近江13



田上山城若宮氏館太尾山城肥田城八町城

田上山城


木之本町【最寄り駅】JR北陸本線木之本駅

天正11年(1583)賤ヶ岳の戦いの際に、羽柴秀長がここに築城し陣を布いた。
現在は、4つからなる曲輪がよく残っている。 中でも、土塁と虎口、さらに堀を伴った外枡形の虎口など、 城域は狭いながら見応えがある。

虎口と堀切 IV手前

若宮氏館


米原市(旧米原町)【最寄り駅】JR北陸本線坂田駅

京極氏や浅井氏に仕えた、若宮氏の居館跡。 山内一豊の妻、千代の出身と伝えられ、観光地となっている。
現在は堀跡という水路しか残っていない。

顕彰碑 屋敷跡

太尾山城


米原市(旧米原町)【最寄り駅】JR東海道本線米原駅

米原氏により築城されたという。 六角方の永田氏や能登氏が在城している。 その後、場所柄、六角氏と浅井氏の境であることから、 この城を巡って攻防が繰り返された。 永禄4年(1561)浅井方の夜襲により落城させたが、 その後、信長軍の近江侵攻でその境目の城としての役目を終えた。
別城一郭と呼ばれる構造で、山の尾根の南北に分れている。 北城は、盗人の岩から少し行くと城域となり、 土塁で囲まれた曲輪がある。 ここから東へ回り込まないと本丸までには道はない。 また本丸から南の尾根にかけても、 堀切と土橋があり、さらに曲輪があり、下ると、 深い堀切がある(画像左端)。
自然地形を少し南下すると、 堀切となり(画像中央)、 北東南を土塁で囲まれた曲輪(画像右端)に登る。 さらに南に櫓台跡といわれる土台が残る。 現在、米原市により整備され、青岸寺と湯谷神社、両方に登山口がある。
尚、松茸山であるので9/15〜11/20は入山禁止である。

北城南端堀切 南曲輪北端堀切 南曲輪土塁

肥田城


彦根市【最寄り駅】JR東海道本線稲枝駅

六角氏に従う高野瀬隆重が大永年間(1521〜1528)に築城した。 秀頼の時、浅井賢政(長政)に属いたために六角義賢に水攻めに遭った。 が、落城することなく持ち堪えた。浅井氏滅亡後、高野瀬秀隆は柴田勝家に仕えた。 蜂屋頼隆が入り、その後、天正11年(1583)長谷川秀一が入った。 秀一が朝鮮で陣没した後、廃城となった。
現地に着いたのが日没後であった。 城址としての遺構はないようだが、 水攻めの際の土塁が一部残っているように見えた。

石碑

八町城


豊郷町【最寄り駅】近江鉄道本線豊郷駅

赤田氏の居城。
白山神社、常禅寺の西側に土塁が残る。 白山神社の裏手は竹薮が放置されていて、入り込む気にはなれない。

一応土塁

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