一気に木ノ本まで。下車後、予定のバスで柳ヶ瀬まで北上する。
案の定途中からは貸し切りになった。柳ヶ瀬で下車。GPSをセットする。
住宅のある方に行くと、いかにも旧街道という雰囲気。
少し行くと、玄蕃尾山城の標識があり、山へと入って行く。
湖北の方は熊がいてもおかしくない分、今日は要注意。
鈴を装着して慎重に登る。峠に出て、ここから城址へ一気に高度を上げる。
程なく空気が変わり、城址の説明板。しっかりと読んで、縄張り図を頭に入れて、
城内へ。土塁や空堀の跡が綺麗に残っていて、薮も刈られていて実に良い。
一番北にある曲輪に入ったところで、
鹿2頭と遭遇。俊敏に逃げて行った。
しばらく、静止してこちらを警戒して見ていたので、
撮影しようともさもさしていると姿を消してしまった。
それにしても、国指定の遺跡のせいか管理されて良い。
満足したところで峠まで下り、行市山まで尾根伝いに縦走しようと、
携帯ラジオもセットして登り出したが、余りの荒れ具合に無理をする気が失せ、
往路を下った。
麓まで下りて、南下し、行市山砦への標識から林道をひたすら登
る。登山道でない分視野が開けて熊に対する注意は効くが、
味気ない道だ。標高350mくらい行った所からは、
いよいよ登山道。結構、蜘蛛の巣があってうんざりさせられた。
やがて別所山砦に着いた。前田利家親子がいたと伝わる所で、堀や土塁が残って
いた。防御性は低い。しばらく休憩し、行市山へ向かう。
時折遺構らしい感じの所はある。現に今登っている道も軍道に使われたのだろう。
行市山手前に堀切が2本あり、それ以降は何もないままに三角点のある、
行市山山頂に到着。荷物を置いて、玄蕃尾山への道へ少し行ってみたが、
相当苦労し、縦走しなくて良かったと。
三角点の横でおにぎりを食べようとしたら、
ズボンにダニが付いていて容易には取れないので、
蜘蛛の巣除けのための小枝で絡め取った。
小枝の先に蜘蛛の糸がからまっていたから、上手く除去できた。
下る。全く人に会わない。
林道まで出て、少し行った所に登山道を見付け、しばらく行くと、
遺構らしきエリアに出て、椽谷山砦の標識があった。
余り遺構は明瞭ではない。
そのまま登山道を下りかけたが、倒木など荒れていて、
引き返し、再び林道を麓へ下ることにした。
365号線を下り、毛受兄弟の墓に行くか迷ったが、
少し離れているので回避する。
茶臼山砦を強引に登って、切岸を見て、とりあえず満足しておく。
すぐ横の天神山砦に登ろうとしたが、獣用の鉄柵が山の等高線に沿って張ってあっ
て、入る場所も見付けられず、断念。ここは是非見たかった。
再び365号線も出て、東野の辺りで北陸自動車道の下を潜ってみると、
東野山城への登山道があり、疲労感を漂わせながら登る。
相変わらず人に会わない。熊にも会わないだけマシか。
ある程度登ると、遺構らしい物が出だし、少し行くと、土塁、堀切となり、
城内に入った。外に案内板があり、説明を読む。
城址は薮化していて、歩くのも結構大変だった。
薮がなければ結構な遺構があったようで残念だった。
ここまで林道があるので、それで下る。
10分くらい行ってもなかなか下らず、おかしいなと。
日没も少しずつ近付きつつある。
安全な往路を下ることにして、再び城址まで戻り。
登山道を下る。ややはっきりしない部分もあったので、それを懸念していたが、
意外にあっさりと麓まで下れた。
365号線を南下。バスはない。堂木山砦のそばを通ってみるが、
登り口はない。薮っていそうだし、やめておく。
余呉駅付近まで田んぼしかなく視野が広がり、
夕日の下、賤ヶ岳と余呉湖が綺麗に映える。
踏切工事をしているところで時刻表を見たら、
長浜方面がほどなく来ることが分り、ダッシュ。
有酸素運動が必要な距離があり、日々の生活のおかげで間に合い、
なんとか帰宅。
18切符:1620+1450=3070円
西大路を出て、京都駅で奈良線に乗り換え、奈良から桜井線に乗り、
柳本に着いたのは10時前。暑さがぶり返ししんどい。駅前をしばらく東へ行くと、
黒塚古墳があり、なにげなく寄ってみると、柳本城に使用されたらしく、
堀切の跡や微かに帯曲輪らしき跡も残っている。資料館を見て、外へ出ると、
清掃活動をする予定であろう、おじさんが気さくに話しかけてきたので、
少しばかり会話し、すぐそこにある崇神天皇陵へ。第10代にあたる。
さらに、せっかくなので、やや離れた景行天皇陵へも。
景行天皇は大和武尊の父親ということになっている。それにしても暑い。
せっかく秋らしくなったと思ったら。
龍王山への道に入り、ひたすら進む。
林道が終わってから傾斜がきつくなり、道はけっこう薮化していて、
ヤマビルがいないか心配になり、一気に薮化しかけた道を登る。
上から下って来るグループと擦れ違った。
最後は舗装路に出た。ここから舗装路をしばらく行き、龍王山城の南城へ。
奈良盆地を猊下に雄大。遺構も結構残っている。
本丸手前には石の階段があった。これは当時の物なのか。
本丸はハチがいて辟易した。おにぎりを1つ食し、
早速縄張り図を見て、周りをうろつく。
南側にある曲輪や堀切は残存状況が良かった。
再び本丸に出て、北の城へと移動する。
舗装路は使わずに尾根道を行く。
ここも遺構ぽい。しばらく行くと、土橋跡というが、よく分らなかった。
石碑のある入口から登る。早速土塁。薄暗くて撮影が難しい。
さらに行くと堀切となり、東西に2つの曲輪。
本丸へ行くが、これといった遺構はない。
休憩中の夫婦に道を聞いて、かなり急な道を下る。
薮が多い。再び石碑の方へ向かうが、その途中にあるという遺構は、
薮のために何も見えない。石碑を通り過ぎ、少し行った所を入る。
やや薮化しているが、行ける。
こちらは、遺構が結構あり、屋敷跡なのか、曲輪の跡もはっきりとしている。
ただ蜘蛛の巣も多い。
薄暗くて、信貴山の松永屋敷と雰囲気が似ている。
道をひたすら行くと、下り出し、しばらく行き、遺構が尽きたと判断して引き返
す。そのまま戻らずに、薮化している曲輪内を登って行き、
強引に突破すると、先程の本丸から下った所に出た。
これで満足し、下ることにする。
往路をそのまま下らず、1本北にある道を下ってみる。
むしろ、往路よりも薮化はしていなくて良かった。
麓に出て、山の辺の道を北上する。この道は雰囲気が実に良い。
少し行った所にあった、中山大塚古墳の説明板を読んでみると、
砦に転用されたとあるので、登ってみる。小さな前方後円墳ではあったが、
確かにくびれた部分に土塁と堀切らしい箇所があった。まあ、それだけなのだが。
さらに北上。竹之内環濠集落を見るためだったが、
それまでの間にも環濠集落があったりした。
竹之内自体も環濠は一部しか残っていなくて見所はさほどなかった。
この辺りで山の辺の道を見失ったが、歩き回って、やっと見付け、しばらく北上したが、
天理まで歩く気にもなれず、桜井線の方へ西に。
農作業中のおばちゃんに最寄り駅を聞き、ひたすら歩く。今日は暑い。
長柄駅に着いたところで、電池やウィダーを入れている小さな装備品を落としたことが発覚。
慌てて来た道を行ってみると、すぐ近くで落としていたことが分った。
近くで見付からなかったら、諦めようと思っていただけに、胸をなでおろす。
奈良駅経由で木津駅下車。
まだ体力も残っているので、予定通り、鹿背山へ。
水分補給して、一路鹿背山へと向う。
途中、民家に入ったところで、見当がつかなくなり、道を地元住民に聞いて、
西念寺へ。ここで記帳して登り出す。今日は小生が2人目らしい。
日没も近く、やや薄暗い。
途中ゝ、説明板が親切に設置されてある。
山頂は、内枡形の虎口で、遺構もよく残っている。
手元の縄張り図を元に、とにかく見れるものを全部見るつもりで、うろちょろする。
途中、蜘蛛の巣があったりして、うんざり。
ある程度見て、大いに満足し、薄暗い中、西念寺へと下り、記帳して、
そこにある縄張り図を見てみると、堀切と土橋を見忘れていたことが分り、
再び急いで登り、確認して下る。やれやれ。
西念寺に戻ったところで、住職夫婦に会い、ともかくお礼を言っておく。
こんな素晴しい遺構状況を。と、ここは「木津の文化財と緑を守る会」が整備したということ。
ともかくお礼を行って、立ち去る。まだ暑い。
駅に戻り、木津城は諦め、
グレープジュースを飲み、奈良線で北上し、帰宅の途に就く。
前日の疲れを残し、10時半くらいにゆっくりと出発。
十三乗り換えで武庫之荘下車。京都は断続的に雨が降っていたのに、
こちらは日射しがきつい。想定外。帽子を持って来なかった。
富松城まではたいした距離もなく到着。国有地になっているらしく、
杭が打たれ、ロープが張られ内部に進入できない。仕方なく外周を回って、駅に戻る。
あわよくば、西宮北口で下車して、もう1つ瓦林城跡へ行くつもりだったが、
本来の目的である三木総合防災公園に行く予定に余裕がなくなるので、回避。
そのまま新開地まで行き、神戸電鉄粟生線に乗り換える。
小野市行きに乗る。しばらく睡眠をとっていたら、いつのまにか次が降車予定の押部谷。
駅の北側にはかつて城があったそうだが、完全に住宅地となり、全く遺構を感じさせない。
ともかく目的地へ行くために車道に出ようとするものの、住宅地をシュートカットするのに、
失敗を繰り返し、袋小路にはまり込んだ。だいぶ歩数と時間をロスして、
予定の車道をひたすら高度を上げつつ進む。
車は結構走っているが、まず歩いている人は皆無。しかも雲行きは怪しい。
峠らしき所まで出て、分岐となったが、果たして左に行って良いか分らない。
とりあえず、GPSを出して方角を確かめると北を向いている。
運を天に任せることにして、左の道を選択する。
道自体は新しいので合っていそうなのだが。と、しばらく歩いていると、
急に雨が降って来て、雨足は強い。傘をさすが、土砂降りになり、
かなり濡れた。雷さえ鳴らなければ良いのだが。
しばらく進むと、右側に公園らしき姿が見えて来た。どうやら合っていたらしい。
14時くらいに、陸上競技場の前まで来たが、人の気配がない。
騙されたんかと疑わざるをえない雰囲気だったが、
スタジアムに入ってみると10人くらい、少ないながらも、客らしき人もいる。
とりあえず、VIP席を確保して、ピッチを見ると、福岡のスタッフが見えて、安堵する。
しばらくするとアップ用ジャージでの選手達が出て来たと思ったら、再び土砂降りに。
試合開始間近になるとさすがに観客も増えた。せっかく三木市でやっているが、
どうも神戸のコアサポのよう。まあサテライトを観にに来る人間だから仕方ない。
開始直前に福岡の前監督且現神戸監督も現れた。
神山、平島-川島-安田-多久島、宮崎-本田-山形(恭)-古賀、林-釘崎。
キックオフ後は、トップの釘崎と林がポールを落とせて、厚みのある攻撃ができた。
そして4分には、左サイド、ライン裏を突破した多久島のグラウンダーのクロスを、
宮崎がゴール前で蹴り込むだけ。ガンバ戦での1失点目に似た展開から幸先良く先制。
まさに松田サッカーの展開。本人の心境は如何に?
幸先良く先制したものの、その後は神戸が落ち着きを取り戻し、
前線のレアンドロにボールを集め、試合は神戸ペースとなった。
そして神戸の右サイドからの突破からのクロスに、
GK神山が飛び出すもボールには届かず、
ゴール前にフリーでいた中村に押し込まれ同点に追い付かれた。
福岡は反撃しようにもトップになかなかボールが収まらなくなり、そのまま前半を終えた。
後半は、神戸はレアンドロに代えて来た。合格なのか。
前半から効いていたレアンドロを代えたにも関わらず、ペースは神戸のまま。
中盤の遠藤と小森田が効いていた。一方、福岡は精彩を欠いた古賀に代えて大塚を投入。
宮崎が左サイドに回った。それでもなかなか打開できす、神戸にあわやというシーンを作られ続けた。
が、点をなかなか取れないと相手にペースが行くというセオリー通り、
福岡のカウンターから宮崎がエリア内で倒され、PK奪取。
これを山形がいつもの如く、落ち着いて決めて、勝ち越した。
神戸はこの失点がショックだったのか、流れは一気に福岡へ。
続け様に左からのクロスに本田に代わって入った、ユースの鈴木くんが合わせて、追加点。
その後は、若干前掛かりで守備が手薄となった神戸のスペースを有効に使い、3-1で勝利した。
後日、後半途中で審判の判定に不服を唱えて退場させられた神戸のコーチが、
かつて福岡にも在籍した前田氏と知った。なるほどなと。
昨年の天皇杯以来の勝利を生で観れた。
西大路から京都乗り換えで野洲行きの普通に乗り、途中でうたた寝をして、
起きたら、乗客がさっぱりいない。野洲駅だった。慌てて外へ出ると、
車掌さんらしき人が運転室に入って行くところであったから、到着してさほどは
経っていないらしい。ただ車掌さんからは、おや、という風な視線を受けたが。
駅前のレンタサイクルに入り、雨が降りそうだが可能かどうか聞く。
500円とのこと。早速借りて、サドルの位置を合わせ出発。
目的地は妙光寺山で駅からもすぐで、チャリに乗る必要もないくらい。
登山口も分らないので、正面からアタック。
チャリを置き、登り口らしき道を登ってみると、かなり蜘蛛の巣も多く、うんざ
り。しばらく行くと、薮化した道ながら一応北西に伸びる尾根には行けそうな雰
囲気ではある。だが、どうも薮のために行けそうもないし、余り頑張りたくもな
い。引き返し、脇の道に入ると古墳があったが、仕方ないので下る。
二手に分れている、もう1つへと行ってみたが、なんとなく屋敷跡なのか、
切岸らしい跡はあるのだが、説得力に欠ける。
別の場所から登ることにして、チャリを走らせる。
野洲中の辺から入り、磨崖仏を見て、そのうち下る。
国道8号を北上し、桜生史跡公園へ。
ここには桜生城の出城があったようで、
古墳に登ってみるが、どうなのかよく分らない。
桜生城を探し、チャリでうろちょろし、
集落の中に入ったところで、
土塁に囲まれた1軒の家を発見。余りに土塁と空堀がそのままだったので、
驚いた。住居が写らないように撮影し、希望ヶ丘へ。
希望ヶ丘は広大な公園で合宿していた中学生らしき集団がいた。
適当な場所にチャリを駐輪し、装備する。
公園事務所で貰った地図を頼りに、小堤城山へ登る。
やや薄暗い山道を登ると、最後に急斜面な登り坂を上がり、頂上へ。
途中、石塁があった。
山頂周辺にも遺構があり、とりあえず満足した。
だが縄張り図を持っていれば、もっと見るべき所があっただけにもったいないことをした。
とりあえず、登って来た鞍部に出て、縦走路を古城山へ向かう。
しばらく行くと、玄人が見ればすぐに分かる堀切に出た。
ここからしばらく行くと登り坂になり、曲輪らしき場所に出たと思い、
伐裁された?木々がやや多く捨ててある所を越えて見ると、
切岸が数段あった。縦走路を下ると堀切。
とりあえず古城山の頂上を求めて正規ルートからはずれて行ってみたが、
蜘蛛の巣しかなく引き返す。
再び城址らしき辺りに戻ってみると、
土塁に囲まれた空間があることが分かり、本丸はここだと判断した。
祠があって北西と南西部を土塁が囲んであった。
とりあえず、満足して元来た道を引き返し、下山する。
再びチャリに乗り、竜王町の方へ8号線を北上。
星ヶ崎城へのアプローチを探すが、なかなか見付からない。
ともかく旧街道らしい雰囲気になった辺りで、それらしい道を見付け入ってみる。
すぐに動物除けの柵があり迷ったが、乗り越えて、階段を登って行く。
そのうち祠が出て、道は潰えた。
薮漕ぎして行けば行けたような感じもあったが、地図もないので、諦め、下る。
平宗盛の首塚を見て、その辺りから登る道を見付け登ってみたが、
送電線用の道でここも諦めて下る。
夕日ヶ岡へ向かう。
夕日ヶ岡城への登山口は、綺麗な標識もあり、先程とは対照的で好感が持て、
一気に登った。が、遺構がはっきりせず、なんとも満足することもできずに下ることになった。
新幹線をくぐり、高木へ。春日神社辺りが城址であるようだが、
それらしい遺構もなく確信も持てない。
ひたすら永原御殿へとチャリを漕ぐ。かなり疲労感もつのって来た。
土安神社で標識を見付け、撮影ポイントを探して1周したが、難しい。
田んぼの横を通って、近付いてみたが、完全に荒れた竹薮となっていて、
探索する気にもなれなかった。農作業中のおじさんと話をしてみたが、全く駄目だという。
そりゃそうだろうと、納得する。
駅までひたすら漕ぎ、南口に回り、返却し、
祖母×2用の絵ハガキを購入し帰宅の途に就く。
京都府立図書館にチャリで行くついでに、未だに行ったことのない東福寺へ。 九条通りのBOで発掘物をして、東福寺まで一気に行く。 塔頭が結構残っていて雰囲気がある。残念ながら紅葉の時期ではなかったが、 それでも苔を帯びた境内に伸びる青々とした紅葉も悪くない。 三門は600年以上も前も物で規模も大きく、国宝だけあって見応えがあった。 昨年来、京都に来て、拝観料を払うのは初めて。
阪急で十三乗り換えで芦屋川下車。
鷹尾山を目指して坂を登って行くが、周辺の比較的重厚感のある邸宅群は目を見晴る物があった。
関西に来て、これ程の群を見るのは初めてだろう。しばらく行くと登山道。
先客もそこそこいた。住宅地からすぐなのに一気に森に入った。
ハイキングをする人間が多いせいか、蜘蛛の巣が全くなく、ひたすら登るだけで良かった。
ほどなく頂上に着き、一息入れて、縦走路を少し行ってみようとしたら、
すぐに鷹尾城の遺構があり、期待していなかっただけに得した気分だった。
土塁や堀切が数本もあった。麓の看板には遺構は何もないと書かれてあったが、
所詮素人的視点からの説明だったようだ。元来た道を下る。
結構登って来る人がいた。芦屋川沿いに下る。芦屋川駅から乗り、次の夙川で下車。
今度は越水城へ。北口は小さな出口だったせいか、詳細な地図がなく、とりあえず、
記憶と勘を頼りに東へ。ちょうどコンビニがあったので立ち読もうとしたら、
しっかりヒモで梱包されていた。仕方ないので腹拵えもあり、パン系統を購入し、
越水を聞く。予想通りの方角で安心してアプローチ。
越水には程なく着いたが、肝腎の石碑が見付からない。城山という町名まであるのに。
歩き回り、出直すつもりで諦めることに。次は西宮北口駅より東側にある、
瓦林城址である日野神社へ。越水城の失敗で足取りは重い。
駅の北口を通り過ぎて、日野神社を北から周り込む形でアプローチ。
東側には土塁の跡らしい物もあったが、果たして如何に。
境内には跡らしい跡もなく自然林が残っているだけ。
西宮北口駅まで引き返し、十三乗り換えで淡路まで。
ここで千里線の天下茶屋行きで次の柴島へ。
柴島神社が城址であるというが、その石碑が見当たらない。
今日はついてないなと思って、どうしようかと思案に暮れていると、
社殿の横に紙が張ってあって、説明があり、石碑も2丁目19にあるとのこと。
早速行ってみるが、なかなか見付けられず、
周り込んだ所の隅にかなり年季の入った石碑があった。
ともかく撮影し、まだ16時前だったが帰宅の途に就いた。
精米歩合は50%ながら、期待を裏切らない。 記憶の味。 やはり純米吟醸よりも純米大吟醸だな。
草津で乗り換えて、三雲駅下車。東海道を歩き、途中から道を逸れたせいで遠回りして、
三雲城の標識を発見。それに従って、舗装路を登る。
登って行くと、散歩?の人達と会い、挨拶して、しばらく行き、三雲城入口へ。
所々に石塁がある。ある程度登ると、巨石を使った大手門がある。
これは圧巻。上まで登り切り、さらに曲輪の外へ出て、しばらく行ってみたが、
遺構はもうない。意外に規模は小さい。登山用の道路の脇から下って、遺構?なのか石塁が多くあった。
麓まで下り、三雲屋敷跡を探してみたが、薮化しているようで、探索を止めた。
三雲駅まで戻り、貴生川下車。信楽高原鐵道に乗り換える。
信楽駅でバスも利用できるフリー乗車券を買い、多羅尾行きのバスへ乗り込む。
駅を出ると、たぬきの焼き物だらけだった。
小川で下車。早速、小川城へと登り出す。
標識が所々あってそれを頼りに林道を登って行ったが、
曲がるべき道らしい所でも反対側に矢印が向いていて、
疑いながらも従ってみたが、下り出したので、引き返し、
勘を頼りに登ってみると城址の案内板があった。
城址はやや薮化しかけていたが、見応えがあった。
さらに麓へ下る山道を標識を頼りに下って行くと、
堀切や土塁が綺麗に残っていて、たまらない。
麓まであと少しという所で標識を見失ったが、
切岸など綺麗に残っていた。ここが中の城か。
強引に斜面を下り、車道へと出た。
正面にある清光寺の脇に「西城←」との標識があり、
山に入る。結構、竹薮で荒れており、それを越えて登って行くと、
堀切や曲輪が残っていた。竹薮で地盤はしっかりしていて残存状況は良い。
さらに登ってみると本丸跡か広い平坦地で、残念ながらかなり薮化していた。
それでも、枡形虎口が残っており、見応えがあった。
車道に出て、バスの待ち時間を見ると、まだ20分あり、
中の城の標識を見付け行ってみると、
やや荒れ気味だったが、先程の場所とは違い、
方形館跡らしい小さな空間だった。
バス停に慌てて戻り、駅の手前で下車し、信楽焼きを物色してみる。
結局、ぐい飲みを1つ購入。半額だった。駅まで歩き、絵ハガキを購入。
紫香楽宮址下車。日没まではまだ大丈夫そうで、
やや疲労で重い足を運び、紫香楽宮跡へ。
明日香や平城京、長岡京に比べると、平坦地ではなかったが、
いろいろと跡が残っており来た甲斐があった。
また、戦国期に城としても利用されたようなことが書かれてあった。
雲井駅まで歩き、貴生川行きのダイヤがしばらくなく、
駅で吹きっさらしで待つのも寒いので、
再び信楽行きに乗り、そのまま乗ったままで、
貴生川に引き返す。フリーチケットさまさま。
貴生川から草津乗り換えで帰宅。
昨日も渡ったので、今日は湯の花温泉を目当てに比較的ゆっくりと出発。
バスで老ノ坂を越え、頼政塚下車。石碑しかないと分りながら、浄法寺城跡へ。
完全に住宅地となっていて、しかも坂道でまるで見当が付かない。
辺りは、"日曜のファミリー"の雰囲気で一杯。
位置をある程度頭にインプットしたつもりが、行き過ぎて高速道を越えてしまい、
地図で確認し、引き返し、勘を頼りに公園に当たってみると発見。
撮影し、下る。コンビニに寄り、再び頼政塚からバスに乗り、亀岡駅へ。
園部行きのバスに乗る。途中、湯の花温泉を経由して、宮前下車。
帰りに汗を温泉で洗い流したい。下車後、神尾山の金輪寺まで登る。
林道ながら、やや薄暗く、熊も出そうな雰囲気。
ラジオも鳴らしながらとにかく登る。
確かに途中に半国山への分岐に熊に注意と看板があった。
そこから境内まですぐで、参拝者も1組だけいた。
まあ普通に車で来るだろうけど。
縄張り図を参考に境内の裏手に回ると、裏山に登る開けた道があり、
登って行くと、すぐに切岸、そして堀切。
さらに番所があったような石塁の跡などあり、フラットな曲輪のエリアへ。
一番北の曲輪は薮化していて、やや慎重に進む。西側に遺構が残っていた。
一通り見て、下る。遺構としてはなかなか良い。境内まで戻り、登って来た林道を下る。
麓まで下りて、宮川砦跡と思しき場所への道があるか見ていたがなさそうなので、
無理をせず、次の目的地、井内城へと南下する。
手元の地図と照し合わせながら歩き、見当を付け、接近する。
彼岸花が咲いていて綺麗だった。
だが、山はなにやら柵に囲まれていて入れる所がなさそう。
仕方なく回り込んでみるが、無理なのか。
散歩をしていた、おばちゃんに聞いてみたが、滅相もない、というような雰囲気だった。
しょうがなく反対方向に向うと、
薮化しているものの人が入れるスペースはあった。
意を決っして入ってみると道が薮の中にあり、薮漕ぎしたが、潰えた。
再び引き返し、別の道を行ってみると、なんとか行けて、先程の道の続きを行くと、
尾根筋に出た。迷いそうで恐い。
ビクビク尾根筋を登って行くと、堀切が2条くらいあった。
さらに行くと、立派な横堀があり、土塁となった。おおっと興奮。
帰り道のことを考え、ビクビクしながら中へ。
中も薮化していたが、一応遺構がある。冷静になって、縄張り図を見て、
東の方へ向かう。と、外枡形の立派な虎口があった。
撮影しても良い画像にならなかったが、良い物を見せてもらった。
元来た道を引き返し、薮から脱出した。
さあ、汗を流しに、花の湯温泉へ。
一仕事終えた爽快感と、これからの温泉で、高揚感で満たされた。
ここの温泉旅館のうち全て日帰り湯をやっているわけでもなく、
予定していた1軒に行ってみると、15時で受付終了とのこと。青天の霹靂だった。
仕方なく次のバスまで時間もあるので、温泉群を見てみることに。
だが、どこも日帰り湯をやっておらず、通過しただけだった。
重たい足取りで一気に、ひえ田野神社横の大石酒蔵へ。
純米吟醸を探したが、純米大吟醸か、純米しかなく、
試飲してしまっては、もう純米大吟醸の方しか目が向かない。
清水の舞台から、と意気込むほどでもないが、奮発して購入。
温泉の分だと思わないとやってられない。
372号線に出て、佐伯バス停から乗り、亀岡駅前へ。
精米歩合35%だけあって、味は確か。辛過ぎず、味に透明感がある。
核理で用いられていた山D先生が導入したCGIによるアクセス解析ツール。
現在までタグを張る簡易式を用いていたが、なにかと不便なので切り替えることにした。
だが、このプログラムはサーバを管理する権限がないと使えないようで、意味の ない作業だったと気付き、仕方なくCGIのカウンタを付ける。 隠しカウンタのために1pxの透明画像を拵えて、それに張る。
梅田に出て、東梅田にあるというライブハウスへ。 商店街の末端は、かなりピンクになり、若いにいちゃんも並んでいたりして、かなり動揺した。 かなり不安になりながらも突き進むと、確かに、そこにRAINDOGSはあった。 券も買わないでも入れそうだったが、正直にちゃんと払って入場。
JR大阪駅の口にYさんと集合の予定で、果たして上手く会えるか懸念されたが、
なんの苦労もなく合流した。Yさんはセレブなコンビニで朝食を購入した。
甲南山手下車。コンビニで昼飯のカップラーメンを購入し、
住宅地を抜けて、魚屋道に入る。
いきなりの急斜面の連続で早くもYさんの息が上がってしまった。
昨年には九重に行ったということで、それなりにやれるだろうと思っていたが、
これじゃ、この先大丈夫かなとかなり不安になった。
Yさんは就職してからほとんど運動もしてないようで、
しかも先程食べたセレブなコンビニの食事が油濃くて、
苦しがっていた。ひたすら急斜面をやって、しばらく行くと、
道が数回合流し、風吹岩に着いた。
途中、城址らしい雰囲気の所があった。
おにぎりを1つ食す。登り道から登山者と会わなかったが、
ここはかなり人がいて、景色を楽しんでいた。
Yさんもだいぶ回復したらしい。ペースも掴んだらしい。
いきなりの急斜面がこたえたらしい。
道もだいぶフラットになった。
しばらく行き、ゴルフ場の下を行く。水場で洗顔する。
先行する登山者を抜いたりしてペースも安定してきた。
石塁のあるつづら折りを登り切ると、一軒茶屋に出た。
Yさんはここでサイダーで休憩。
ここは、座って落着く場所もなく、
六甲山の頂上へ舗装路を登る。
山頂でYさんを撮影。かなりバテていた。
頂上近辺は昼食を摂る人でなかなか場所がなかった。
なんとか見付けて、早速ラーメンを作るために、バーナーを着火。
寒くはないが、この優越感はたまらない。
やっぱり、カップヌードルのシーフード。
飯を食い終わった頃から、横にいたアルコールの入った登山者が、
やたらと、ザックはどうあるべきだとか、いろいろとからんで来た。
しばらく話に付き合い、ほとぼりが冷めたところで、
写生して終えたYさんと下山に取り掛かる。
余裕があれば番匠屋畑尾根から落葉山へと下りたかったが、
Yさんにはその余裕もなさそう。無理はすまい。
そのまま魚屋道を下る。余りにもゆったりとした、
遊歩道に眠たくなった。有馬温泉に下り、炭酸水を飲んでおく。
やはり、味がないので美味しくない。
そのまま下まで下り、汗を流すために金の湯へ。
小生一人で有馬城を見に、落葉山を登りに行く。
舗装路を登ったりで、結構疲れた体にはこたえた。
妙見寺の境内に入り、本殿まで行ったが、遺構らしい物はない。
付近を下ったり登ったりしたが、気配はない。
再び来た道を引き返し、金の湯へ。
すごい人だ。しかも水の色が赤茶くて泥水に見える。
登山者だらけで色も多少変わったかも。
ソフトクリームを食べ、宝塚行きのバスに乗る。
満員で座れなかった。結構しんどい。
しかも途中で小学生の団体を連れた集団が入って来て、
後ろから乗るのも大変で降車口である前からも乗車していた。
宝塚から阪急で十三まで出て、Yさんと別れ、帰宅。