で行けなくなった父親の代わりに歌舞伎を観る。
当初抱いていた固くるしいイメージとは全く異なる世界。
解説のイヤフォンも貸してくれて、おまけに面白い。
役者が見得を切ったときに観客の屋号を呼ぶその声は芝居を引き立たせる。
当ページの存在が愚妹にバレる。しかも親にまで。
うかつなことは書けなくなった。
それ以外にも、こちらが特定しきれていない人物から、
日々の生活を覗かれているようで薄気味悪い。
そのうち箱の中で暮す羽目になるのでは。
情報化社会、あな恐し。
【お願い】
一応、面識ある人間(出生から大学まで)には、
当ページの存在は意図的に知らせていないので、
偶然発見した小生と面識ある人間はこちらに御連絡下されば幸いです。
身に覚えのない、
mary,smith,anna,debby,ted,andrew,その他1通のreturned mails
と自分宛の4通が来た。
@の前に適当な名前を冠したアドレスを発生させるウィルスらしい。
これを、鑑みるに日本人の名前は多種多様な為に繁殖力には欠けるか。
携帯メールを攻撃出来んのかなあ、と呟いてみる。
天神までチャリで行き、大牟田行きの特急を久留米で乗り換え、
普通電車に乗り込むと、ジャージ姿の人ばっか。犬塚駅下車。
水沼の里2000年記念の森は、人の後ろを着いて行くとすぐに到着。
予想通り野外会場。天気が良くてなにより。
受付時間がスタート2時間も前やけん、ゆっくりと着替え、upし、
軽くジョグり、少しスピードも上げる。相変わらず、両足の調子は悪い。
余り記録に拘らずに行こうと思う。
スタート20分前に上着を取り、最後のup。
10分前にスタート地点に行くと、狭いスタート地点は人で溢れ、
足の調子の悪さを鑑み、謙虚に先頭から後ろ6列辺りに控えることにした。
無理はしたくなかったし。
いざ、スタートしたら、やはり急くもので、集団は密集し走りにくい。
前へ前へと出る。公園内を1周し、外に出る頃にはバラけ、
しばらく行くと1kmだった。ここでのラップは3'41。
本当かと少し驚いたが、とりあえずこのペースをキープ。
周りに既に鼻息の荒い人や徐々に落ちて行く人がいる。
しばらく我慢していると楽になり、田んぼと民家の中をジグザグに走り抜ける。
先頭がはるか先を行くのが見えた。そのうち周りが抜けて行き、1人になり、
前を5〜6人の集団が走っていた。
まだ序盤やけん、勝負をかけるには時期尚早だろう、と判断。
4km手前だったか、3mくらいの唯一の坂で集団のケツに追い付くと、
すぐに給水所があり、ここは飲まずに、遅くなった集団をさくっと一気に抜いた。
まさに魔の給水所か。しばらくは後ろに付かれたが、折り返しを通過後に、
ペースを維持して振り切った。
20m前に女子ランナーがいて、追い付こうとしたが、向こうもさる者、
なかなか縮まらない。7km辺りがきつくなんとか1人かわしたが、
女子ランナーとの差は微妙に縮まったくらい。
トップの女子ランナーの後だけに、沿道の応援が既に飽きが入っている。
敵役に近い感もないではない。そのうち1kmを過ぎ、多少スピードを上げたが、
公園内に入るまでには10m差くらいにはなったが、
公園内は芝で踏ん張りが効かずスピードが出ず、
ゴールも39歳までの男子は一番遠く、
結局、1〜2秒後にゴールした。
公式記録では3秒差だったが、3秒もなかったと思われる。
RCチップでなかったけん、ストップウォッチの誤差が生じ、
なおかつ四捨五入されたのだろう。エラーバーを付けて欲しい記録だ。
39'52±0.5とか云う具合に。
ラップもほぼ走るペースは同じだったにも関わらずのバラツキ。
おそらく、ありがちなkm表示の誤差だろう。
(1,2,3,4,5〜6,7,8,9,10km)
3'41,3'40,3'53,3'57,7'55,3'41,3'50,3'41,3'34。
着替え、豚汁を貰い、表彰式を見て、予定通り渡る。
まず、東に行き、筑後市西牟田に入る。
しばらく南下して、すっかり、三潴町西牟田に寄ることを忘れたことに気付く。
もう戻る気はしない。
筑後市の方の"それ"は、文献を以ってしてなんとか"らしき"箇所を発見。
但し民家だらけのために怪しまれないように、そそくさと撮影と徘徊。
すぐに大木町生岩方面へ田んぼを突っ切る。
以前来た所なので比較的楽に発見し、現在のデジカメで撮影。
それでも周りが田んぼなので、違う道からのアプローチは難しく、
実際はうろうろ歩くうちに、、ここか、と云う感じだった。
ここから大溝方面への道はちゃんと記憶にあって、
"それ"らしき所で確信をもって撮影し、蛭沼方面に南下。
やはり、沼自体は地図の通り埋められたようで、諦め、八丁牟田方面へ。
とりあえず。おにぎりを2つ食して、横溝方面へ。
途中、横溝本村を聞いて道が合っていることを確認。
が、本村で"それ"がどこなのか分らず、うろちょろし、おばあさんに聞いて、
それとなく分かり、適当に歩いて、看板を発見。区画整備されて何もない。
すぐに大溝駅まで行き、天神まで。
自宅に親が冬用の毛布を持ってきた。
母親と妹が、部屋を詮索してうるさかった。
冬用の毛布が温かすぎて、寝ている間に布団をはね除け、寝冷えし、 風邪をひいた。 風邪をひいたのは一昨年の12月以来か。 この時も寝冷えか。。。
ウェーバー 序曲「精霊の王」 op. 27
ベートーヴェン ヴァイオリン協奏曲ニ長調op. 61
ブラームス 交響曲第1番ハ短調 op. 68
最初の2つは、暗闇の中を道路地図もなしにドライヴする感覚。
(教習車以外を運転したことはないから想像の域を越えないが。)
ブラームスの交響曲第1番こそが、今日の目的。
以前、バッハを聞いた後に、数日後そのCDを買い求めた際に、
ブラームスの交響曲集+etcが1000円というのを見付けて、
おまけ感覚で購入したのが、意外にハマるきっかけだった。
聴衆はかなり入り満員に近い状態。季節柄、演奏中にも咳を催す人が多々いて、
特に楽章の間の"間"は、わざと咳をしているんじゃないかと思うくらい、
すごかった。ソリストと指揮者が顔を見合わせていた。
交響曲第1番は第1楽章の入りからもう鳥肌物だった。
もう1つの場面は、
やはり第4楽章のベートヴェンの第9の旋律に似ていると云われる部分×2だろう。
特に最初の、一呼吸あって、来るあのタイミングが体の芯からゾクゾクさせる。
すごい盛り上がりで終わった。
というのも、スタンディングオベーションを送る人も1人いたくらいだった。
が、これに気を良くしたのか、アンコールでほとんどの人が知らないような?
落ち着きすぎた曲をやり、最後の拍手のタイミングが掴めず、
尻切れトンボのような感じで幕を閉じてしまった。
高速バスで延岡へ。
バスの乗客には、同一目的の人間が少なくとも、数人いることが見てとれた。
高速から下りて普通道を進行中も本を読んどって少し酔う。
高校時代にスキー目的で来た五ヶ瀬、高千穂が懐しい。
小生のカラオケ拉致事件
【友人3人と高千穂まで来て、
わざわざここまで来てカラオケに行く人間に無理に連行されると云う、
最初で最後のカラオケ体験。もちろん聞くだけだったが。】
は高千穂で起きたわけだし。
延岡に12:30頃着き、"それ"に向かう。歩いて行くには時間的に厳しいので、
バスを探したが、次の便までは相当あったので、
たまたま、ちょうど良い、高千穂鉄道で、次の駅、西延岡駅まで。
駅下車後は、行きがけのバスから偵察していたので、割と簡単に発見。
途中、足を捻り、はっとさせられる。しばらく廻って、
五ヶ瀬川を渡り、西階運動公園へ。
ここに説明板はないのか、さっぱり分らず、違った山に登ったりと一苦労した結果、
なんとか地元の古老に教えてもらい軽く登り、到達。
ハンドマイクを持って説明を終えた地元の団体が先客だったようだ。
西階運動公園の入口付近では自衛隊などが明日の大会のために準備をしていた。
16:00のバスの時間までもちょうど良い時間。歩いて、まずホテルにチェックイン。
そして、すぐ近くの、スタート地点であり目下準備中の市役所でゼッケンなどを貰う。
下見バスに乗り込む。セミプロ的待遇に浮かれてしまう。
1km毎に説明があり、充分に下見バスに乗った効果はあった。
そのまま、レセプションパーティーに向う。立食形式かと思いきや、
ちゃんと一人一人に席があって驚いた。
すぐ横のテーブルは招待されたセミプロ選手で、市民ランナーと違い、
鍛えられているせいか、さも速そう。
この大会に参加している市民ランナーもかなり痩せている人が多かった。
いろいろと挨拶があって、食事。
かなり本格的に出て来たので、空席もあるので遠慮なく、食いまくることにした。
同席した他のランナーから面白い話、ためになる話を聞けた。
最後の万歳三唱後も食べていたら最後になってしまい、残念ではあったが、
まだ多く皿に食物を残したまま、多少の恥ずかしさとともに去ることになった。
ホテルに戻り、ガムテープと割箸とペットボトルで、
急遽スペシャルドリンク作り。市民マラソンと違って、
バナナなどの食料は置いていないので、ちょうど福岡から持参してきた、
"いちご大福"を2つ、ペットボトルに付けて、25km、35kmに置くことにした。
腹が減っては走れない。
1つの懸念材料としては、要冷蔵で賞味期限は明日までだが、
今日も日中カバンに入れっぱなしだし、ホテルに冷蔵庫もなく、
おまけに明日も20度を越え、且つ雨が降ること。
下手をすると、腹を下す可能性もなきにしもあらず。
寝る頃に妙に空腹感を覚えた。もう少し食いたかった。
6:30に起床。まだ雨は降ってないようだ。
とりあえず、おにぎりを頑張って4つ食す。
これは青島の時には3個で、18kmくらいで空腹感を覚えたことを踏まえての経験から。
食後の散歩に、すぐ南側にある城山に軽く登る。
大学3年の時以来。天守台の鐘を見て、下った辺りで8時を報せる鐘の音が聞こえた。
とりあえず、スペシャルドリンクを預けに行き、再びホテルに引き返し、着替える。
9時前に最終コールの受け付けを済ませ、入念に体をほぐす。
まず、軽くランニングすることにして、最初の1kmコース(周回)を走ってみる。
まだ体は重い。五ヶ瀬川の川べりでランニングをしとう人が多々いる。
それにつられ、1周だけ回ってみた。妙に疲れた。
が、それは思い過ごしということにした。寒くないせいか、汗も結構かいた。
サリチル酸の匂う中、上着を脱いでいよいよ本番モードへ。
スタート時刻が近付くにつれ、ランナーがぞくぞくと集まって来た。
テレビカメラもスタンバってる。
今回は謙虚に後ろの方にいることにした。
といってもスタートラインを切るのに何分もかかるわけでもないし。
そして、スタート。
400人に充たない人数やけん、
スタートラインを切るのに10秒くらいのロスだったか。
ともかく、マイペースで行くことにした。
だが、ハーフ1'30と云う、小生にとっては苛酷な関門もあるために、
そんなに悠長なペースでも行けない。
五ヶ瀬川を渡り、西に曲がり、再び五ヶ瀬川へ渡ろうとする1kmの記録は、
4'08。予定では4'15を切れるかどうかだから、速いかと思い、少し落とす。
周りのレベルが高いせいか、どんどん抜かれる。
そのせいか、ペースもそんなに落とせなかったようだ。
体も軽いし、そのまま行くことにした。
3,4kmと行くうちに、長いな、と感じた。多少右腹が痛んだ。
ほとんど関門時間を考えなくて良い青島の時に比べると、
やはり気持ちに余裕を持てない。
青島での3,4kmは、まだウォームアップみたいなものだし。
ともかく、一定のペースで行く。
少しずつ、集団がバラけて来た。昨日のバスでの下見の通りの道でかなり安心。
10kmの前後で青島のゴール後に話した人が遅れて行くのを見た。
とにもかくにも、10kmを越え、多少疲労感を覚え、少し不安になった。
が、気にしないことにした。スポンジで体を拭いたり、水を飲んだりした。
そういえば、胃の消化が悪いのか、まだ何か残っている感じがした。
少しずつ調子が上がって来るべき距離に到達したが、
何か、いっこうに調子は上がらない。雨も小降り。
が、マイペースで集団から抜け出たり、吸収されたりを繰り返した。
16,17kmあたりで、遂に集団から振り切られ、今後の距離も考え、
無理をしないことにした。そのうち、調子が上がるかもしれないし。
が、調子は来ないし、疲労が少しずつ貯まっていくのが分った。
18kmの最初の関門を越え、先頭ランナー達が逆方向に行くのを見た。
さらに20kmを越え、
21km地点から飛ばし、なんとか30秒の余裕を持ってハーフ通過。
すごい疲労感。おまけに雨は本降りで折り返し地点までも、
それからも、相当きつくなって来た。練習であれば間違いなく止めていた。
こりゃ、ヤバいかもと本当に思えて来た。青島の時であれば、
さあこれからという感じなのに。
徐々に抜かれ、そのうち後ろにいるランナーも減ったようだし、
前を行くランナーもまばら。
どこまで行けるかな、と、かなりナーヴァスに。
ともかく25kmの給水でスペシャルドリンクを受け取りたい。
ラップ時計のボタンを押すのも、エネルギー切れで押し損なったりし始めた。
沿道で、リタイアしている人を見て、羨しくなった。
沿道のテーブル上のスポンジを取ろうと手を伸ばしたが、距離感に狂いが生じ、
1回目は失敗した。
25km過ぎのドリンク及び"いちご大福"を取る。
予想通り、大福は雨に濡れていた。それでも、なんとか食えた。
だが、ドリンクは、もう胃が受けつけなくなっていた。
どこで走りをやめるかを考え出す。関門でかかるのが理想形で、
30kmまで行った。
すると、関門をクリアしてしまい、止まれなくなって、苦しくなった。
それでも、もう慣性の法則のままに走り続け、沿道の応援を聞くのがつらくなった。
"がんばれ"と応援してくれるが、頑張れるんなら、
とっくの前に速く走れとうわけで、"もう無理をするな"と言って欲しかった。
おそらく、顔の表情も"うつろ"になっていただろう。
残り10kmの峠も越え、いよいよスピードも落ち、
どこで果ててもおかしくない状況まで来た。
後ろを見ると最終ランナーになったのか、誰もいない。
33kmを越え、沿道からは"残り10km、頑張れ"と声がかかる。
もう10kmもないのに、それは逆効果でしかなかった。
まだ、10km近くあるんだから、やめれや、と白いタオルとともに忠告するように。
なんとか34kmも越え、35kmの関門もクリアしそうに思えて来た。
すると、おそらく最終ランナーに抜かれ、完全に気も萎えた。
視界も既に両端が点滅し始めていたし。
これ以上、見苦しい走りをさらけ出したくもない。
と云いつつ、10km以上も、さらけ出したが。
そんな気持ちを見透したかのように、足は止まり、気持ちもふっ切れた。
後ろにバスがいることを知っていたので、運転手に目でサインを送り、
乗ることにした。
その際の、バスの扉が開く、その動きを今でも思い出すことが出来るくらい、
ゆっくりと、神は手をさし伸べてきた。それに、すがるかのように、
バスに軽く乗り込み、オフィシャルドリンクとタオル、毛布を受け取り、
椅子に座り、気持ち良く、軽く寝た。なんとも云えない安堵感。
おそらく、小生は危篤を迎えた時は、かなり簡単に逝ってしまうのだろう。
想像に難くない。しばらく寝て、途中、3人くらい、
やはりヘロヘロのランナー、否、仲間が乗り込んで来た。
40kmの最後の関門を越えると前に歩きながらも懸命に走ろうとするランナーが。
バスに乗った脱落者のうち、
外を見られる余裕のある比較的元気な人達の温かな視線を背中に受けながら。
バスの中のそれを見ている人の心の中では誰しも、
自分達の分も頑張れと祈っているようだった。
そんなカッコ良い主役とは裏腹に我々落伍者どもは、
ゴール前を通らずに1本裏の道路をバスで進み、市役所裏に到着。
厚く御礼を言って、皆コソコソと裏から市役所に入っていった。
これだけでもドラマになる。
4'09,4'07,4'08,4'14,4'15,4'20,4'11,4'13,4'12,4'12 (10km: 42'00)
4'13,4'18,4'07,4'18,4'13,4'14,4'13,4'14,4'22,4'20 (20km: 1:24'32)
4'25,(Half: 1:29'21),4'25,4'33,4'40,4'35,4'58,5'02,5'04,5'24,5'11
(30km: 2:12'49)
5'41,6'22,6'24,6'57,1'32(retire).
サービスのうどんを食い終え、これだけで帰福できんので、
帰りのバス17:30発までの時間、もう1つの"それ"を見に行くことにした。
はっきりとした場所を断定できんで、当地でも苦労するだろうと想像していたが、
はたしてその通りだった。道を行く人がなかなかおらんし、
おばあさん2人にそれぞれ聞いてみたが、皆目見当もつかない。
どこかに、おじいさんがいれば良かったのだが。
仕方なしに足で何とか探して、やっとおじいさん発見。
聞いてみたら、やはり御存知で、道を聞くのは、
やはり男に限るとしみじみと実感した。
"それ"は冬にも関わらず、シダ植物が繁茂しまくって、少し大変だった。
碑自体も倒れてあって、撮影のために起こして木に立てかけておいた。
再び下山して、マラソンのサービスであった入湯サービスを行使すべく、
たまたま指定されたていた昨日泊まったホテルで汗を流した。
そして駅へ。もう市役所前は何事もなかったかのように静まり返っていた。
再び、午後から風邪の徴候か、胃に"吐き気"を催す。
昨日まで納得していた、今回の出来について、かなり悔しさがつのり出した。
今回のリタイアの原因についての考察。
失敗から学ぶことが多々ある。活かせるかどうかは、また別の問題ではあるが。
2001/11/1から、ついに。
ふと、思うことがある。役に立っているんだろうか、と。
無駄も必要だとは思うが。