に自動販売機を見付け、温泉を示す標識も出て来た。
とりあえず、水分補給。生き返る心地がする。しばらく南下すると温泉に出た。
温泉は今日は客が少ないようで、かなり独占でき、快適そのもの。
18時の最後の便まで時間に余裕があったので、ゆっくりと港に戻る。
前九年の役で敗れた、安倍宗任の墓を見て、港に戻る。
船はちゃんと出るようだ。
来た時よりも波は強くなった気がした。
ありきたりの最終回に正直がっかり。 まあ、その前から、なんとなく面白味を欠き始めてはいたが。
に突入した。
水谷、平島-川島-千代反田-宮本、田中-米田-ベンチーニョ、
山形-増川-古賀。
形式的に4-3-3だが、実際は、田中がFWで、山形、古賀はMFの4-4-2。
川崎は余裕で首位を走るせいか、サポーターの数も多く、
わざわざ博多の森に馳せ参じたようだ。応援の声はかなり大きい。
あんだけ勝てりゃ、応援し甲斐もあるというもの。
試合が始まると、福岡ペースで展開した。
川崎のDFラインは5バック+2ボランチに近い状態で、
攻撃は前の3人(ジュニーニョ、マルクス、我那覇)でよろしく、といった具合。
この堅い守りを崩そうと福岡は、ここ最近4連勝しているせいか、
攻撃に躍動感が感じられた。昨年の後半の好調時に近い気がした。
前半のうちに、古賀がGKと1対1で、蹴ったボールをGKに当てたり、
田中が撃ちきれなかったりと、チャンスを潰し、
徐々に自ずと流れが川崎ペースになりつつあった。
その流れに乗るように、米田や宮本が危険な位置でボールを簡単に取られたりと、
どこか緩慢な空気が両チームに流れて前半を終えた。
1週間で3試合じゃ、疲労も回復しきれないだろう。
それだけに前半のうちに先制点を奪いたかった。
後半開始から川崎が左から仕掛け、ジュニーニョがクロスを上げると、
それにマルクスが頭で合わせ、先制された。
観客も福岡の選手も緊張感が抜けていたように感じた、23秒でのゴールだった。
後半頭は前半からの継続した雰囲気から、
この失点に悲愴感は漂わなかったが、
福岡の選手の足は疲労から徐々に止まっていった。
前節で成功した、山形→有光の交代も、今回は単なるボールの持ち過ぎによる、
時間の無駄遣いにしかならず、さっぱり機能しなかった。
時間とともに疲労は蓄積され、手詰りになる感触があった。
それに対し、先制した川崎は堅い守りを徹底し、
前掛りな福岡に対して効果的なカウンターで、あわや、というシーンを作り出した。
福岡は、最後にDFの川島もFWに入れ、パワープレイに出たが、
ロスタイムの増川のヘッドを除けば、機能せず、力尽きた。
予定では、小雨の降る中、三加和町まで大牟田・南関乗り換えで行き、
到着する頃に雨が止むということだったが、6時に起床すると、
すさまじい雨で、モティベーションも始めからさほど高くはなかったのもあり、
あっさりと却下し、寝直す。
11時くらいに起きると、外はほとんど降っていないようなので、
いずれ行こうと考えていた、
古賀市にチャリで4年振りに行くことにした。
3号線を上昇し、原上で右折。3号線沿いに「牧のうどん」新宮店を発見。
昼飯まで我慢しよう。原上から道を入って行くと、おそらく旧街道なのだろう、
「太閣水」があったりと、雰囲気を感じる。
岳越山の麓に着き、チャリを停め、登る。
標高100mちょいしかないから大したことはなかったが、
こんな低山に雨上がりに登る人は普通はいないようだ。
撮影をして下山。下山という程、ものものしいものでもなかったが。
再びサドルの上の人となり、4年前のコースに合流し、
途中からフラットな米多比経由で清滝へ。
清滝寺の裏手から、つぐみ岳へ。
この、つぐみ岳への道は古賀市登山協会が整備されたそうで、
感謝の念を持って登る。
が、山道に沿って、今朝から降った雨水が流れ、歩きにくいことこの上なかった。
こんな日に登る人間がいけないのだろうが。
頂上までは15分くらい。
麓から見たように、雲の中らしく、靄(もや)っていた。
頂上は確かに"それ"の跡らしいが、
はっきりと、これだという証拠がなく少し残念。
下る。途中、雨のために滑り易い箇所があり、ハマる。
清滝寺に出て、やっと体がほぐれて来たところなので、
4年振りに真向かいの城の山に行ってみる。
4年前も暑いで子供達が渓流で水遊びをしていた記憶がある。
今回は雨のせいで激流となっていて、さすがに誰もいないかと思いきや、
貯水池の麓で車を停めて水遊びをしている家族がいたようだ。
そこを通り過ぎ、記憶の通りに右に折れ、貯水池の北側に出て、
分岐を右に折れて、城の山へ。
ここも古賀市登山協会が整備したらしく、案内札が木に巻かれてあった。
その通りに曲がり、赤いテープ沿いに登って行くと、
どうも4年前とは道が違った。あの時は倒木を除けたりしたが、
曲輪構造を見ることが出来たが、今回はすぐにピークに取り付いて、
尾根伝いに行くコースになっていて、いまいち残念。
頂上までの道の途中にあった"二の丸"の看板も完全に真っ白に褪せてしまっていた。
頂上でしばらく撮影し、すぐに下る。
チャリを置いた清滝寺の麓の橋まで往復1時間。
汗を流した体を清めるために薬王寺温泉へ。
チャリで日帰り風呂のある所まで。
他にチャリで来た人はいないようで乗用車が多々停まっていた。
せっかく温泉に入って、また汗を流して帰宅する人もいないだろうし。
温泉の入口で、水を汲みに来た人に、マジマジと眺められ、
哀れみ?の笑みを戴く。おそらく。
「チャリで来たのかよ? それにしても、すごい汗だな。」と言わんばかりの視線。
こちらも無言のまま、笑みで御返し。
「いや、その前に清滝で山に2つ登って来たんですよ。それに福岡市から。」
と云う内容の笑み。
温泉の中は、先週の大島と違って、大勢の人。薬用風呂の蒸気に蒸せる。
少々、薬用風呂を舐めてかかっていたが、入ってしばらくすると、
部分的に体が熱し、痛み出す始末。慌てて、普通風呂に入るも、痛みは退かないので、
露天風呂に出て、外で冷やす。
ややしばらくあって、痛みは退き、退散。
チャリで一気に下って、3号線に出る。
福岡市方向にしばらく戻り、空腹のために苦しみ出したところで、
17時頃、「牧のうどん」に到着。いつもの如く、肉うどんを注文。
ネギをたんまりとのせ、モチモチした麺と、醤油ベースの甘辛い肉と白ネギと、
そこからしみ出た甘い汁+うどんの汁が、見事に調和する。
まさに、"うどんの三位一体"。すでに神の領域を越えた感がある。
汁を最後まですすり、満足の下に店を出る。
3号線を下り、香椎に寄って、帰宅へ。
香椎宮前駅-西鉄香椎間で高架工事されていたのには驚いた。