近江3



音羽城日野(中野)城岡山城水口城虎御前山砦

音羽城

N35.00'17''47, E136.16'06''60
日野市【最寄り駅】近江鉄道本線日野駅

応仁の乱の頃、蒲生氏の居城として築城された。 貞秀の没後、当主秀紀とその叔父高郷の間で争いとなり、 結局、音羽城主であった秀紀が負け、音羽城は廃城となり、 高郷が実権を握った。
やや薮化しつつあるものの、曲輪や堀の跡など見るべき物は多く、規模も大きい。 特に抜け穴なるものまで残っている。


日野(中野)城

N35.00'31''54, E136.15'54''50
日野市【最寄り駅】近江鉄道本線日野駅

音羽城に蒲生氏の本城があった頃から存在したが、 天文2年(1533)に定秀が3年をかけて、本格的に築城した。 定秀の孫、氏郷の時に信長に仕え、本能寺の変の後にその家族を迎え入れた。 氏郷転封後、しばらくあって、 元和6年(1620)市橋長政が仁正寺藩(1万8千石)として陣屋を構えた。


岡山城

N34.58'13''50, E136.10'49''66
甲賀市【最寄り駅】近江鉄道本線水口駅

増田長盛の居城。関ケ原の戦いの後、東軍に攻められ、落城した。
現在は、公園化されているもの、薮化している。 本丸東側斜面に石塁が残っている。

岡山城石塁

水口城(碧水城)

N34.58'13''26, E136.09'51''72
甲賀市【最寄り駅】近江鉄道本線水口城南駅

寛永11年(1634)3代将軍家光が上洛に先立って、 宿館として水口城を小堀遠州に築かせた。その後、城番が置かれた後、 天和2年(1682)に加藤明友が水口藩主となり、代々加藤氏が続いた。
現在は、出丸の位置に櫓が復元されている。堀や石垣はある程度残っているものの、 高校の運動場になっている。

水口城大手 水口城石垣

虎御前山砦

N35.26'34''88, E136.15'42''35
湖北町・虎姫町【最寄り駅】JR北陸本線河毛・虎姫駅

元亀3年(1572)に小谷城を攻めるに当たり、この虎御前山に信長は砦を築き、陣を布いた。 北から、柴田勝家、羽柴秀吉、織田信長、堀秀政、滝川一益、丹羽長秀、蜂屋頼隆、多賀貞能 が砦を築いた。



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