14世紀初頭にはグスクとして利用されていたようである。
15世紀初頭に尚巴志によって本格的に整備された。
沖縄戦で焼失したが、その後復元された。が、2019年正殿を含めて焼失した。(沖縄の名城を歩くより)
入場時間後だったために外周のみ。
山南(南山)王の弟の汪応祖の居城であったが、16世紀には第二尚氏の首里王府の防御拠点となっていたようである。
(沖縄の名城を歩くより)
現在は豊見城公園となっていて、遺構ははっきりしない。
ちょうど城址公園の整備をして重機が入っていた。
14〜15世紀前半の山南(南山)王の居城と伝わる。承察度、汪応祖、他魯海の明への進貢したことが文献に残っている。
南山滅亡後は何らかの利用はされていたようである。(沖縄の名城を歩くより)
現在は小学校や神社となっており、北東側の石積みのみ当時の物で周囲を囲む切り石は小学校と神社建設の際に積まれたものだとか。
築城年代や城主は定かでない。久米島具志川城の二代目按司真金声が戦いに敗れ、
喜屋武に築城したと推測されている。(沖縄の名城を歩くより)
本島最南端のグスクで、東シナ海に面して絶景である。
虎口や石垣など残り、突端部の一の郭と陸側の二の郭からなる。
14〜15世紀頃の上里按司の居城と推測される。(沖縄の名城を歩くより)
山城グスクと隣接しているとのことだったが、整備されておらず、
12月でも藪というかジャングルで上里グスクのIII郭らしき場所にしか入れず、ハブがいそうですぐに撤退した。
なんと石垣を確認しただけだった。
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