近江2



長浜城横山城佐和山城大溝城坂本城

長浜城

N35.22'40''06, E136.15'42''64
長浜市【最寄り駅】北陸本線長浜駅

秀吉が浅井氏の滅亡後築城し、その後小谷城から移った。



横山城

N35.23'33''49, E136.20'02''21
長浜市【最寄り駅】北陸本線長浜駅

浅井氏の小谷城を攻めるために秀吉が3年間持ちこたえた城。
石田三成の生誕地石田から登山口がある。駅から約6kmあり遠かった。



佐和山城

N35.16'47''13, E136.16'09''37
彦根市【最寄り駅】JR東海道線彦根駅

石田三成の居城として有名。当時、三成に過ぎたるものとして、家臣の島左近と、 この佐和山城と云われた。関ケ原の戦いの直後に東軍に囲まれ落城した。 その後、彦根藩主となった井伊直政によって痕跡がなくなるまで、 徹底的に壊され彦根城などに利用された。
現在は従って遺構は石垣が天守閣跡らしきところにあるらしいが、草むしており、 確認できなかった。曲輪跡は多く残っている。 太鼓丸手前に堀切が残っている。(左3画像)
8号線をトンネルを抜けた北側に大手門跡が畑の手前にある。 土塁らしき跡があり(右端画像)、 大手門内はかつての屋敷跡なのか、平坦地が畑となっていた。(左4画像)

石碑 本丸 堀切 大手門内 大手門土塁

大溝城

N35.17'33''04, E136.00'45''55
高島市(旧高島町)【最寄り駅】JR湖西線近江高島駅

織田信長の甥である織田信澄の居城。明智光秀の縄張りによる。 が、明智光秀の娘婿だった為に、 丹羽長秀・織田信孝に殺され廃城となり水口にある岡山城に移された。 大溝城主は、丹羽長秀、植田重安、加藤光泰、生駒親正、京極高次、 織田三四郎、吉田修理と代わり、 江戸時代元和5年(1619)に、分部氏が2万石で入った。
現在は本丸跡の石塁のみがぽつんと存在する。

大溝城1 大溝城2 大溝城3

坂本城

N35.03'45''08, E135.52'48''05
大津市【最寄り駅】JR湖西線坂本駅

明智光秀の居城。山崎の合戦の後に明智秀満は火を放って自害した。
現在は琵琶湖に水没した部分もある。遺構はあまりはっきりしない。

坂本城1 坂本城2


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