小田氏の居城。龍造寺氏に落城された。江戸期になると、佐賀鍋島藩の支藩である、 蓮池藩が置かれた。今は蓮池公園となっている。
鎌倉時代に下向してきた、関東の千葉氏の城。千葉城の近くの 小城公園には鍋島家の支藩小城藩があった。
龍造寺氏が城主であったが、その後家臣であった鍋島家のものとなった。
江戸期は鍋島36萬石の中心地。
江藤新平らの起した佐賀の乱の舞台ともなった。
現在は鯱の門のみが残る。
平成15年1月現在本丸御殿(県立歴史資料館)復元中。平成16年開館予定
本丸御殿が復元された。天守台にあった建物も撤去されている。
どうやら南朝方の城だったらしい。現在は寺院となっている。
室町時代初期、足利直冬方の白石氏の居城であった。
その後、少弐氏の分族である、平井氏の本城となった。
永禄6年(1563)有馬義貞が小城郡に侵入した際に、平井経治が参戦し、、丹坂峠の戦いで敗れ、
須古に戻って、有馬方の残党を引き受けた。
その後攻め寄せた龍造寺軍を撥ねつけた。
翌年も隆信が攻めるも失敗した。
天正2年(1574)弟の直秀に内応させ、経治を吉田に追い出し、城主とした。
その後、経治は直秀を討ち、奪還したが、11月末に再び攻められ、落城し、
経治は自害したか逃げたか判明しない。
その後、隆信の居城として大改修された。
天正12年(1584)沖田畷の戦いで討ち死にすると弟の阿波守信周の居城であった。
(『佐賀県の中近世城館 第3集』より)
国指定遺跡を目指して、整備されてきている。
南側と西側に虎口があり、主郭の東側の尾根に高石垣が残る。また北側の外周にも石垣が残る。
主郭は広く、礎石の跡も残る。
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