肥後22



北坂梨城坂本城立石城江田城乙城

北坂梨城

阿蘇市(旧一の宮町)【最寄り駅】JR肥後本線宮地駅

北坂隠岐(了喜)が城主であったという。(熊本県の中世城跡より)
現在は妙法寺が立っており、遺構はないようだ。 近くの馬場八幡宮前の説明板は鎮西八郎為朝がこの地に城を築き居住したという記録が残っている(肥後国史)と云う記載がある。



坂本城

和水町(旧三加和町)

天正7年(1579)には、辺春親貞とその子の親行が在城したという。親行は和仁親実の姉を妻としたことから、 同15年(1587)国衆一揆の際に田中城にともに立てこもったが、親行が裏切り、田中城は落城した。 (熊本県の中世城跡、現地説明版より)
坂本集落に説明板があり、林道をひたすら行くと、城址入口の標柱が立っているが、 そこまで行き着く前に強引に登ってしまったため、最初に南東部の城址の残骸に行きついた。 割と平坦な尾根で切岸状になっており、みかん園手前に石塁らしい石が残っていた。 一旦ミカン園と藪を経由して、主郭に辿りついた。西側には横掘が残り、主郭は周囲に石塁を伴っている。 北側の林道は堀切跡だそうだが、林道化しすぎて判断つきかねた。


立石城

和水町(旧菊水町)

ここから7.2km離れた下津原東区にある石碑に石原家が城主の子孫と記載された石碑があるという。 『和水町文化財調査報告 第1集 立石城跡・内田宮山城跡』より
御手洗池が麓に湧いている。 今は、植林された小山になっており、切岸が残っている。 西側には空堀の跡のような水路が残る。


江田城

和水町(旧菊水町)

江田氏は鎌倉時代に江田を本拠とする、肥前や薩摩に所領を持つ有力武士だったようで、 城主だったかは定かではないが、有力視されている。 『菊水町文化財調査報告 第16集 乙城跡・江田城跡』・現地説明板より
江光寺跡から強引に尾根に入ると、石碑などあり、すぐに郭がある。 さらに登ると、主郭で、しろさんと呼ばれる小岩と弁財天を祀る石祠がある。 周囲に帯郭があり、東に大きな堀切を挟み、二郭がある。三郭とは段が違い、 さらに堀切を挟み、今は農園となっている四郭がある。


乙城

和水町(旧菊水町)

麓の集落とは関連性がない、有事の際の逃げ込みの場と推測されている。 『菊水町文化財調査報告 第16集 乙城跡・江田城跡』より
小乙城から尾根伝いに行ける。 宮地岳神社があり、標識も立っている。西側に二郭があり、南西部の尾根へは虎口らしい跡と数段切岸が残っている。 南側を走る帯郭には太く短い竪堀のような跡が少なくとも2箇所確認できた。 南側への尾根へも切岸が数段延びていた。 宮地岳神社となっているせいもあり、寺山へは舗装路を下れた。




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