朝のラッシュに巻き込まれた。
過去の経験を振り返ってみても、一番の密度だったと思う。
本当にカバンから手を離しても落ちなかったように思う。
これは、時間帯、車両の位置に大きく依存するようだ。
たまたま悪い位置、時間帯に乗車したのだろう。
肩越しに接触したままで、くしゃみをされるのは気持ちが悪いことが分った。
昨日はレトロ食堂だったので、今日は中央食堂へ。
終了後、Hさんとお茶の水のJ大へ。
少し練習し、駄目出ししてもらう。お茶の水駅で別れ、
神保町に出る。2日連続で、
大戸屋で晩飯。
昨日は、上野中通り店で、今日は、神田駿河台下店。
その後、STARBUCKS神保町1丁目店で1時間程、原稿書き。
今日は昨日の教訓を活かして違う車両へ、ということだったが。
普段の8両編成が、たまたま10両編成に当たり楽々。
再び、レトロ食堂。
やっと昨日までさっぱりだった英語が耳に入って来た。
感度の悪いトランジスタラジオが突然鳴り出したような感じ。
突然音が鳴り止まぬことを祈る。
再び、終了後J大へ。練習。
駿河台下にある、そば屋(立ち食い系?)でスタミナうどんを。
納豆に山イモという組み合わせに勝てず選択したが、
実は冷しうどんだった。
うどんを全てたいらげても、納豆はそう簡単にいかず、
結局、関東風の辛い醤油ベースの汁を全てすすることに。
豆自体も小さい方が良かった。
前日と同じ、STARBUCKSへ。エスプレッソを頼んだが、
スタバのエスプレッソは極端に少ない(60cc)ことを忘れていたため、
ちびりちびりとやる。原稿覚え。
今日は第二食堂へ。
英語だとアドリブが効かない。
バンケット。Kさんが早々に逃げるのを目撃する。
お蔭でHさんが被害に遭ったようだ。
さっぱり食えなかったので、上野の富士そばで、そば。
宿泊先である叔父の家に戻り、近所を従兄弟の運転するチャリと一緒に走る。
爽快。ウィイレを27時くらいまでやる。
に一言。丸の内線も、大江戸線でも降りた後の方向がさっぱり掴めない。 何か地図なりを設置してもらわんと。 3、4日かけて、やっと本郷通りと春日通りを理解したが。
3年振りに近い。余り雰囲気が変わってないことに安心感を感ずる。
中学校、高校ともすさまじいまでの変化を遂げた、今、何も変わらない、
ある意味ダサさを保存したままの大学に温かみを感じた。
教室の机や椅子もそのままで、あの踏台昇降的な椅子には、
まだまだ頑張って欲しい。図書館もチェックすべきだったかもしれない。
中央図書館と格段に違った、
あの図書館も是非ともに保存量であって欲しいと思う。
研究室のメンバーが発表練習中であったので、
始めに他の化学科の面々を訪問することにした。
たまたま、1人に会い、話に花が咲いたが、
連絡事務室にいた2人には、既にメモリから消去されたのか、
全く構ってもらえず、悲しい思いをした。仕方あるまい。
研究室の面々には、短時間だったせいか、いろいろと構ってもらえて、
非常に有意義だった。小生がいた頃とは、だいぶ変わっており、
既に過去の人であることをまざまざと突き付けられた。
横峯ではない。寝台特急。
来季のダイヤから消滅するということで、帰福に利用することにした。
が、B寝台個室は既に塞がっており、なんとか下段を確保出来たのは救いだった。
18時3分発なのだが、17:30に着くと、既にプラットフォームには、
デジカメを持った人や、ビデオカメラを固定して待ち構えた人が、
30〜40人くらいいただろうか。
とにかく、彼らの様を眺めるのは、非常に面白かった。
プラットフォーム内の時刻表や、電光表示もその対象であり、
また、列車が入ってくるや、「さくら」のヘッドマークに群がる。
こちらも何か撮影しないと損に感じ、一応、
そのヘッドマークと列車横の表示を撮影しておいた。
列車内は、ツアー客が多々いたようだった。
とにかく、発車早々に夕食を摂り、すぐに寝床を用意し、
とりあえず、外は騒がしかったが、寝た。
3時間寝て、読書に更ける。
なんとか、高田馬場BigBoxの古本市で買った本1冊読み了える。
再び寝る。
10時前に博多駅着なので、比較的ゆっくりと起床。
下関と門司で機関車の付け替え作業を見るために外に出る人がかなりいた。
感動的なんだろう。
小倉を出て、列車内にあるロビーカーを見物に、自分のいる10両目から、
5両目まで行ってみた。
食堂車を改造したような形跡が感じられた。
ゆったりとした、椅子は全て占有されていたので、予定通り、
すぐに引き返して来た。寝台のせいか、各車両とも生活臭があった。
ただ、個室車両はドアがあるために例外であった。
博多駅で下車。一応、出発を見送る。
ブラームス Op. 77 ヴァイオリン協奏曲、
ブラームス Op. 98 交響曲第4番
前者は初耳。さほど印象に残らない。
後者については、しっかり予習もしていた。やはり、生は良い。
スローテンポな第2楽章は、心身ともにリラックスさせられた。
が、ブラームスの中では、ベートーベンチックな第1番の方が好みだ。
確固たる信念のような、枠があった方が聞き易いせいか。
は体に良いらしいが、海中の物から摂取できないそうだ。
Webで見てみると、大豆からも摂れるとの情報も。それなら、納豆でOKか。
少なくとも、サプリ頼みよりマシと思うが。摂り過ぎもマズいらしい。
DNAを語る、牧Nさんが一段と格好良く見えた。自信に漲っていた。
でも癌になることを分っているのに、その生活を実践しているのは、どうかと。
また、ツッコミが厳しいと非難されそうだな、こりゃ。
ロッシーニ セビリアの理髪師、
ラフマニノフ Op. 18 ピアノ協奏曲2番、
チャイコフスキー Op. 64 交響曲第5番
19時佐賀文化会館開演ということで、白いかもめで帰宅。
ラフマニノフ・ピアノ協奏曲2番は、いかにもラフマニノフたる曲だった。
弦楽による美しい曲調と現代楽曲のような情熱的なピアノが共存する。
ただ、せっかくのピアノの音が、クライマックスで、
オーケストラの音に完全に飲み込まれて全く聞こえなかった。
これは、SS席に座った人間が云うのだから、説得力を伴うはず。
鍵盤を力強く叩く姿は認めることが出来たのだが。
父娘(おやこ)共演だから、OKか?
チャイコフスキー・交響曲第5番は、生で聞くのは3回目。
まあ、これのためにわざわざ佐賀に日帰りしたのだから。
指揮者の小林研一郎氏が、演奏前、聴衆に冗談を交じえ、
この楽曲を説明。第1楽章の終わりなどは、大げさなくらい、
コントラバスの重低音が長かった。
第4楽章でも、かなり大げさなアクションを見せていた。
地方巡業様なのか。
金管楽器のあってはならない呼吸音のような物が聞こえたりした。
しかし、だんだんと盛り上がる、この楽曲は、4楽章にクライマックスを迎えて、
華やかに終わるだけあって、
まあ、聞いた場所が良かったせいか、感触は良かった。
最後にハンガリー舞曲5番をアンコールに終演。
駅経由のバスに楽団の人まで乗って来たのには驚いた。
県知事まで乗っていたし。
帰福する。
博多駅10時発の延岡行きのバスで、一路延岡へ。
2号車まで出る盛況振りだった。ジャージ姿の痩せ細った男達が目立つ。
昨年は、前日に3つも渡り、
その疲労の影響か、
本番でリタイアする始末であったから、今回は前日行動は控えることにした。
バスの中では、何もすることもなく、ただ寝ていた。
「ニューヨークの恋人」と「黄泉帰り」が流れていたのを、
なんとはなしに眺めたりした。
ホテルにチェックインした後、
昨年同様にコースの下見バスに乗ったが、
寝汗をかいたらしく、風邪をひいたのか、若干頭痛がした。
この痛みの要因が風邪でなく、疲れが少したまっただけであることを祈った。
コースの案内は昨年の延岡市の職員の方だった。
ある程度コースは記憶にあったので、真剣にコースを研究する必要もなく、
進行方向の右の席に座り、独り昨年の記憶に更けった。
往路はかなり記憶にあった。まあ、まだ調子は良かったし。
が、折り返した後の復路は、結構記憶に薄い部分もあった気がした。
ただ、31kmから舟越峠にかけては、一番辛いポイントであったから、
印象に残っていた。34kmすぎのリタイアポイントは、
正確な位置が思い出せないものの、土々呂のガードレールがあった付近であり、
懐しかったし、これを忘れるべくもなかった。
この1年間、胆を嘗め、薪に枕してきたのだから。
市役所前まで戻り、レセプション会場まで送ってもらう人間は、
バスに残ることとなったが、他のランナーは降りてしまい、小生のみになった。
コース案内の市職員の方とマンツーマンでいろいろと話した。
おいしい、チキン南蛮の店なども教授してもらった。
レセプションパーティは昨年同様に食事付き。
今年はランナー用のあっさりとした、極力タンパク質を控えた、
炭水化物に重きを置いた食事になっていた。
同席した延岡常連の福岡から来たランナーと話す。
やはり、経験者の話を聞ける点が、レベルの高い大会の良さな気がする。
腹5分くらいで終了。今年は昨年とは多少違って、終了と同時に潔く、
退室。まあ、食べ残った物も少なかったからでもあるけれど。
先程教えてもらったチキン南蛮を「おぐら」大瀬店に食べに行く。
定食かライス付きじゃないと、まともに食えそうにないので、
御飯までたいらげる自信はなかったが、やむなくライス付きを選択。
が、15分くらいで全てたいらげることに成功。但し、油分を控えるために、
タルタルソースは大量に残した。地元の人間が云うだけあって、
さすがに美味しかった。同席したランナーからは、
前日にタンパク質は摂らない方が良いとは言われたのだが、
一昨年のもも焼きの例もあるし、
かえって前日のタンパク質摂取が良い方に向かうと信じて。
コンビニでセロテープを購入し、ホテルに戻り、
スペシャルドリンクの準備をする。ゼッケンも装着しておく。
昨年は、下見バスやレセプション、スペシャルドリンクなど
Vipの様な待遇に独り舞上がっていた感があったが、
たった1度の経験で免疫も出来、今年は実に落ち着いて、
レース前日を終えることが出来た。
就寝には多少緊張したためか寝就きにくかったが。
6時に起床。6時半に食事をホテルで食べることにしているので、
それまでに準備。10時スタートなので、
少なくとも3時間前までには食い終わっていたい故に、
ギリギリの時間設定だ。昨年は、
冷えたコンビニおにぎりを4つ食べたわけだが、今回は、
温かい御飯に味噌汁と白身魚と漬物という純和風。卵御飯でお代わりも。
量的には一杯食べた気にはならなかったが、
あったかい物を食べられたのは、胃にも良かったのかも。
食後の散歩に、昨年同様に城山に登る。せっかく持っていったデジカメが、
電池切れになり、撮影できなかったのは残念だった。まあ、3回目だから良いやと。
帰りにコンビニに寄り、今日のスペシャルドリンク、
SAVASコンディショニングウォーター
を溶かすためにevian 1lを購入。
早速作り、持参のウィダーインゼリーの空容器(ゼッケン番号は昨日貼った)に、
ある程度充たす。8時〜9時の間にドリンクの受け付けがあるので、
会場まで行って置いて、再び戻り、着替える。今回は、20km、30km、
35kmにスペシャルドリンクを置き、25kmにバナナ1本置くことにした。
9時前にチェックアウトし、会場入り。レース前で騒然としていた。
とりあえず、upするために、最初の周回1kmを軽く走る。
体はそんなに軽くは感じない。
昨日の予想気温、3、4℃にしては寒くないものの西からの風が強い。
五ヶ瀬川を渡る時は障害物もないために、その強さをフルに実感させられた。
再び市役所に戻り、長袖Tシャツを脱ぎ、ランニングで寒くないかチェック。
長袖にランニングを着て走るか、
ランニングにアームウォーマーを装着して走るかで、迷っていたが、
天気は終日良さそうなので、後者を選択することにした。
着替え部屋では、既に座る所もなく落ち着けないので、
15分前にさっさとスタートライン近傍で待つ。
昨年のように始めから飛ばしたくないので、
最初の1kmが時計周りに回ることを考え、内側である左側を走ることにし、
スタート前に並ぶ。とにかく、関門、
18km:1'20、Half:1'30、25km:1'52、30km:2'16、35km:2'45、
40km:3'15に掛らないようにするには、一番の難関である、
Halfをクリアすれば良い訳で、1km当たり4'15で行けば良いことになる。
今年は、エネルギー切れも起こさず行けるだろうかと、
不安を抱えたままスタート。
予想通り、内側の密度が高まり、前に出にくくなり、スピードは落ちたが、
入りの1kmは4分ジャストだった。少しスピードを落としたつもりが、
次の1kmも余り変わらず。昨年のような腹痛は来ない。
調子良く、しばらく行き、6km手前で、
大会本部による5km毎のタイム測定のことについて、
横を走っていたランナーに声を掛けられ、適当に返事をした。
こちらは全然呼吸が荒れていなかったから、平然と応えられたが、
質問をした人は多少呼吸音が聞こえるくらいだったから、
無理をしなくても良いのにと思わざるをえなかった。
6km地点は日豊本線を越える高架になるために少々タイムが落ちた。
total timeを見るまでもなく、貯金は出来ていることを、
1km毎に確認した。10km手前8kmくらいで、早速1人リタイアしている人がいて、
不安に駆られた。その後、あっという間に10km通過。全然きつくない。
調子は良いし、走っていて楽しくて仕方なかった。
でもランナーズハイではなかったように思う。
ここから難所、舟越峠を迎えるという辺りで、急に尿意を催す。
精神的に乱れた。追い打ちをかけるように、向かい風を浴び、
スピードは落ちた。
時折、
来週の速報のことが頭の中をよぎり憂鬱にさせてくれる。
峠を越えて、前を行く、10人強の集団に着いて行くことにする。
終始同じペースで走っていたつもりだったが、2、3km行くうちに、
集団の先頭部に出た。結構、体が軽くなり、ギアチェンジ出来そうだが、
昨年のように一気に集団を置いて行くことをせず、
じっくりと我慢した。まだ先は長いのだし。
先頭を走るランナーはペースが一定でないらしく、
こちらの靴が掛かってしまい迷惑を掛けた。
1km後でも、並走している時に腕が当たった。
しばらく観察してみたが、無理に飛ばしているのか、
安定してないようだ。
15kmを越えた辺りから、次第に周りの人間が落ちて行き、集団から離れ、
前の集団にも追い付き、それも抜き、前へ前へと行くようになり始めた。
どうやら、小生の固有のエンジンが稼働し始めたのだろう。
練習でも10km以上走らないとギアはトップに入らない。
走っている最中は、それに全く気が付かなかった。
とにかく楽だったから。
Lapを見れば、一目瞭然か。
その勢いのまま、18kmの関門を越え、昨年苦しみ始めたエリアに突入。
しばらく行くと、先頭集団と擦れ違う。
20kmの標識でtotal timeを見て、計算し、大丈夫だろうと判を押す。
20km過ぎで、今日初めてのスペシャルドリンクを手にする。
ウィダーの容器を利用したのは正解だった。
気管にからまることはなく、ペースもさ程落とすことなく、水分補給でき、
そのまま捨てても、初めからゴミであるから、損もしない。
調子の良いまま、Halfを迎える。昨年と違って、良い天気の状態で、
気分は最高だった。時計を見ても、かなり余裕を持って通過できていた。
沿道で応援していた、
おばちゃんが応援した人を間違ったらしく、
それを笑ってコーンを単独で折り返す。
応援してくれる沿道の観客に会釈。
しばらく行くと、Halfの関門で引かかっている人及び最終ランナーの姿が見えた。
その人達の分まで頑張るかと、かなり前向きなモティベーションで走った。
ここから、ほとんど単身で走ったために、
通過する沿道の応援を独占することになり、その度に会釈する。
若干の笑みを浮かべながら。
25kmくらい来るとさすがに疲れが徐々に出始めた。
25km過ぎの給水所で、スペシャルドリンクならぬ、
スペシャルフードであるバナナを用意しているので、
腹も減ってないし、どうするか考えたが、
バナナを無視するのももったいないので、タイムを気にすることなく、
食べることにした。全部食べる必要もないしというノリで。
が、いざ食べると結構イケて、もぐもぐさせながら1km弱走ったように思う。
途中、食べるためにペースが落ちはしたが、結果的に、
ここで食べたことが後々までエネルギーを持続させたと考えられる。
食べながら走っていると、さすがにこのレベルの大会では珍しい光景で
(青島太平洋の場合は、
エイドとして置いてあるし)、
特に沿道の子供がこちらに注目してくれたので、
にこやかにバナナを持った手を軽く上げて返した。
このバナナのおかげでスピードはある程度回復した。
27km過ぎのスポンジのテーブルでバナナの皮を捨てさせてもらった。
やはり、予想通りのリアクションだった。
25km過ぎではバナナのみで水分補給できなかったので、
スポンジの水を口に含み、気分一新。
30kmを過ぎ、スペシャルドリンクを飲むものの、
疲れの色を隠せなくなりつつあった。呼吸も多少音が聞こえるくらいになってきた。
門川の直線コースは向かい風をまともに受けつらかった。
難所である舟越峠(32km手前)を迎え、
昨年のリタイアポイント34km地点を意識し、
スピードを再び上げることにした。
せめて34km地点は快走したという、自己満足を求めて。
おかげで、33、34kmは良いスピードで走れた。
が、これも長くは持たず、再び失速。
次第に歩幅が小さくなりつつあるようだ。足が上がらない。
右ふくらはぎが攣りそうなくらいに張っている。
が、周りのランナーはもっと遅いので、相対的に速く感じられ、
沿道の応援にも会釈を繰り返した。時折、名前入りで応援してもらえる。
普通の応援でなく、名前入りだと、疲れの中でぼんやり意識がハッと戻り、
非常に助けられた。
Halfの関門を過ぎてから、失速しているランナーを多く見掛けた。
これは、Halfの関門をクリアすれば、
後は比較的楽な設定による影響も多分にあるだろう。
37kmを過ぎると、歩いている人が2人もいた。
正直羨ましい姿だったが、自分に鞭打って辛抱を続ける。
サブスリーも可能なtotal timeであることを確認したが、
計算してまでも走る気力もない。右足の指が全てソックスを破いて、
外に出ている感覚に陥る。なので足の裏でペタペタと走る感じ。
この頃から、横や前後をうろちょろと白バイが付けて来た。
多少精神を乱される分、かえって意識が飛ばないで済んだのかもしれない。
徐々に、沿道の声援に会釈をすることが出来なくなりつつあった。
向かい風もあったりしたが、なんとかある程度のスピードを維持できた。
アームウォーマ下の右肘が痺れ始めた。
残り1kmを切ったが、スピードも上げられず、
35km付近で抜いたランナーに抜き返され、最早付いて行けない。
風が強く寒いにもかかわらず、
最後の大瀬川に架かる安賀多橋で応援してくれる人がいた。
沿道の人達は寒さを堪えて応援してくれたのであろうか。
走っている方は、それなりに熱を発するので、さほどまで寒くない。
本当に頭が下がる。
42km地点を通過し、サブスリー圏内であることを確認し、
最後の力を振り絞ってスパート。
もう、スピードも大して上がらず、哀れな姿だったに違いない。
後日送られてくるであろう、
ゴールシーンの写真がそれを如実に証明してくれるだろう。
ゴールして、救われたという気持ちだった。すぐに、大きいタオルを掛けられ、
スポーツドリンクを貰う。至れり尽せりだ。
サブスリーしたことは、
事実として受けとめ満足したが、走っている最中に、
感情を凝縮したので、最早脱殻でしかない。
多少、疲れか外気のせいか寒けを感じる。
ちょうど始まっていた表彰式を見て、
重たい足を引きづるようにしてダウンをする。
乳酸を抜いておいた方が回復が早いとか。
すぐに着替え、うどんを食べに行こうと階段を降りかけた所で、
昨日の下見バスツアーの案内の市の職員さんと再会。
とにかく、完走且つ自己新の達成の報告と大会に対する御礼を述べる。
「おぐら」のチキン南蛮が美味しかったことも報告。
来年も条件が整えば、是非ともに走りたい大会であることに間違いない。
「NATS(Nobeoka Athlete Town Supporters)」主催のうどんを食べる。
食い終えようとした時に、机の対面に3歳くらいの子供が来て、
一緒に七味唐辛子のビンで遊ぶ。
生来、子供好きなので、相手をするのはなんでもない。
まだ子供に怖がられる年齢(人相)でないらしい。正直、良かった。
17時半延岡駅発なので、それまで予定通り渡ることにする。
頭の中では17時発と思い込んでいたために、
いささか慌しいスケジュールとなった。
延岡駅に14時過ぎに着き、27分の宮崎空港行きに乗り、門川駅下車。
17時に延岡駅に戻るためには、16:06発に乗らねばならない。
ともかく、目的地に向けて、良く知らない道を、
駅前の看板を記憶に留めて歩く。15分くらい歩いたところで、
"それ"は左手に見えて来るはずなのに、住宅地しか見当たらず、
とりあえず、ちょうど外で作業されていたおじさんに聞いてみた。
さらに2kmくらいあるとのこと。駅に指定された時間に戻れるか不安だったが、
ここで引き返すのも無念ということで行けるだけ行くことにした。
ということで、走る羽目に。すごく、しんどい。すぐにヘロヘロになり、
持続しない。国道に出て、もうしばらくという地点で、
さっきのおじさんが車で追いかけてくれ、拾ってもらった。
少なからず、そういうことを期待していたものの、
現実になるとは思いもしなかった。人の温かみに触れる一日である。
目的地は車に乗らずとも、すぐの場所で、初めに遠景を眺め撮影し、
さらにマニアックな道を走り、看板のある麓へ。
ここで二人とも下車して、登ってみる。小生だけ本丸まで登る。
撮影し、すぐに下る。ここら付近の地元の人間ならではの情報なども聞けた。
ともかく、会話だけでも馬の合う感じで、会話していて面白い人だった。
予想通り、わざわざ駅まで送っていただいた。
結果的に16:06まで30分待つことになった。
しかも、ここで、バスが17時半発であることを理解した。
延岡駅に16時半前に着いてしまい、腹も減ったので、夕食を摂ることにした。
風が強くて寒いので、駅前にある食堂へ。
営業中とあるが、暗い雰囲気で、入ってみると、店の主人夫婦が、
食事中だった。誠に申し訳ないと恐縮しつつ、
ちゃんぽんを注文。なかなかに良いダシのとれた美味な物だった。
麺も細麺で意外に良い。
バスセンターでしばらく待って、乗車。
高千穂くらいまで軽く寝るも、熟睡できず、再び上映していた「黄泉帰り」と
「ニューヨークの恋人」をなんとはなしにイヤホンを付けて見る。
まあ、高速バス内で流せる無難な映画だろう。
バスの車種も違うのに往復同じ物が流れたのは予想外だったが。
感動の抜けた無味な生活が始まった。
とどめを剌すかのようにせまる速報の日。
ここ最近、箱崎界隈にやたらと出没してきた歩車分離信号。 狙いは、想像されるに、自動車による巻き込みを防ぐことなど、 交通量の多い交差点もしくは小学校の近辺では、 その有効性は測りしれないものかもしれない。 交通量の多さでは、吉塚駅前や中洲の場合は、まだ納得できるものがある。 が、しかし、箱崎に少なくとも、2つも設置する必要があるのだろうか。 また、この分離信号は、以上述べた有効性と相反して、 その所要時間の長さから、かえって渋滞や信号無視を招かないだろうか。 何を基準に、設置したのか、正直懐疑的にならざるをえない。 単なる予算調整でないことを祈るばかりである。
やたらと市町村合併が行政指導によって謳われているが、
これにもやはり以前から物申したいと思っていた。
合併をする動機やメリットには多くの議論を必要としそうだが、
さておき、問題に感じているのが、
合併後の市町村のネーミング。
そこに住む人間でない者が口挟むのもなんだが、正直、
その名前に、がっかりさせられるし、
センスの無さ以上に、大丈夫ですか?と問いたくなる。
例えば、ひらがな表記等の表記問題。柔らかいイメージを主張したいのか。
癒されたいのか。カタカナ表記など問題外な気がする。
次は、その名前の中身について。名前を聞いただけで、
誰でも分るようにしたいからと云う狙いで付けられた名前も多いようなのだが、
結局ありふれた名前に帰着するので、
どこがどこだか混乱を招く事態にもなっている。
その県内部の人間ですら、分らないのに、
県外の人間に分ってもらおうなんて。
また、単純に旧国名を付ければ良いとも思えない。
基本的に広い地域を指して、そう呼ばれたはずなのに、
一地域がその名前を独占して良いのか?
何県かは分るが、そのどこなのかは分らないし、さっぱり個性も感じられない。
が、これはまだマシな方だろう。
ありえないのが、全くそこの土地とは、リンクのない名前。
それらの名前は、有史以来、約2000年近く、
その土地に由来した名前を捨てさせる程、
付ける価値・魅力のある名前なのだろうか。
100年後の人間も胸を張って誇れるくらいの名前だろうか。
その地域に馴染んだ個性ある名前くらい、1つ2つくらいはあるだろう。
合併に伴う、郡の消滅も甚だ哀しい話だ。
律令制度から発生したであろう「郡」も、
戦後はどちらかと云うと田舎を象徴するようで、
郡役所もなく、ただの枕詞みたいなものになってしまった。
律令制から由来する、その名前に魅かれるのは、
小生が郡に住んだことがないからだろうか。
字(あざ)、大字の名前を頼りに歩くこともあるが、それは、ほとんど、
歴史的に地域に根差した名前である。
現在ある市町村の名前も昔は字が出発点だった可能性は高い。
そんな魅力ある名前の消滅を聞くに偲びない気持ちになるのは、
小生だけなのだろうか。
以上。
最早、まともです、とも胸を張って云えない。
もとより、まともたらんとも思ってもいないのだが。
先週の疲れを若干残したまま、大川へと向かう。
足の甲はまだ痛む。左膝内側の筋の痛みも少々気掛かり。
天神にチャリを置き、8時発の特急で一路柳川まで。
花畑に停まる必要は如何に?
西鉄柳川駅も、3/21に三橋町が合併するので、柳川市になるのだろう。
駅前に停めてある会場へのシャトルバス(ただの路線バスだが)に乗り込む。
バスカードを使えなかったのは誤算だった。
会場本部で受け付けをする。始めから、かなり重たい参加賞をいただく。
それにしても、先週の延岡に比べると、すごい参加者の数。
しかも、年齢層や体つき、外観も全然違う。
会場本部には、最後の抽選会の景品らしい、家具が数十点も並んでいた。
人の少なそうな気配を察し、ふれあいの家で着替える。
部屋に暖房が入っていて、猶且畳なので実に快適、申し分ない。
会場である河川敷に出て、軽くアップし、10km用のダッシュも。
きつい。
インターバルなどのスピード練習もしてないので、
今日は、そんなに良い記録も出まいと腹をくくる。
ふれあいの家に戻り、ゆっくりとしていたら、
スタート時間まで余裕がなくなり、慌てて向かう。
スタートラインはまだ疎だったので、なんとか3〜4列目に忍び込む。
ランシャツ・ランパンにグロブ・アームウォーマーという"いでたち"だったので、
単純に速そうに見えるらしく、上手く行った。
でも今日も謙虚に3〜4列目。
スタート1分前に、かけ声を上げてから、ほとんど何の前触れもなく、
スタートの号砲。
中央に位置したので、周りの密度が高く、走りにくい。
まあ、始め飛ばすと、最後きついので、無理をせずに、
マイペースで行くことにした。
河川敷のトラックを周り、土手を上がり、
大野島の福岡県側を時計回りに回ることになる。
息が上がらない程度のスピードだが、正直きついが、
先週走ったせいか、体のキレは良いらしい。
沿道には地元住民が時折ちらほらと見かける程度。
先週と同じように会釈しておく。
3kmくらい行ったら、すでに先頭集団はけた外れに、はるか先を行っていた。
少しづつ、始めの勢いに影りが見え出す。
が、先週のおかげか、急激な落ち込みもない。
とにかく粘って付いて行くことにする。
4kmを過ぎ、砂利道になり、走りにくくなった。
レース後に行く予定である、佐野常民記念館が対岸に見えた。
中間点を過ぎても、
先月程に疲れを感じない。
南下し出すと、向かい風になり、かなり辛かった。
これを、なんとか辛抱する。途中、沿道で応援する小学生が、
一人一人に順位を教えてくれた。手を軽く上げて、感謝の意を示す。
7kmを過ぎ、東に向かう。
向かい風をまともに受けなくなり、多少楽になった。
さっきから基本的に走っていてきついが、時折、
エネルギーが湧いてくる感触があり、
スピードもなんとか維持できているようだ。
8kmを土手に上がり過ぎると、追い風になり、エネルギーも湧いて来て、
1人抜いた。9kmの河川敷のコースに入ると、一気に疲れが出て来た。
ダルい。また風上に向かうせいか。しばらく、ダルさと闘った後、
追い風になったところで、再びスピードを上げる。
スパートをすると結構出て、そのままゴール。
もう少し前からスパートできたなと反省。
コースの内側の芝生をダウンのために軽くジョグ。
濡れていて感触が悪い。
着替えに、ふれあいの家に戻る。着替え終えてから、
弁当とだご汁を貰いに行く。
着替えた時間の分、テント前の人だかりが大きくなっていた。
ふれあいの家で弁当を食し、抽選会場へ。
20分遅れで閉会式が始まる。
前で話している人もいるのに、聞いていない人が多々。
抽選が始まると、皆の注目は絞られ、40点以上もある商品に対して、
ゼッケン番号が発表され、多少盛り上がる。
しばらくすると、小生の番号の1つ違いが呼ばれ、
今日は何か来そうな予感がする。今迄に当たったことのないだけに、
それは説得力に欠ける予感であることには違いないが。
始めのこまごまとした商品も終わり、家具が出始めた頃、
スライド書棚が出て来る。
あれ良いなあと思っていると、
番号が呼ばれるも、該当者は帰宅したらしくていない。
改めて、番号を引き直すと、「オッ」、もう1度呼ばれ、「来たっ」。
すぐに立ち上がり、貰いに行く。
ちかっぱ嬉しくて仕方がなく、笑いが止まらない。
目録を貰い、元の位置に戻る。送料は自腹だが、余りにおいし過ぎる。
だが、運を使い果たしたようで、不安にならなくもない。
抽選会終了後に、さすがに持って帰れないので、実家に着払いで配送をお願いする。
気を良くして、早津江にある、
佐野常民記念館に向かう。
昨年10月に出来たばかりで、建物は現代的で綺麗だった。
父親に向かえに車で来てもらった。パソコンを教えると云う条件の下に。
というか、向かえに行くから、教えてくれという感じで。
P2Pテレフォニー。ネットを利用した電話。 昨年から、実家に伯父が導入するように促していたので、 マイク付きヘッドフォンを購入した上で、設定。 といっても、インストールはしていたので、 単にユーザー名とパスワードを設定するだけ。実際にどう使うかは分らない。 ユニークな、我ながら満足の行くユーザー名を名付け、パスワードを設定し、 伯父を検索し、繋いでみると、上手く行った。
1週間前の延岡の録画放送を見る。
スタートシーンでほんの一瞬だけ映った。まあ自分しか分るまい。
トップ争いは、我々一般参加組とは違って、
紆余曲折を経るなかなか面白い展開だった。
舟越峠は、やはりトップランナーでもポイント。
ゴールテープを切るのは、やはり気持ち良いだろうなあと。