宮原大膳太夫の居城と伝わる。
現在は西尾にある八幡神社が本丸跡のようで、周りにクリークが流れ、
堀であったことも想像に難くない。また東尾には屋敷があったらしく、
今でもフラットである。
犬塚氏の居城。神埼の埼村城にいた犬塚家広を、
龍造寺隆信が西尾城攻めの帰りに守りとして据えた。
現在は中津隈にある宝満神社が城址である。
境内には前方後円墳もある。神社の辺りが若干高くはなっている。
遺構はよく分らない。
少弐資元を擁立した馬場頼周が築城した。その孫の鑑周の時に少弐政興を擁したが、
龍造寺隆信に攻められ落城した。馬場頼周は龍造寺家を壊滅させたことで有名。
国道264号線沿いにある納骨堂の辺りが城址。
現在は慰霊塔の横に小さな廟がある。遺構ははっきりしない。
横岳氏の居城。少弐氏を擁した縁で大友氏につく。
度々、龍造寺隆信に攻められたが、大友氏の援助もあって退けたが、
大友氏の衰退に伴い、
龍造寺隆信の前に横岳鎮貞は降伏した。
城址は畳工場の敷地内にある。クリークに囲まれた地域で、
堀として利用していたのだろう。
姉川氏の居城姉川城の出城だったようだ。
若宮神社周辺が城址らしいが、田んぼ等しかなく、遺構はよく分らない。
姉川城までは近い。
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