12世紀後半頃大見平三家政かその息子小藤太成家が現在の實成寺付近に館を構えたといわれる。
明応6年(1497)大見三人衆が柏久保城に攻め寄せる狩野氏を攻め、
また同年に籠城したという。(現地案内板・静岡の山城より)
現在、大見城址農村公園として木々が伐採され、遺構は非常に見やすい状態で、登山道なども
管理されている。 竪堀の跡(左端画像)や腰曲輪、背後の堀切(右端画像)が残っている。
主郭(中央画像)はやや不整形となっている。
麓の實成寺は根小屋であったらしく、大見城から尾根で繋がっている。
15世紀末〜16世紀頭の遺物が発掘され、焼土も発掘されており、
明応2年(1493)伊勢新九郎長氏が足利茶々丸を滅ぼした後の数年間と符合するという。
現在見られる遺構はかなり技巧的で、その当時というよりは、
天正18年の豊臣勢の小田原征伐前のレベルであると思われる。(静岡の山城より)
麓の鎌田から登ると、いったん主脈の尾根に登り、南東に突き出た城山へ少し下って登り返す。
登り返すと、すぐに堀切が1本あり、しばらく行くと、
堀切が3本互い違いになったような技巧的な虎口が現れる(左端[下から]・左2画像[上から])。
郭は三角形の形をしており、北側の頂点から入り込むような感じである。
西側には堀切が1本あり(中央画像)、その先から奥野ダムが見渡せる。
北東側の空堀はよく残っている(右2画像)。
南東側には2重の堀切があり、土橋が残る(右端画像)。
現在ははっきりしないようだが、麓の方へ下れるようである。
寛和2年(986)参議中将藤原友実の長子鷺坂(匂坂)十郎則実が築城したという。
代々続き、11代六郎右衛門入道長能の時に匂坂城に移ったというが信憑性はない。
「宗長日記」から文亀の頃(1501〜1503)斯波義雄が社山に在城し、
今川氏によって二俣城に配流されたことが分かっている。
その後、武田信玄の二俣城攻め、天正年間に徳川家康が砦を構えたとされるが、
正確なことは分かっていない。(「静岡の山城」・大系より)
敷地駅から行くと県道61号から分かれて北に向かうべき所に標識があり、それに従えば、北の曲輪に至る。
堀切があり(上段最左画像)、北の曲輪の中に入る。左側(東側)は谷になっている。
しばらく行くと本曲輪の下に出て、土塁と空堀がある。手前に竪堀群があるらしいが、
藪っていて確認できなかった。
本曲輪には社が立っていて平坦にならされている。
尚、本曲輪には、匂坂氏4代六郎共長が城内に植えた3本の蘇鉄が、11代長能の時に、
匂坂城に移植され、元亀3年に落城し、宝暦年間に「増参寺」に2株、匂坂本家に1株移植され、
平成17年にここに里帰りした蘇鉄がある。(下段最右画像)
本曲輪の南西側には横堀が伸び(上段左2画像)、その下への急坂の尾根上には2本堀切があった。
本曲輪から大きな堀切を挟んで(上段左3画像)、
二の曲輪がある。二の曲輪の西端(本曲輪側)には大土塁があり、
中央部がえぐれて、現在鳥居が立っているが、木橋でもあったのだろうか(上段最右画像)。
二の曲輪は本曲輪よりも狭いが、北に帯曲輪、中央部に虎口があり(下段最左画像)、
南側から東部へ下る道があり、
二の曲輪の下にある堀切は圧巻であった。
詳細な歴史は分からない。
突端状地形の先にある小規模な城で、尾根上に堀切が2本あった。
前の台風で木がなぎ倒されたということであったが、
確かに本曲輪すぐ横の堀切は倒木が激しく登れなかった。
本曲輪とは反対側の方はなんとか登れた(最左画像)。
本曲輪には堀切から直接登らずに、脇から登れたが、
藪化しており(中央画像)、なんとなく空堀と土塁らしいものが見えたが確認はしなかった。
社山城に行くために下車した、敷地駅にあった案内板で偶然見つけ、
仲明公会堂の先で農作業されていた方に聞いて確認できた。
乗車時間まで時間がなく残念であった。
鎌倉時代から武藤氏の支配するところで、武藤氏により築城されたと推測されている。
元亀・天正の頃、武藤刑部亟氏定は武田氏に属しており、小国神社に立てこもり、
徳川家康に攻略された。武藤氏はその後武田方として高天神城に籠城し、滅亡したという。(現地案内板より)
「静岡の山城」によれば、元亀3年(1572)に武田信玄が遠江進出の際に古城を取り立てたとある、
市の宮城が当城であろうと推測している。
登城口から登ると、2段からなる曲輪が現れる(最左画像)。
南横堀が目の前に横たわり、それに沿うように東に回り込む(左2画像)。
クランク状の虎口があり、左に入ると本曲輪である。
一方その右側(東側)に伸びる尾根には深い堀切が入っている(左3,4画像)。
本曲輪には祠があり、それを囲むように座禅をする小さな人形がたくさんある。
西側には虎口があり、その北側に横堀があるが、藪化していた。
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