肥前6



横大路城高木城渕川城菩提寺城千栗城

横大路城


神埼市(旧神埼町)

九州探題一色直氏の居城。北朝、南朝の争いの場として熾烈を極めた。 その後、菊池武安の一族のものに。
現在は竹林となりなかなか進入を許されない。 段々になった曲輪の跡ははっきりと残る。
城跡を示す、杭もなくなり、薮化してしまった。

横大路城1(1333bytes) 横大路城2(1370bytes) 横大路城3(1911bytes) 横大路城碑(1923bytes)

高木城


佐賀市【最寄り駅】JR長崎本線佐賀駅

高木氏が大和町にある春日山城からここに移り、高木氏を名乗る。 その後、龍造寺氏に敗れ去る。
現在の高木八幡宮近辺で、付近はクリークで入りくんだ地である。 遺構はクリーク以外にはないようだ。

高木神社1 高木神社2

渕川城


佐賀市【最寄り駅】JR長崎本線佐賀駅

龍造寺氏の家臣空閑三河守の居城。 空閑氏は佐賀に侵略してきた大友氏に対する軍功があった。
空閑三河守の廟があり、城跡そのものはないようだ。 ここもクリークで囲まれた地で、この廟よりも少しばかり北にある、 天満宮の北辺りが跡だという。

空閑三河守廟1 空閑三河守廟2

帯隈山神籠石


佐賀市

帯隈山を中心に神籠石が存在するそうだが、 果樹園や畑などとなり、 簡単に見られる所が甚だ少ないようである。

帯隈山列石1 帯隈山列石2

菩提寺城


神埼市(旧神埼町)

この仁比山一帯は北朝方であったが、菊池武光に攻められ落城した。
土器山の中腹にある中宮菩提寺辺りと云われる。確かに土塁の跡などが残る。 が、それ以外遺構ははっきりしない。

土器山から 土器山

千栗城


みやき町(旧北茂安町)

足利尊氏の武将小俣道剰が築く。その後、北朝方と南朝方の争いの場なり、 菊池氏のものになった。今川了俊が京から派遣されて九州探題として下向すると、 菊池氏は引き上げてしまい廃城となった。

御岳神社1 御岳神社2 千栗八幡宮

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