父親とその同僚である城マニアでもあるKさんと先斗町に。
待合わせを河原町御池のとあるホテルとしたが、阪急を降り、
四条河原町から御池通りに行くだけでも、
人の多さには辟易させられた。
マニアな話で盛り上がる。父親は付いて来れず。
京都では、地下鉄から竹田で外に出て、ポツポツと降る程度だったのが、
近鉄奈良に着くや、傘を持たないと辛いくらいの雨足となった。
こともあろうに、こんな寒い中走らねばならないとは。
市民ランナーの集団と共に奈良公園に向かうが、参加賞だけを持って逆方向へと歩く人も見掛けた。
参加賞には、柿の葉寿司も入ってるし、放棄するにはもったいない代物だ。
それにしても雨が冷たく、着替えるために、更衣用テントに入った。
雨の中、仕方なくアップをする。この時にスタートした5kmのレースは、雨足が強い時に行われていた。
早々にアップを済ませ、テントでしばし時間を潰す。スタート5分くらい前に、
外へ出たが、既にスタートライン辺りは大勢のランナーがいて、余り前の方に行けなかった。
雨足はだいぶ衰えた。
スタートしたが、始めは歩き。人が多く、道が狭くて走れない。
公園を出て、左折し、春日大社方向に登って行くが、道が狭い上に、アスファルトも雨のせいで、
滑りそうで恐く、なかなか前へ行けない。
このコースは途中まで歩いたことがあるだけに、
少しばかり懐しい。ともかく、前へ出ようとして、ペースは一定しなかった。
2kmを過ぎたくらいから、やっと自分のペースになったが、次第に乳酸もたまったのか、
きつさを覚え出し、無理をしないように自重する。それにしても、曲がり道だらけで、
アップダウンは激しく、かなり体力を消耗させられる。
スタート会場の前を通過して東大寺の方向へ。
コースに奈良ならではの、鹿がいて、威嚇されないように祈りながら、横を通過。
南大門を左側からよぎる。大仏殿との間に学生服姿の修学旅行生がいて、
そのもの珍しそうな視線が実にこちらを恥ずかしめる。
境内をジグザグと走り、再び登り。残りも少なかったせいか、無理をして、呼吸がきつくなる。
後1kmというところで前に女子ランナーを見付け、追い抜くチャンスを窺う。
会場に入る手前で、そのランナーがスパートしたがきっかけで、周りのランナーも、
ばらけ始めた。これ幸いと、遅れずに着いて行くと、女子ランナーは無理が効いたらしく、
スピードが落ちたので、一気に抜き、会場に入り、さらにスパート。
予想以上にスピードが出て、もったいないことをした。
とりあえず抽選会まで会場にいることにして、着替え、柿の葉寿司を食べて待つ。
表彰式があったが、仮装ランナーの部門が盛り上がった。抽選は、1等を聞かずに退散。
奈良ホテルの辺りにある城跡へ行ってみるものの、そこの神社は故意に閉めてあって、
収穫なし。すぐにバスが来たので、JR奈良駅まで、奈良・斑鳩1dayチケットが使えるか聞くと、
OKなので、助かった。JR奈良駅は、大学時代に帰省ついでに、笠置から柳生に行った行程で、
柳生からJR奈良駅に出て以来。改装工事をしていて以前の面影もない。
柳本か天理に行くつもりだったが、今日の天候と時間から無難に後者を選択。
しかし、ちょうど桜井線の電車は行ってしまった。
次の電車まで待って、天理駅下車。石上神社へ行きたいが、駅前には地図がないようで、
適当に見当をつけて行こうとしたところで、
観光案内所を見付け、地図をもらい、より確実なものにする。
ともかく商店街をひたすら東へ行けば良いだけだった。
さすが天理市は天理教の門前町or「おやさと」だけあって、
法被を着ている人もいれば、門徒さんらしき人々も。
商店も経典を置いていたり、天理高校の野球部のレプリカまであった。
そのまま東に行くと、壮大な規模の本部?の目の前に出て、参拝に来た人があまたいた。
さらに東へ行くが、第3食堂?や何かの寮などあって、宗教都市というのを初めて実感した。
ここから少し行った所に石上神社はあるが、天理教とは比較にならず、存在自体が寂しい。
ここも歴史的には由緒あって、七宝刀が奉納されてあるなど、ただならぬ神社なのだが。
境内は人も少なかった。それ故か、雰囲気は落ち着いていて良い。
紅葉も終わりかけだったが、銀杏が黄金色で綺麗だった。
復路は往路を引き返すだけで、商店街で吟醸酒を購入し、駅に戻る。
奈良・斑鳩1dayチケットを有効活用すべく、
今度は近鉄で。但し、筒井までの乗車券は必要。
近鉄の天理駅は終着駅っぽい雰囲気があって良かった。
平端で橿原線に乗り換え、一気に京都まで。
四条烏丸で乗り換えるだけでは、チケットがもったいないので、
御池まで行って、買物をして、四条烏丸で阪急に乗り換え、帰宅。
18切符で篠山まで。尼崎で乗り換える。
例の事故現場を通った。南北が頭の中とは逆だったが、
やはり乗客はみんな見ていた。
篠山駅では、レンタサイクルがあることを知っていたので、
早速借りる。まずは八上城へ。バスで行くと何かと不便ではあるが、
レンタサイクルだと自由度が高く、その割に安くあがる。
戦国時代の城下町である麓に入り、チャリを止めて、登る。
芥丸を経て、途中、明智光秀の母親を磔にしたという松の跡を過ぎ、山頂へ。
誰もいない。山頂こそ石垣なども残っているものの、
遺構が余り感じられず、しっくり来ない。帰りは、春日神社の方へ下る。
しばし、チャリに跨がり、篠山市内へ。まずは、篠山城を見物。
御殿が再現されていて、有料で拝観する。
ここは石垣が見事なので、それを狙って撮影を試みるも、
観光客がいたり、工事中の所があったりと、結構難しかった。
この篠山城から近くに、小林寺という寺院の裏に澤田城なる城址があるようなので、
チャリということもあり行ってみることに。
行くと地図で見るよりも近くて、5分くらいで到着。
裏手の山に登ってみると、一応、石碑や手作りの看板もあって、城址らしくはしてあった。
しばらくうろちょろし、篠山城へ戻る。
途中、『ほろ酔い地下蔵』なる、
無料で鳳鳴酒蔵の観光用に見せる蔵があり、集団に混って見物。
途中で時間的に余裕もないので先に出て、とりあえず吟醸酒を買って、チャリに跨がる。
城南の馬出しを見るも撮影するのには難しく断念。武家屋敷の前を通って見物し、
駅へと戻る。復路が往路と違ったために途中不安になったが、
間違っておらず、なんとか乗りたかった列車にも間に合った。
次は黒井駅で下車。下車後、北上し、興禅寺へ。
ここは黒井城の麓の城館の跡であるらしく、水堀がある。
春日局もここで育ったらしい。一段落後、黒井城へ。
獣対策で柵がしてあり、扉を開けて中へ。しばらく登ると、
マウンテンバイクで走る人が2人。道も平坦でないし、狭いし、登りはしんどそう。
途中で追い抜き、上へ。頂上近辺に着くと、
肌寒く、粉雪も少し舞って来た。やや下った所に二の丸があるらしいが、
道が薮っていそうで、日没まで余裕もそんなにないし、雪も降って来たので、
退却。せっかくなんで東出丸に寄ってみる。
こちらは土を削った跡があり、なぜがほっとさせられる。石塁よりも土塁や堀切の方は良い。
麓まで下り、次の列車まで時間もあるので、スーパーで菓子パンを購入。
一旦福知山まで出て、福知山線は完乗。山陰本線で嵯峨嵐山まで出て、阪急にて帰宅。
ここ最近雪が降ったが、また降りやがった。ともかく、守山駅まで行くと、
シャトルバスも出て、湖岸近くの会場まで行くが、雪は強くなる一方で、道端の降雪も半端じゃない。
会場に着き、テントまで行くと、ハーフマラソンは中止で急遽10kmへ変更とのこと。
参加賞を貰って早々に退散する人もいるくらいで、まあしょうがないところ。
体育館の通路で着替えるが、靴が雪で染みてつま先は冷たい。
アップのために除雪されたトラックを走るが、つま先が冷たく不快。
とりあえず、今日は長袖の上にランニング。でも下半身はランパン。やや浮く。
今日は記録は録らずオープンにするとのこと。なので、シューズに着けたRCチップは返却。
いざスタートするとさすがに皆前へ前へでそんなのは構いっこなし。
ただし、道路も除雪してくれたらしいが、完全ではなく、
滑りそうで実に恐い。しばらく行くと田んぼの中の道で、まだ10kmを走るのも体がきつく、
ややスピードが落ちた気がする。少し行って、折り返し、同じ狭い道を逆方向へ。
やや優越感に浸れた。雪除けのためにビニールを被った人など重装備した人を見掛けたが、
今や陽も出て、寧ろそれは自虐しているかのよう。ランパンで良かったとつくづく思った。
会場も近付きスパートをかけたら、トラック1周分が残っていて、
最後はヘロヘロになってゴール。着替えて、無料のうどんをもらい、
コンスープももらって退散。駅までバスで戻る。
そのまま帰宅では芸にもならないので、河瀬駅まで行き下車。
山崎山城へ。雪でびちゃびちゃの住宅地の中のアスファルトを、ひたすら、
とりあえずは荒神山の方へ。地図も記憶の中だけなので、
人に聞きたいが、大雪の降った中、外に出て来る人も稀。
それらしい山を見付け、おじさんに聞いてみるとビンゴ。
早速登ろうとするが、かなりの積雪。しかも新雪。
足を取られながら悪戦苦闘して頂上へ。雪がなければ結構遺構が見られたであろう城址も一面雪。
またそれも一興。だが、本丸の先で滑り、尻から転倒。やれやれ。
下り、駅までの長い距離を歩き、帰宅の途に就く。
笠置で14時から現地説明会があるので行ってみることにした。
ついでに18切符も1回消費することにして、
一気に笠置に行く前にJR宇治駅下車。槙島城跡へ。
ある程度予習はしていたが、住宅地となっていて、皆目見当が付かない。
勘を頼りに歩いていたら、見事に発見。
この辺り、と書かれてあるくらい痕跡がない。
木津で乗り換え。現説に行くような夫婦がいた。
加茂行きの列車が来たので、とりあえず乗って、加茂駅下車。
郵便局が駅の近くにあり、金欠状態から立ち直る。
次の関西本線の下りが、加茂駅発で木津からの列車が来る前に席を確保できた。
笠置駅で多くの人が下車。明らかに現説を見に行くような年輩の人が多い。
笠置駅は大学1年の時に下車し、柳生まで行こうとして、
バスの便が適当なのがなく、4kmばかり歩こうとしばらく行った所で、
長崎出身のトラックの運転手が乗せてくれて送ってもらった時以来。
ほとんど記憶にない。現説には、係員が誘導してくれて、
そそくさと登る。途中でショートカットした山道を歩いたために、
現説会場を通り過ぎており、多少焦った。
会場には100人近くいたようで、トラメガでの説明が始まった。
そして発掘現場に移動。参加者が多いためにスムーズにはいかない。
比較的待ち時間が多かったせいか、吹きっさらしに遭い、
どうも微熱があるよう。現説が終わり、適当に撮影を済ませ、
アスファルトを下り、
『笠置いこいの館』
へ。関西へ来て、初めての温泉。おかげで寒気も落ちて回復した。
調子の乗って、抹茶ソフトクリームを。
駅に戻り、このまま木津経由で京都まで引き返しても、
18切符的に赤字になるので、敢えて、柘植まで関西本線を下り、
草津線を草津まで上り、東海道本線で西大路まで下り帰宅の途に就く。
18切符での移動料金:320+570+820=1710円
(笠置-西大路は最短ルートでないのでこれ以上のはず)
2日後に再び草津線。柘植で乗り換え、亀山まで。
大学1年の時、伊賀上野に寄り道して、松阪から笠置で降り、
柳生に行って以来の関西本線の柘植以東。
亀山駅で下車し、少し北に行った所にある亀山城へ。
運動場では消防訓練らしき催しを行なっていた。
石垣は素晴しいが、意外に見所が少ない。(亀山古城跡が近くにあるのを知らなかった。)
町中を歩き、城下町の雰囲気を見て、予定の列車に乗るべく駅に戻る。
津までは座れないくらいの乗客だったが、そんな長時間でもなく着いた。
津からは快速"みえ"で、この電車は普通料金ではもったいなくらいだった。
一部、伊勢鉄道の区間を走るためにややこしい。
現に車掌にどっから来たのかと聞かれたので、要領を得ないままに「西大路」と答えたら、
「津」からですねと、なんか納得がいってないようだったが、行ってしまった。
その後、津より以北は伊勢鉄道であることを思い出し、納得したが、
あれじゃあ説明不足だよ。亀山で下車せずにそのまま鳥羽まで行っても、
結局この列車の方が速いので得した気分になる。
快適な列車旅も左側に伊勢湾が見え出して終着駅、鳥羽に着いて終わりを告げる。
早速、城跡だけを目指す。城山公園を登り、小学校の付近を見て回り、観光案内書で少し詳しい資料をいただいて、
駅に戻る。ミキモトの真珠島が印象的だったが、なんか、観光シーズンでなかったせいか、
生活感のない、さびれた観光地のように映った。でも海鮮物は美味そうだった。
再び、"みえ"で北上し、伊勢市駅下車。せっかくなんで、伊勢神宮(正式には神宮)に行ってみることに。
駅でレンタサイクルし、まず外宮へ。さすがに天皇家の氏神だけあって神々しさが半端じゃない。
木々も伐裁できなかったのだろう、大きな木々が多い。
ただ、やや山の近くで山城の跡とかありそうで気になって仕方なかった。
つぎは、やや離れた、内宮へ。意外に街中の道路標識が不親切で、
途中で道が合っているのか不安になって、ガソリンスタンド(たしか昭和シェル)で聞くと、
親切に教えていただいた。段切りなしのチャリで坂を登り、
下って、右折してしばらく行くと車は渋滞していて、それを後目に内宮に到着。
ここは外宮よりも敷地が広く、神々しこと極まりない。
これ程の神社は滅多にお目にかかれないと感じる。江戸時代に伊勢参りが流行したのもうなずけるものである。
近鉄の駅からの参道は人だらけで、赤福本店に行けず残念であった。
内宮でお守りを鹿児島の祖母のためと自分のコレクション用に買っておく。
外宮の物は違ったように見えたので再び行ってみたが、どうやら同じ物だった。
小生自身が汚い格好をしていたので、度々バイトの巫女さんの前をうろちょろするのは気が引けた。
駅に戻ると、レンタサイクル代は延長料金手前で最低価格で済んだ。
まだ時間に余裕があるので、松阪に久々に寄ることにする。
やはり大学1年の頃に松阪に寄り、星1つのユースホステル(以下YH)に泊まったが、
寺の離れを利用したYHで、食事提供なし。2千円を切った金額だったと記憶する。
客は小生1人のみ。二段ベッドではあるが綺麗ではない。
ペアレントは住職の奥さん?(=お婆さん)だっただろうか、ちょうど寺では火踏み行事をしており、
栗御飯をいらないかと親切に言ってくれたが、栗が嫌いな小生には生憎だった。
晩飯は、松阪牛をと思って、町を闊歩してみたが、安そうな店もないばかりか、
店自体も少なく、何を食べたのかは最早記憶の彼方。
昨日食べた物も忘れたりする人もいるくらいだから、
こればっかりは責められる筋合はないと思う。
ともかく、食事をして、持参するのを忘れたハミガキ粉を買って、YHに戻ったが、
何もすることなく寝に入ろうとした。
よくよくベッドの周りを見ると、いろいろなメモが張ってある。
どのメモも1人で泊まった先人達の物で、
この離れの裏手がすぐ墓であるから恐しいと書かれてあったりする。
そう云われると、こっちも恐しくなり、ともかく心細い一夜だった。
とまあ、こんな経験をした松阪ではあるが、そのYHは今は現役ではない。
その時に行った、松阪城を再訪することにした。街中を歩くと実に懐しい。
松阪は三井の発祥の地だし、本居宣長で有名である。
城址に行くと初めて行ったかのような新鮮な印象。見る目の肥えたせいもあるか。
駅に戻り、次は津城に行くつもりだが、日没も近いし、JRの駅は遠いので、
近鉄で最寄りの津新町駅下車して向かう。石垣が立派であったが、改変されてしまい、
見所も少なかった。今度はJRの津駅に向かう。
県庁所在地にしては意外に小さな街だった。それでも佐賀市よりは大きいだろうと推測する。
津からは再びJRに乗り、亀山で乗り換え、柘植で再び乗り換え、
京都行きの普通でそのまま東海道本線に出て、
ホームの対面の新快速に瀬田か石山で乗り換えるという技を前回の笠置行で覚えたので、
再び実行し、京都駅で普通の乗り換え、西大路着。
1450+1280+230+400+1620=4980円分
明後日のために今秋いただいたKajitaxの6本爪アイゼンを靴のサイズに調節し、 装着する練習をした。4本爪のゴムのバンドとは違い、フィット感がまるで違う。 これなら途中はずれることもなく、イライラして立ち止まることもなさそう。 実際にこれを装着するのが楽しみで仕方ない。
いよいよ帰郷。午前中のうちに買っておいた年賀状の分だけ書き終える。
昼飯は、うどん。汁のだしから作るのも含めて、自ら調理するのは初めて。
かつおとにぼしのダシだけでは、香りは良いが、さっぱり味もないので、
本つゆを入れ、砂糖も入れてみると、満足まで到達しなかったが、味が付いたので良しとした。
まず、明日のために河原町に出、好日山荘にバーナーとコッヘルを買いに行く。
結局店員に聞いて教えられるままに、
ガスはiwatani-primusで、
バーナーはP-161、
コッヘルはsnowpeakのものを。
帰宅し、夕食を摂って、22:01新大阪発なので時間もあってのんびりしていたので、
20時半を過ぎ慌てて大きな荷を持って、阪急で高槻で乗り換えて、新快速で新大阪へ。
結局30分以上も前に着いてしまったが、閉店間際の売店に入れたおかげで、赤福も買えた。
準備万端でムーンライト九州に乗り込む。
2002年8月10日以来らしい。
最後に乗ったのが思い出せないくらい、実に懐しい。
通路側のB席だったので、なかなか乗車して来ないA席の人が気になる。
深夜快速で長時間になるために、善良な隣人であることを祈るばかり。
だが、姫路を過ぎても、隣人は現れず、幸運にも隣人は来ないかと期待したが、
0時過ぎに、岡山から女性が乗って来て、隣人となった。
なんともたくましい人もいるものだ。しきりもないリクライミングシートなために、
気を遣うことになり、右側に重心を置く。うかつに左側にふり子は打てない。
と、意識したせいかどうか知らないが、背筋が痛くて、しばらく寝ては、 目が覚めることがしばしば。5時過ぎには、厚狭駅に着くために車内は明るくなり、 アナウンスも再開。もう寝られない。本を読むなどして時間を過ごし、 門司にて普通電車に乗り換え。こちらの方が先に吉塚駅に着く。 寝惚け眼だったせいか、関門海峡を越えた感動がいまいち。 だが、JR九州の車両やアナウンスの声 (妙なアクセントの機械音声)が懐しい。吉塚まで軽く睡眠をとる。 千早付近の再開発が始まっていて驚いた。
吉塚駅で下車し、コンタクトを装着し、ロッカーに荷物を預け、
トイレなどに行っていたら、いつのまにか島Dくんが、
こともあろうに集合時間よりも20分くらいも前に来ていて、今年最大の驚愕を覚えた。
コンビニで水とカップラーメン、コーヒーを買い、頂上でのひとときの準備。
8時1分発のバスで一路、障子岳バス停へ。
例年なら障子岳に着く頃には、客はまず乗ってないのだが、他に2組もいた。
万札しかなく、バスカードの足りない金額100円を島Dくんに借りる。
バス停に下車すると、始めに降りた人は早くもだいぶ先を歩いていた。
とりあえず、昭和の森へ。ここから見る限りでは、
三郡山の山肌の災害で地滑りがあった部分だけ雪が積もっているようである。
せっかくアイゼンも持って来た訳だし、縦走路にも雪があらんことを祈る。
それと、難所ヶ滝もある程度凍っていて欲しい。それに、冬山初体験の島Dくんもいることだし、
出来るならば、冬山の醍醐味を味わせてあげたいものである。
昭和の森に行くまでの道には全く雪もなく、不安になる。
公園入口の手前から、今夏の台風で昭和の森は立ち入り禁止と云う、案内板まで立っていた。
せっかく、ここまで来て、それはないだろうと、とりあえず、昭和の森へ。
確かにゲートがあって、入口にガードしているお兄さんがいる。
この先に行けないのか、聞いてみると、なんのことはない、行けますよ、と云う返事。
おそらく、昭和の森のキャンプ場が使用不可になっているようで、
難所ヶ滝経由の河原谷コースは大丈夫そうらしい。トイレに行って、いざ林道を行く。
林道に入ると、昨冬と違い、砂防ダムなど、いろいろと人工物が出来ていて、
人の手を入れなくてはならなくなる程、山を痛めつけている現実を思い知らされた。
登山道に入って、やっと周りに残雪がちらほらと目に入り出した。
だが、登山道には、さっぱりないのが心配なところ。
徐々に高度を上げて行くと、登山道にも少しずつながら雪が。
河原谷からの河原に差し掛かった所で、スニーカーで来た島Dくんは滑り出したようで、
彼に4本爪アイゼンを貸し、小生は例の6本爪を装着。アイゼンを着けずに先へ行く人もいたが、
結局は装着しないといけないくらいに雪が凍っていて、サクサクとアイゼンを鳴らした。
難所ヶ滝手前の滝も良い感じに凍っている。これなら、難所ヶ滝もある程度期待できる。
ここからは急傾斜が多く、まさにアイゼンの恩恵を授かる。
難所ヶ滝自体は、さ程規模は大きくはない(ここ数年と同レベルか)ものの、
まあ来た価値はあったというもの。しばし、休憩をとり、河原谷を登り切って、縦走路へと出る。
この急斜面には島Dくんは辟易していた。下りたくはないらしい。
縦走路に出たので、まず宝満山へ。縦走路も思った以上に雪がある。
やはり今年は降雪が全国的に例年以上だったようだ。
まさにアイゼンの独壇場と云った具合で嬉しい。
問題は宝満山手前の岩場。続々人が降りて来る。年末というのに。
途中の岩場で降りて来る人を待って、アイゼンをはずした状態で、
鎖にも頼らずに登る。吹き溜まりのようなエリアがあってアイゼンなしでは滑りそうで恐い。
ともかく一気に頂上まで行ったは良かったが、島Dくんはアイゼンをして登りたいらしく、
装着に時間を掛けるうちに続々と人が降りるもんだから、登るチャンスを逸っし、
仕舞いには降りている人から、迂回路を進むことを提案される始末。
仕方ないので先に参拝を済ませ、もう1つの楽しみである、ガスバーナーでお湯を沸かすことに。
但し、コーヒーやラーメンを島Dくんに預けたので、彼が無事に登って来ることを祈って止まない。
沸騰しかけたところで、島Dくんも結局鎖を伝って登頂。
早速、コーヒーを作る。さ程の感動も感じられずに、温かいコーヒーを飲む。
どちらかというと、ゴーッと音を立てている、バーナーを見つめている優越感の方が上だった。
ラーメンは三郡山まで我慢することにして、また縦走路へ。
鎖場ではアイゼンをして、鎖には頼らずに下るが、登り程恐くはなかった。
ひたすら縦走路を三郡山へ。
雪も解けてはおらず、ちょうど良い具合。
凍っている部分も多いのでアイゼンは必携だろう。
三郡山の前に、ちゃんと頭巾山にも寄る。相変わらず、余り人気(ひとけ)がない。
ここから三郡山に掛けての縦走路はいつ来ても気持ち良いエリアだ。
三郡山へは、例年通り、フェンスに抱き付きながら。
雪があるせいで、踏む場所が狭く、多少恐い。まあ落ちても死にはしないだろう。
三郡山で、ラーメンを食べるために、早速ガスバーナーで沸騰させる。
時刻は12:30を過ぎ、実家に鈍行で帰るための目安、17時に篠栗駅が厳しくなりつつある。
まあ単独なら余裕だが、今日は島Dくんもいるし、これからの雪も彼には未知数で、
大概ここから先は解けかかって歩くのにも難渋するコース。
沸騰するのが待ち遠しい。沸騰したかどうかで、
即、カップラーメンBIGにお湯を注ぎ、食す。
先行者の夫婦がラーメンの大きいことにツッコミを入れて去って行ったが、
どうリアクションをして良いか分らなかった。関西人としてはまだまだ修行が足りない。
ともかく、頂上でラーメンを食べるのは2回目
(1回目は大船山にて)だったが、なんとも幸せである。
いつもは冷えたおにぎりで、他人の温かい食物が羨ましくて仕方なかった。
スープまで飲み干し、いざ出発。口の中に後味が残って、若干幸せであった。
ここから砥石山までは、結構雪が深く、ラッセルした後があるものの、
時に足を雪に完全にとられたりして前へ進むのに苦労する。
トップを任せていた島Dくんのスピードが遅いので、小生が先行し、
追い付くのを待つようにする。彼はアイゼンが取れそうで付けるのをやめたせいで、
登りで滑り苦労していた。その代わり、
下りでは、うちなんちゅの島Dくんはやったことのないにも関わらず、
スニーカーでスキーのような滑りを見せていた。
2人とも雪が解けかかっている部分が多く、靴の中は濡れまくり状態。
例年そうだから仕方ない。
雪にうんざりしかけながらも、なんとか前砥石、砥石山と。
島Dくんは登りを鍛える必要がある。格段にスピードが落ちるのが分る。
砥石山は何度来ても城址のように見える。実際はどうなのだろうか。
鬼岩谷でもしばし休憩し、ショウケ越へ。
ここから若杉にかけて一気に積雪量が減ったので、アイゼンをはずす。
が、土だらけでうんざりさせられた。はずす間に先行していた島Dくんは、
こちらを挑発しているのか、少々飛ばしたようで、かなり先へ行ってしまったらしい。
こちらも負けてはならじと、100%の力で登り斜面を登る。
登りの不得意な島Dくんを捉えるのは、比較的容易だった。やはり難渋していた。
再び合流し、若杉山頂へ。アイゼンをはずしたせいで、
雪が残っている所では、やはり滑りそうで恐い。
若杉鼻から見える、夕日を浴びた砥石山
は実に綺麗だった。
頂上手前でトップを島Dくんに譲る。
但し、しょうもない頂上であるからして、彼も嬉しくもなさそうだが。
一応、頂上で撮影し、奥の院へ。この後の予定として、大和の大杉を見たかったので、
勘を頼りに、奥の院から石の階段を下ってみることに。
雪が凍った状態で積もっていて、実に恐い。
下に着くと、階段を登らないようにロープで封鎖されていた。
ともかく、ロープを跨ぎ、勘を頼りに大和の大杉方向へ。
間違ったかと訝しみながらも先へと進むと、予想通りの場所に出た。
そこは以前、合っているかと若干迷った迂回コース。
島Dくんも秘かに研究室の一部の人間とこのコースを来たそうで、多少得意気。
雪に埋もれつつある木の階段を下り、右足を前へ出そうと浮かしたところ、
左足を滑らせ、強かに右膝の裏を階段の木に撃ち、おまけに尻餅。
1本。文句のない、見事な足払いだった。大した怪我もなく、本当に良かった。
より慎重になって下って行くと、しばらくして七本杉に出て、大和の大杉への分岐。
久々に見る大和の大杉は、やっぱり良い。
時の流れにびくともしない雄大さ、悠久さ、いや、表現し尽くせないものがある。
実際に見ないと何も云えないし、見ると見たで何も云えないし、また云えない。
と、陶酔するには今日は時間はない。しばしの休憩後、楽園に下る。
ここからの道を失念したが、島Dくんが掃除中のおばちゃんに聞いてくれて、
このまま下って行けば良いことが分る。記憶も蘇えって来た。
出来れば標識の1つくらい欲しいもの。
あとはひたすらに整備された木道を下り、若杉の湯の裏手を回り、
勢門(せと)の住宅地を抜けて篠栗へ。時間的には余裕も生まれた。
島Dくんが郵便局で金を下ろすだけの時間も十分にあった。
駅で100円を返し、快速で吉塚へ。
荷物をロッカーから出し、ここで島Dくんに別れを告げ、鳥栖方面の快速へ。
鳥栖ではフォームの前後に階段があるために最終車両に乗る。
鳥栖で乗り換え、18時45分頃佐賀に到着。長い1日だった。
やや昨日の疲れを引きづりながらも、県陸の周回コースを廻る。