関ヶ原の戦いの時、西軍に囲まれ城主京極高次は開城に至った。その際、
灰燼に帰したため、家康は膳所に築城するように命じた。
現在は大津港の近くに碑が立つのみである。
現在は琵琶湖に面した桜の名所である。
豊臣秀次の居城。秀次の切腹死とともに廃城となったが、その後寺院となった。
現在は、280m余りある頂上までは麓からロープウェーが出ている。
頂上には石垣もかなり残っている。八幡城の碑はロープウェーの
コースの途中にうっそうと茂った所にあり、撮影に難航した。
言わずと知れた安土城。天守閣跡や屋敷跡も残る。かつては、 本丸から臨めたであろう琵琶湖も、今は埋め立てられて湖岸はかなり 遠くなった。
関ヶ原の合戦後、井伊家の居城として、石田三成の居城であった 佐和山城から移り、天下普請で築城された。江戸期からの天守閣で 国宝である。時代劇にたまに出てくる。
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