護佐丸が1429年の三山統一後に、山田グスクに移り、その後ここに移ったという。
護佐丸はその後中城城へ移った。(沖縄の名城を歩くより)
現在は一の郭と二の郭が残っている。琉球石灰岩による石塁で築かれ門には楔石が使われている。
14世紀に先中城按司の一族が築城し、1440年に琉球国王の命で護佐丸が勝連城主の阿麻和利に対応するために、
座喜味城から移封された、1458年に護佐丸は滅ぼされた。(沖縄の名城を歩くより)
入場は有料であるが整備されている。
南の郭から、一の郭、二の郭、三の郭と一の郭を中心に4つ横並びしている。
護佐丸が北の郭と三の郭を増築したという。
城跡から離れた場所に護佐丸の亀甲墓がある。
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