和泉・河内・摂津(大阪)1



高槻城岸和田城池田城茨木城若江城

高槻城

N34.50'34''60, E135.37'20''04
高槻市【最寄り駅】阪急京都本線高槻市駅

信長の家臣荒木村重の寄力、高山右近の城として有名。荒木村重の謀反の 時は宗教(キリスト教)上、信長側に付いた。現在はその高山右近の像が立つ。


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岸和田城

N34.27'33''33, E135.22'14''54
岸和田市【最寄り駅】南海線岸和田駅

小出秀政の居城。
だんじりの影響だったか、閉館中に訪ずれてしまい、 中に入れず仕舞い。


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池田城

N34.49'37''16, E135.25'42''60
池田市【最寄り駅】阪急宝塚線池田駅

池田氏の居城。戦国期に織田家に従い、その後、荒木村重の居城となる。 が、街道筋の有岡城に移り、廃城になった。
しかし、荒木村重が謀反を起すと再び池田城が使われた。
現在は当時のままではないが、再現されて池田城跡公園となっている。

池田城1(1668bytes) 池田城2(1912bytes) 池田城3(1727bytes) 池田城4(1855bytes)

茨木城

N34.49'12''10, E135.34'17''81
茨木市【最寄り駅】阪急京都線茨木市駅・JR東海道本線茨木駅

建武年間に楠木正成が築城したと云われる。また、安富氏、福富氏という説もある。 応仁の乱の際、東軍の安富元綱に属した野田泰忠が陣を布いたという。 この茨木、吹田の辺りは国人衆の支配下にあったが、 細川政元らに落城され、薬師寺元長の支配するところとなった。 その後、国人であった茨木氏は三好長慶に属していたが、信長軍の侵攻の前に降り、 領土を安堵された。が、池田衆との戦いで敗れ、滅亡した。
その後は中川清秀(瀬兵衛)が在城し、山崎(天王山)の合戦では秀吉軍に付いて活躍した。
またその後は片桐且元・貞隆兄弟も城主となった。 江戸時代に入り、一国一城令で破却された。
現在は茨木神社の境内付近に位置し、搦手門のみが茨木神社東門に残っている。

茨木城搦手門1 茨木城搦手門2

若江城

N34.39'16''39, E135.36'17''35
東大阪市【最寄り駅】近鉄奈良線若江岩田駅

南北朝の頃に河内国守護の畠山氏によって築城された。 やがて細川氏、三好氏と代わり、織田信長の支配する頃になると、三好義継が城主となり石山本願寺攻めの拠点となった。本願寺が大坂から立ち退くと、若江城は役割を終え、廃城となった。


若江城碑(1685bytes) いまや周りの寂しい風景(1766bytes)

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