近江10



桜生城小堤城山城古城山城永原御殿夕日ヶ岡城

桜生城


野洲市(旧野洲町)【最寄り駅】JR東海道本線野洲駅

桜生にあり、個人宅が土塁と水堀に囲まれている。 北東にある日吉神社の前にも水堀と土塁が残っている。 よく壊さなかったと感心するくらい保存状況は良好である。

水堀 土塁

小堤城山城


野洲市(旧野洲町)【最寄り駅】JR東海道本線野洲駅

希望ヶ丘文化公園から登り口がある。 谷筋の道をしばらく登ると、城址と関係するかどうか分らぬが、 石塁が数段残っている(右端画像)。 この谷筋の道を登り切ると堀切のような場所に出て、 左へ登ると本丸方向となる。 急斜面を登って行くと、石塁がある(左端画像)。 こちらは搦め手だったのだろうか。 東西に長い本丸から今度は西へ行くと、 数段の曲輪と石塁が残っている(左2画像)。 『滋賀県中世城郭分布調査報告』の縄張り図によれば、 さらに北西にかけて遺構があったようだが、未確認。

石塁1 曲輪と石塁 遠景 石塁2

古城山城


野洲市(旧野洲町)【最寄り駅】JR東海道本線野洲駅

希望ヶ丘文化公園から小堤城山への道を堀切らしき所まで行き、 反対方向の東(右)へ縦走路をしばらく行くと、堀切があり、 そこを越えて行くと、やや荒れた小高い山があり、その背面に城址はある。
この縦走路と下って行くと堀切となる(右端画像)。 この小高い山の背面は曲輪らしき平坦地が数段残っている。 最下部が館の跡?だったようで、北西と南西面に土塁が残っている。 また現在は中央部に祠が祀られてある。

本丸 曲輪? 堀切

永原御殿


野洲市(旧野洲町)【最寄り駅】JR東海道本線野洲駅

永原氏の居城。六角氏とともに信長の前に滅亡し、その後、佐久間信盛が入った。 江戸期に入り、将軍上洛の際の宿となって使用されたが、貞享3年(1686)廃城となった。
現在は完全に竹薮化してしまい、方形の屋敷を囲む水堀が残っている。

永原御殿

夕日ヶ岡城


野洲市(旧野洲町)【最寄り駅】JR東海道本線駅

標高も低く、遺構ははっきりしない。 尾根筋を歩いてみると、堀切らしい跡が数ヶ所、 土塁らしい跡があるが、説得力には欠ける。 左端画像の展望所から北東に行った所に、 やや切岸を残した曲輪のような場所があった(右端画像)。

本丸 土塁 曲輪

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