蟻尾山の頂上にあった。大村氏が千葉氏に対して築城したが、落城された。
現在は鹿島市の野球場や陸上競技場がある。
波多氏の本城鬼子岳城の支城の1つ。
青山采女正の居城と云われる。
正の姉(妹?)円子姫(心月姫?)は、岸岳城波多親の前妻である。
竜造寺家との関係から、離縁させられた後、現在の麓の心月寺のある場所で
隠棲した後、没後に心月寺が開山されたと云う。
現在は神社などがあるが、曲輪跡などであることくらいは分る程度。
人が余り寄りつかないらしく、蜘蛛の巣が多く、薮に覆われている。
約4年振りに行ったが、熊野宮より上部は、相変わらず、植物の繁茂するがまま。
本殿より上にある奥宮?まではしっかり竪堀のような道に従えば行ける。
そこから本丸へは、軽い斜面を強引に行けば達っするが、
本丸跡も木々の生えるがままの状態で、堀切など存在するようだが、
確認はできなかった。西側に微高地があり、櫓台などが置かれたのだろうか。
三角点(119.9m)がある。
松浦党波多氏の本城。鎌倉時代に築城されて以来波多氏の居城であったが、
秀吉の命に背いた理由で配流され、廃城となった。
現在でも旗を差した跡の穴も残る。
頂上にある遺構は甚だ広く、堀切も石塁を使って作られており、
所々に当時のままであろう石塁がひっそりと存在する。
その他にも井戸の跡も数ヶ所ある。
三の丸跡から本丸跡にかけては、日が射さずに暗く、うす気味悪い。
抜け穴や埋蔵金伝説もあり先日某番組でも紹介された。
南北朝時代九州探題として下向した今川氏の子孫の城。
現在は碑と墓らしきものしかなく、遺構ははっきりしない。
阿蘇惟直の弟惟成が兄共々多々良ヶ浜で北朝方に負けた後、逃げ隠れた地。
戦国期では神代氏の居城。
現在は富士町役場のある古湯温泉の背後に城山公園として整備されている。
屋敷跡や曲輪の跡、石塁も残る。
平成27年4月時点で東尾根からの道は封鎖?されていた。
西尾根から登ると、堀切があり(下段最左画像)、主郭(下段左2画像)に達する。
北側には石塁も残っている(下段左3画像)。
このページの著作権は、作者に帰属します。 画像などの2次利用は御遠慮下さい。