ルーニーのレッドカードは98年のジダンのように事故としか見えなかったが、 元来の年齢以上にふてぶてしい態度が呼び込んだのか。ともかく、 ポルトガルはデコがいないせいか、リスクを負ってまで攻めない展開が続き、 見応えのない試合だった。PKでポルトガルのGKリカルドは全て読みが当たり、 神懸かっていた。
ビエラとマケレレの前にブラジルも屈っした。 試合を踏むにつれ強さが増しているフランス。ジダンのキレも良いし、 リベリーのドリブルもキレキレ。このまま爆進か。 一方のブラジルは、ロナウジーニョがマークされてしまったら、 他は駄目だったのか。
昼過から出掛ける。南茨木で降りて、沢良宜へ。
モノレールの下でなんとなく土地勘が働かない。
適当に道を行くと、運良く城址を記した看板。
マンション群の中の公園だったから、本当に見付けだすのは困難であったはずが、
運が良かった。沢良宜神社も見て、水尾城へ。
こちらも住宅地の中の城跡で、どこにあるのか見付けるのは難しい。
記憶の通り住宅地の中を経回り、伯光神社を見付け、その脇にある小さな石碑を発見。
やれやれ。図書館の分館に入り、茨木市内の地図を借り、頭にインプット。
三宅城に向かう。
元来た道を引き返し、高速道の下を潜り、
普通の住宅地の道を行く。
基本的にこういう場所が一番見付けるのが苦労する。
阪急の線路を越えて、右折し、蔵垣内公園を探す。
しっくい壁の立派な家もあったりする区域で歴史を感じさせる。
蔵垣内公園の隅に碑があるだけで、
少年達が遊ぶ中、目立たぬように撮影し、去る。
JR千里丘駅はすぐで、山崎駅へ。
天王山は久々で懐しい。宝積寺の境内を通り抜け、山道に入る。
日没も近くなり、やや薄暗い。人の気配がない。
ともかく急いで頂上へ。
いまいち遺構らしい遺構というのがなく、丹念に探せばあるのかもしれない。
天守閣跡から下りた時に足下からスズメバチが飛び立ち、
かなりびびった。巣でもあったら大変なことになっていたが、
杞憂で済んだ。そそくさと下る。観音寺の方から下り、下山。
阪急の大山崎から電車に乗ると、雨が降って来た。運良し。
90分では0-0ながら、これまでのPK戦に繋がる決勝トーナメントの他の試合に比べて、
攻守の切り換えが速く、守り過ぎない点で面白い内容だった。
スペイン敗退後にイタリアを応援することにした小生にとっても、
実にスリリングな展開は期待以上であった。
前半はイタリアの積極的なプレスが効果的でドイツはなかなかシュートまで持って行けなかった。
一方のイタリアも深く守るドイツの壁の前に、なんとかカウンターで中盤で繋いた後に、
フィニッシュまで持って行こうとしたが、トーニがオフサイドに掛かるか、
中盤で潰されるかでリスクを負わない限り点には結び付かない状況だった。
後半になるとイタリアのプレスが若干甘くなり、前線のポドルスキーやクローゼに、
ボールが入り出し、ドイツペースになりつつあったが、
イタリアも中盤の底のガットゥーゾとDFライン4人がゴールまでは割らせない。
その後、両監督がカードをどう切って来るのかがゲームの流れを変えるだろうとは思えたが、
それ以外には流れが変わりそうもなかった。
後半も終盤になると中盤もスカスカになり出したが、結局延長戦へ。
延長では、代わって入ったジラルディーノのシュートがポストに当たったり、
ザンブロッタのシュートがバーを叩いたりと、最後の最後にドイツにツキがあるように思えた。
前半からイタリアは数多くのCKを得ていたが、フィジカルに勝るドイツの前に、
得点の匂いを感じさせなかったが、PK戦かと思わせる時間となった延長後半14分に、
遂に、CKのこぼれ球をピルロが"いかにも"というノールックスルーパスを出し、
詰めていたグロッソがノートラップで思い切り良く蹴り、
弾道はレーマンの手の先を走り、サイドネットに突き剌さった。
これで決まったと確信。その後の2分間で、カウンターに成功し、
ジラルディーノがキープしたボールに、デルピエロが走り込み、
レーマンの動きを落ち着いて見て、軽くゴール右隅に蹴り込み、2-0。
テレビは興奮するデルピエロを映す一方で、突然の不幸に悲嘆に暮れる女の子の映像に。
前半こそ攻守の切り換えが速い、見応えのある試合だったが、
アンリのやや不可解なPK獲得でジダンが決めてフランスが先制点を上げると、
あとは、フランスは相手の良い所を潰して行くだけ。
試合展開はややブラジル戦と似かよっていた。テュラムを中心とするDF陣と、
マケレレとビエラの2枚のボランチのディフェンスのスタイルは、
イタリアを"柔"とするならば、"剛"。
決勝戦で、トーニやトッティが柔能く剛を制するところを見てみたい。
Yさんと飲み。曽根崎辺りまで南下して開拓。
3位決定戦とは云え、ドイツは地元開催故に負けられない。 ゲルマン系対ラテン系ではやはりフィジカルに有利なゲルマン系の方に分があるようだ。
まず、近江高島下車。先月登山口を予習していた打下城へ。
日吉神社へ向かい、標識を見付けた。
早速躊躇うことなく登り出す。獣用のフェンスを開け、中へ入り、再び閉めたおく。
登り出すと小さなダムがあり、道は山の中へ。
城址まではかなりあり、方向が狂う。
なんとか打下城に出て、あちこち動き回り、縄張り図とにらめっこ。
GPSで方位を確認後、
北の曲輪に下って行く。途中、大きな蜂がいて冷汗をかく。
北の曲輪は、土塁で囲まれた物で見応えがあり、曲輪までの道の途中には、
畝状竪堀もあった。再び本丸へ。
来た道を引き返し、下らずに、直進し、長法寺城を探す。
途中、何かの遺構らしい物があったが、何の遺構かは分らなかった。
やがて送電線のある開けたエリアに出た。長法寺跡もどこか分らない。
山頂には向かわずに、しばらく下ってみると、長法寺への標識を見付けた。
これに従い行ってみる。
確かに寺院跡らしく石垣など残っている。曲輪らしいエリアもあったが、
寺院との複合遺跡では分らない。
赤いテープでガイドされた道があるので、しばらく行ってみると、
←長法寺城の標識があり、喜々として倒木を除けながら行ってみたが、
それ以降標識とも巡り合わず、遺構だと100%確信を持てる所もなかった。
来た道を引き返す。山頂へ登ってみるか迷ったが、体力を考え回避した。
一気に勝野まで下る。近江高島駅から能登川まで電車で移動し、朽木へ。
駅を出ると朽木方面へのバスが待っていた。
やや天気も良くないが、ともかく出発。
バスでは寝たりして、道の駅の新本陣の前である朽木学校前で降りる。
こちらとしては、新本陣よりも本陣跡に行きたいのだが、道が分らぬ。
新本陣では何かの催しをやっていて賑やかだった。
旧街道を北に歩く。雰囲気が良い。
山神橋を渡り、西山城を目指す。その前に本陣跡にある、
資料館で道等を聞くかと、えらく遠回りして本陣跡へ。
ここもかつての屋敷跡で堀の跡などが残っている。
資料館でおじさんに話しかけると、よっぽど暇だったのか、
えらく長い解説を受け、こともあろうに、この辺りは、
『ヤマビル』
が発生しているらしく、止めた方が良いとのこと。
人間など動物の呼気の二酸化炭素に反応して、頭上の木々から落ちて来たり、
足下から這い上がって来るらしい。しかも、いくら厳重な服装をしていても、
気付いたら吸われていたり、靴下も厚手の物でも破くらしい。
予想外の展開だったが、吸着された上に血を吸われるのも、
考えるだけで虫酸が走るので忠告通り止めることにする。
今日みたいな小雨の降る天候では、大歓迎だろうし。
このまま退却するのは、金銭的にもったいないので、
再び山神橋を渡り、南下。岩神館のあった興聖寺へ行ってみる。
ちょっとした林に入るのも薄気味悪く感じて来た。
油断していたら落ちてきそう。
そういえば、先程の打下城で左手甲に尺とり虫or毛虫のような物がいたので、
弾いて飛ばしたが、ひょっとして、とそら恐しくなった。知らぬが仏だ。
庭園跡を金を払って見て出る。屋敷の跡を見付けるのは難しい。
朽木学校前に行きバスの時間を確認。まだ余裕があるので、
新本陣の催しを見てみる。
その後、バスに乗り、寝て気付くともう安曇川駅付近だった。
湖西線で帰宅。
マテラッツィのマテラッツィによるマテラッツィための試合だった。
試合開始早々にPKとは。レフェリーも少しは考えて欲しい。
ジダンのPKはかなり怪しいものだった。
マテラッツィがマルダーを倒したために失った1点を自らのヘッドで同点に導き、
そして、今大会で一番脚光を浴びた、ジダンの頭突きを導く、問題発言。
役者が違った。
『佐賀のがばいばあちゃん』を観ようと思い立ち、未だに上映中の高槻へ。
駄賃稼ぎに総持寺に寄って、総持寺砦を見ようと。
原作にやや手を入れた感じ。原作自体、物語でなく、断片的なエピソードの集合
体であるから、そもそも映画にするのは難しい。
佐賀市内では、歴史的に保存されてある地域を使っての撮影だった。
最後のマラソンのシーンでは、いろいろな所に出没し、
最後は、最近復元されたばかりの佐賀城本丸御殿の石垣の前を通って、
佐賀城跡のシンボルである鯱の門にゴールするという物だった。
ロケの風景が想像できて、ある意味面白かった。
阪急総持寺駅で降りて、総持寺まで行ったが、公開時間を過ぎていて中に入れな
かった。仕方なく次の目標である、太田城跡へ。
東芝の工場の目の前の太田地区を歩き回っても見付からないので、
原住民の方に聞いたら、正確に石碑の場所を教えていただけた。
石碑を撮影し、駅へと戻る。
西河原公園辺りにも砦があったはずだがと、歩き回ったが気配がなく、
かなり薄暗くなって来たので駅へ戻ることにした。
途中、ユニクロを見付け、少し購入し総持寺駅から帰宅。
梅田まで阪急で出て、JR環状線で京橋乗り換えで学研都市線に入り、 野崎駅下車。野崎観音へ。昆虫採集に来た小学生の集団がいた。 とりあえず展望の効く頂上まで行く。その裏手に堀切がある。 腰曲輪らしき物もあるが、よく分らない。 余り満足もできないままに飯盛山へ、登山道を登る。 杉林の植林地帯で薄暗く、ここにはヤマビルはいないだろうな、と気になる。 ある程度登り切り、曲輪らしい雰囲気を感じて、 ベンチを見付け、縄張り図で確認する。 しばらく行くと、視界が開けてきた。 曲輪らしいこんもりとした小山を上り、千畳敷といわれる所に出たが、 最近の人の手が入っていて遺構はよく分らない。 舗装路を下り、少し登ると、堀切のある曲輪で、 その先が頂上だった。楠木正行の銅像が立っていた。 おにぎりを食し、しばらく北側の曲輪を見に下ってみる。 近世の改変の跡はあるが、所々には遺構もあった。 その中でに堀切と石塁は見事。 三本松辺りまで行き、引き返す。 山頂の東側の道を行き、道路によってぶつ切りにされた竪堀の跡を見て、 妙法寺へ。そのまま桜池まで出て、そこから谷沿いに下って行く。 途中、水場で休憩し、権現川ハイキングコースに入る。 しばらく雰囲気の良い道を歩き、室池園地に出た。 やや道に迷いながらも、園地を出て、北上。 田原城を目指して、清滝峠を生駒の方へと下る。 上田原に出たいのが、下田原から北田原に出たところで現在地ともども分らなくなり、 JOMOで道を聞いてみた。 すると、2、3人対応してくれて、ピンポイントに場所は判明しなかったが、 上田原の方向は分かり、 親切に地図を持って説明していただけた。どうも。 指示通りに川沿いに南下し、途中を西へ右折。 目指すは住吉神社であったが、1つ目の住吉神社は違うよう。 ともかく城主の菩提寺である月泉寺へ。 小さな山城のようなので、この辺りは、そんな小山も少なく、 行き当たりばったりでも行けそう。 月泉寺の奥にある小山に取り付こうと住宅地をうろちょろとしていたら、 洗濯物を干していた奥さんに声を掛けられ、説明すると、 なんと道順を教えてもらえた。 地元住民しか分らない、人家の裏を通るようなマニアックな道を行くと、 確かに城址へ行けた。蚊が多く辟易したが、遺構の残存状況はなかなか。 しばらくうろつき、暑さで疲れてきたので、近くにバス停を見付け、 バスで生駒駅まで出て、近鉄で帰宅の途に就く。
梅雨前線の北上が伝えられ、昼過ぎには関西中部を通過するとのことであったから、 午前中のうちの片を付けようと、チャリで西大路まで。 京都駅乗り換えで能登川まで。新快速が止まるとは思わなんだ。 手持ちの地図で確認し、目的地である佐生に向かっていると、 小雨が降って来た。しばらくは傘なしで済ませていたが、 そうも云ってはいられないくらいになった。 ともかく、佐生城の登り口を探していると、御親切に看板付きであった。 指示する人気のない道をしばらく行くと、黒い蝶が飛ぶ中突き進み、 目的地に到着。ここは、"ヤマビル"はいないだろうかと気掛かりで仕方なかったが、 どうやら、まだ被害には遭ってないようだ。そそくさと遺構の撮影に取り掛かる。 やや薮化していて踏み込む勇気が起きない。小雨も降っているし、彼らには絶好の条件だ。 薮を避けるようにして、見事な石塁を撮影。 一通り全体を歩き回り、そそくさと退却。 下まで降りて、まだ本格的な降りではあるまいと判断し、傘をさし、和田山へ。 雷さえなければ良いが、それでも弱くはない。 和田山神社の本殿から裏手の道を登ると奥社?があり、碑があり、 その奥社の裏から道があった。薮化した道を登る。 草に水が乗っていてズボンはかなり濡れた。 薮化していなければ良い道のようだが、夏場は駄目だ。 登り切ると、道は西側の峰へ。こちらも微かに城跡らしさもあるが、ここではあるまい。 来た道を引き返す。山頂らしい辺りを強引に突破すると、 薮化しているものの、土橋と空堀は綺麗に残っていた。 それ以外は薮で駄目。和田山神社へ下り、雨も上がった道を能登川駅まで戻る。 旧街道のような道は雰囲気があって良かった。
かねてからの玉Kくんとの約束を果たすべく、西京極へ。
金券ショップで、バックスタンド1,200円で、当日券3,000円と比較すれば、
60%OFFでお得感はかなりのものだが、如何せん、糞スタと云われる西京極。
1,200円が妥当なところだろう。
19時K.O.で、
やや西陽の暑さが残る17時45分頃に着いたが、夏休みでもあったせいか、
西京極にしては観客が多く、やや早く来た甲斐あって、
センターラインよりややアウェイ側の席を確保できた。
玉kくん達は6時半頃に出没。この頃になると良い席は埋まっているくらいだった。
彼らは生サッカー観戦の経験が薄いせいか、試合開始前から早くも感動していた。
こんなスタジアムに感動するくらいなら、博多の森や鳥栖スタだと、失神物だろう。
ともかく、福岡の残留争いでのライバルであろう京都さんには負けてもらわねば困るので、
嘗ての憎き千葉を応援することにしていた。その頃のジェフと比べると、
メンバーもだいぶ変わったし、今やオシムサッカーの申し子達として、
人気球団になりつつある。
平井、登尾-手島-児玉-三上、星-米田-斎藤-ピニェイロ、パウリーニョ-アンドレ。
立石、斎藤-ストヤノフ、阿部-坂本-佐藤-山岸-羽生-クルプニコビッチ、
ハース-巻。
試合は、引いて戦う京都の意図通り、千葉にボールを持たせ、
スペースを埋めてしまい、千葉は相手エリア前までは好き勝手にパスを回せるが、
中には入れさせてもらえない。京都はボールを奪うや、
前線のパウリーニョ、アンドレに預け、ボールをキープすれば、
右の星、左のピニェイロが上がり、これにボランチの斎藤がからむ攻撃で、
終始京都ペースだった。
そして、千葉のディフェンスが油断したスキを逃さず、エリア内中央で、
後ろを向きつつもフリーとなった星にボールが出て、
DF1人をかわして、落ち着いてゴールの隅へ。
GK立石も全く届かず、京都が先制した。
千葉は、これに焦り、やや攻撃の手を強めたが、
中3日で疲れがあるのか、運動量が少ない。
中盤の羽生や山岸は盛んに動き回っているが、
クルプニコビッチがDFライン手前でボールを配球するだけで、
トップのハースと巻になかなかボールも入らず、見せ場も作れず前半を終えた。
ロスタイムに福岡が清水に1-0で勝っていることを知り、やや安心した。
後半に入り、さっぱり効いてなかったクルプニコビッチに代え、水本を投入してきた。
水本をDFラインに入れ、阿部をボランチに上げた。坂本は右サイドから左サイドへ。
この交代で、阿部を中心にボールを配球したが、がっちり守る京都をなかなか崩せない。
寧ろ、両サイドが上がったスペースを京都に利用され、
左サイドのピニェイロが幾度もラインの裏を突破し、
オフサイドでノーゴールになるなど不運もあったが、
再三のチャンスを活かせないことだけが京都の課題だった。
そして京都のセットプレーのこぼれ球を拾った千葉が前線に残る羽生に預けると、
京都の対応が遅れ、そこを巻がラインぎりぎりで突破し、
パスを受け、GK平井の動きをよく見て、ゴールに流し込んで同点になった。
京都は代える必要があったのか分らないが約束通り、ピニェイロに代えて、
中盤を落着かせるために中払を投入した。が、千葉の支配は続く。
さらに千葉は、ストヤノフに代えて中島を入れ、攻撃を梃入れ。
京都は、運動量が落ち出した星に代えて、お約束通り、加藤を投入。
右サイドでのキープが期待された。が、ボールを千葉から奪っても、
なぜか右の加藤にボールが回らない。前半からの守りでか、中2日のせいか、
運動量が全体的に落ち、攻撃が単発で終わるどころか、中盤でキープも出来ず、
完全な千葉ペース。最後にハースに代えて、パスの出来る、水野を投入。
千葉は代わった水野にボールを預けるが、周りの運動量が落ち、こちらも得点まで結び付かない。
たまに京都の決定機もあったが、そのまま終わるのかと迎えたロスタイムに、
水野が一旦キープし、阿部を経由し、再び水野がエリア内に柔らかいボールを入れると、
ファールくさい感じではあったが、巻が相手DFの上から強引に渾身のヘッド。
これが、GK平井の頭の上を越えて、そのままゴールイン。
さすが代表と唸らせる程のあっけない幕切れだった。
京都の完全な勝ち試合だったにも拘わらず、
決定機を逃し続けると、負けるという教科書的な試合内容だった。
内容に乏しい千葉ではあったが、強かだった。
それでもディフェンス面は崩壊していたし、あれでは常勝は厳しい。
京都は、内容が悪くないだけに、
これを持続させれば勝利も見えて来るだろう。
桂から以前購入していた株主優待券で十三乗り換えで新開地まで。 今日は16時にYさんと梅田で待ち合わせをしているので、時間を無駄にしないで行動したいところ。 神戸電鉄に乗り換え、一気に三木上の丸駅まで。意外に遠い。 小さな駅だったが、ちゃんとスルッとKANSAIを使えて少し感動した。 三木城址はすぐ上。階段を登る。今日も暑い。 城内は工事中の部分もあり雰囲気を壊されたが、遺構自体も少ないので致し方ない。 城址はまだあるようなので、うろつくことにする。 雲龍寺には別所長治の墓があり、そこから市役所のある坂の上へと無駄足を運んだ。 何もない。公園のような森があるが、ちゃんと碑があるのか怪しいので、 チャレンジはしない。観光協会を探して町へと下る。 なんとか観光協会を見付けて、秀吉方の付城跡への道を確認する。 やや遠い距離ではあるが、歩けない距離でもない。 ひたすら歩いて行くが、見付からぬまま、国道175線に出てしまい、 地元の人に聞いたが、さっぱり見当も付かない状況だった。 憤概するままに再び引き返し、怪しいと睨んだ所へ行ってみたところ、 まさにそこが付城跡である、明石道峯構付城だった。 せっかく石碑などあり、整備しているのに、そのまま放ってかれていて薮化していた。 もったいない。税金を投入して作ったなら、いったんやった以上ちゃんとして欲しい。 看板すらないのも問題である。 とりあえず、三木市駅まで歩き、神戸電鉄で終点の粟生駅まで行く。 雲行きが怪しい。田んぼの多い地帯で雷だけは勘弁。 物見櫓らしき物が遠くから見える金鑵城へ。 ひたすら歩き、坂を登り、公園へ。観光客らしき家族もいた。 また草刈をされている業者もいた。 この公園は、税金を使ったのかもしれないが、有効に使われていた。 遺構の保存の仕方も悪くない。14時過ぎに出発する。
粟生駅からJRで加古川経由で大阪に出るか、そのまま往路を引き返すか迷ったが、
後者を選択した。14:45に出た。疲れで寝て、起きたらまだ鈴蘭台の手前で15時半くらいだったか。
間に合うかなと懸念されて来た。鈴蘭台で準急に乗り換え、15:50に新開地到着。
やばい。ダッシュで地下へ降りる。55分発の特急に乗る。
早く着いてくれと、気が気でない。本を読む余裕もなかった。
16時半過ぎに着き、待ち合わせの紀伊国屋へ到着。
先にどこかで飯を食っていてくれと祈っていたが、
そうもならず、ひた謝り。ともかく、飯代をおごらせてもらうことで相殺することになった。
待ち合わせ時間の遅れは、小生としても最悪であったので、いたたまれなかった。
時間に遅れた後輩という立場を味わったわけだが、
時間に遅れた後輩を見るという立場に立ったこともあるだけに、
やっとその気持ちが分る。
梅田で夕食を摂り、御堂筋線で千里中央まで出て、乗り換え、モノレールで、
公園東口駅ではなく、万博記念公園で下車する。
万博公園内からは行けず、東側の道路を経由して競技場へ。
スタジアムに着くと、Sさんを見付け、そこへ座る。
水谷、中村-金古-千代反田-アレックス、久藤-ホベルト-佐伯-古賀、飯尾-バロン。
万博に来るのは、実に5年振りとなる。
その嫌な記憶を払拭する結果を期待したいが。
試合開始からボールは福岡が持たされ、カウンターでガンバが仕掛けるような展開を見せ出していたが、
5分、右サイドの中村の裏を、ワンツーで家長に簡単に突破され、
金古がカヴァーしに行くも遅く、GK水谷も間に合わず、グラウンダーのクロスを播戸に押し込まれ、
早くも先制を許した。福岡は、その後、トップのバロンにボールを放り込むが、なかなか起点にならない。
寧ろ、小柄な飯尾の方が良いくさびとなっていた。が、そのボールを中盤が拾っても、
前に走る選手がおらず、攻撃は淡白で、浅いDFの裏を度々ガンバに狙われ、
いつ追加点を喰らってもおかしくない展開だったが、ガンバも余りに簡単な先制点に気が緩んだのか、
最後のツメが甘かった。両チームともに運動量の少ない、見所のない展開で、
福岡は落ちるべきチームのゲーム内容だった。なんとか前半シュートを1本撃ったくらい。
後半なると、やっとエンジンをかけ出し、少しずつ前に出て来るようになり、
バロンを諦め、藪田を入れ、
右左からクロスが上がるところまで来たが、試合巧者のガンバに、
後半ほとんどチャンスを与えてなかったが、CKから山口にヘッドで決められ、
ほぼ試合は決っしたかと思った。
福岡はそんなに悪い印象はなかった古賀に替えて、有光を投入。
ガンバにカウンターを喰らい、
対応したアレックスが播戸をエリア内で倒してしまったように見えたが、
なぜかエリア外の地点からのFKとなり、遠藤のシュートを水谷が守り切り、ことなきを得た。
一方のガンバは、怪我上がりの明神を播戸に替えて入れる程の余裕っぷり。
すると、中央でボールキープした藪田が左を駆け上がったアレックスにスルーパスを出すと、
これをマイナスのクロスを返し、待っていた飯尾が左足でダイレクトで決め、1点返した。
アレックスが古賀がいなくなったことでスペースが出来、オーヴァーラップを仕掛けられるようになり、
代わりに入った、有光が最前線でスペースを作り、つぶれ役となったことで生まれた、
今迄にはない展開で新鮮味を感じた。
この1点でガンバは自陣に引き籠り、福岡が支配した。
久藤に替えて城後を投入。
金古のライン裏への柔らかいパスに飯尾が右足で合わせ、
GK藤ヶ谷も見送ったが、惜しくもゴール左に流れた。
一気呵成に攻めたい福岡だったが、こともあろうに金古が相手選手と交錯し、
一旦は建ち上がりピッチに入ろうとしたがコーチに止められ、ベンチに戻らされた。
本人は相当悔しかったようで、しばらくライン際で立っていた。
3人既に替えてしまっていたので10人で戦わざるをえなくなり、
状況はかなり不利になったが、それでも攻める姿勢を変えず、
右からの飯尾のクロスが相手GK藤ヶ谷のファンブルを誘い、これを中村が蹴り込み、
同点に追い付いた。
守る姿勢を見せず、守りの薄いガンバを見て、
さらに攻め込む福岡だったが、時間切れ、0-2から追い付き、
勝ち点1を手にした。
前半は寝ていたような試合展開だったので、後半の試合内容には驚かされた。
2点を簡単に失わければ、もっと良い結果も付いて来たかもしれず、もったいない気もする。
ただ、2点差を追い付くのはいつ以来だろうか、興奮させられた。
一方のガンバはこの日は運動量が終始少なく、自ら仕掛けることなく、
常に受けて立っているような感じだった。もともとディフェンスが脆いので、
それをカヴァーするために攻める必要があるのに、簡単に2点を奪ったために、
またFW播戸を下げてボランチの明神を入れたがために攻めるきっかけが少なくなり、
17位の相手に勝ち点2を失う結果となった。
昨日の疲れもあるので比較的ゆっくり9時頃家を出る。
西大路にチャリを置き、近江八幡まで。
近江八幡駅でレンタサイクルし、まず八幡城の麓の図書館に寄る。
ここで今から行く、岡山城の縄張り図などをコピーしておく。
昔は湖であったろうフラットな道を水茎岡山城へ向けて走る。
南側の麓は工場らしき物があり、山に立ち入りを禁じていた。
仕方なく北へ回ってみる。
と、まず、石碑を見付け安堵。南側にある薮化した階段を強引に登ると、
切岸のような跡があるが、こんな断片じゃ満足できない。
階段をさらに登ると、古墳のような物があり、引き返した。
道路の北側の城址にも強引に登ってみたが、
近年の開発と薮化のために道も酷くやめた。
再び南側の山頂を目指して、貯水タンクから狙ってみる。
教育委員会だったかの史跡指定の石碑があるにも拘わらず、
すさまじい程の薮。コンクリートの階段も隠れてしまっていた。
正直躊躇ったが、意を決っして登る。
堪えに堪えて登って行ったが、遂に草が身の丈よりも高くなり、止めた。
鎌がないと駄目。
再び八幡城の麓まで戻る。
次は、北之庄城。北之庄神社の裏手から道があるとのことだが、
左側の道を行っても道が途絶えてしまう。
強引に尾根道に出てみると、立派な道があった。
あとはこれに従い登って行く。
しばらく行くとはっきりしないが分岐らしい所があり、
自然、太いはっきりした方を進んで行ったが、迂回するだけで下りかけたので、
引き返した。その分岐に入って進むと、見事な堀切。
土橋を渡り城内へ。
城内はフラットでなく、やや荒れている。東西は土塁があり、さらに奥へ。
しばらくうろちょろし、引き返しかけ、縄張り図を確認すると、
まだありそうなので奥へ行ってみると、大規模な内枡形があった。
その曲輪には池がいくつかあり蚊が多くて辟易し、さらに奥には行かなかった。
東側には土塁がありしばらく進んで引き返す。
満足して麓の神社まで下る。本殿の右側の道を行くべきだったようだ。
暑い。
さらに北上。円山城へ。蘆の広がる湖面を観光用の渡船場があった。優雅そう。
円山神社の麓にチャリを停め、本殿へ階段を登る。きつい。
本殿の左側から山道があり、登ってみる。
しばらく行くと、尾根に出た。奥社の跡か立派な石垣があった。
と、その先にキツネがいた。何を思ったのか逃げない。
パンと手を打つと逃げて行った。山頂らしき方へ行くと、
微かに城址の跡があったが、満足できない。
元来た道を引き返そうかとしたら、一瞬道を見失った。
キツネのせいか。この山頂から東側の斜面に遺構がかなりあったようだが、
しばらく行って薮化したところで、軽い熱射病のようなだるさを覚え、
退却することにした。麓まで戻り、チャリで近江八幡駅まで。
途中、コンビニで水分補給し、なんとか辿り着いた。
まだ日が落ちるまで時間もあるので、守山駅近辺の城址を狙うことにした。
守山駅下車は昨年の大雪の日以来で懐しい。
駅前は祭りで賑やかだった。
道にやや迷いながら、今宿町を過ぎ、金森町へ。
金森城址があるはずだが、道場跡しかなく、諦める。
さらに北西に行き、蓮生寺へ。南面に土塁が残っていた。
余り満足もできないまま引き返す。再び、金森の城の下団地をさ迷って、
クリーニング店、酒屋で現地調査してみたが、ない、とのこと。
断念せざるをえない。駅へと戻り、帰宅する。