武蔵(東京)・下総(東京)9



豊島清光館白金館葛西城葛西清重館小田野城

豊島清光館


北区【最寄り駅】東京メトロ南北線王子神谷駅

秩父氏庶流の豊島清光(『城巡礼』によれば清元が正しいことが判明) がここに館を構えた。
現在は豊島権守清光を開基とする清光寺となっている。 遺構は何も残っていない。

境内

白金館


港区【最寄り駅】東京メトロ南北線白金台

室町時代前期に柳下上総介が館を構えていたと伝わる。 江戸期に入ると、高松藩松平氏の下屋敷となり、 明治の頃は火薬庫、大正の頃は皇室の所有地となり、 現在は国立自然教育園となっている。
都市化から阻まれたこともあり、現在は土塁が良く残っている。

土塁1 土塁2

葛西城


葛飾区【最寄り駅】京成本線青砥駅

山内上杉氏の目代大石氏の勢力下にあったことから、 その時期に築城されたと推測されている。 その後、天文7年(1538)に北条氏綱に落城され、北条氏の支城となり、 天正18年(1590)北条氏の滅亡後、徳川氏の持ち城となった。 それからは家光の時代まで、青戸御殿(葛西離館・葛西御殿)として使われ、 明暦3年(1657)に廃された。(大系より)
昭和47年(1972)から環七建設に伴う遺跡調査で、 堀の跡や陶磁器や漆器椀などの発掘があった。 が、今は環七の下となった。

公園内 石碑

葛西清重館


葛飾区【最寄り駅】京成押上線四ツ木駅

葛西清重が晩年、親鸞上人の弟子となり、西光房と号したことから、 現在の西光寺がその館跡といわれる。
西光寺は嘉禄元年(1225)の創建で、 近くにある清重塚といわれる古墳は清重夫妻の物といわれている。 遺構はなにも残っていない。

西光寺

小田野城


八王子市【最寄り駅】JR中央本線高尾駅

八王子城城主北条氏照家臣小田野源太左衛門が、 八王子城築城と同時期に築城したという。 天正18年(1590)上杉景勝に攻められ落城したという。(大系より)
昭和54〜55年の都道建設に伴う発掘調査で、腰曲輪、土橋、空堀(右画像)、枡形 などが発掘され、さらに陶磁器類の破片、古銭、鉄砲の弾も出土した。 その結果、史跡保護の声が上がり、トンネルへと変更になった。 現在は公園となっている。 最高所である曲輪(中央画像)の南側の広い曲輪(左画像)は後世に削平されたものか。

本曲輪下 本曲輪

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