信濃17



角張屋敷十九塙城井上城竹の城栗田城

角張屋敷

須坂市

角張浄阿は、法然上人にも従い身のまわりの世話をした。木曽義仲が京へ西上した時は井上氏軍団に従った。 その後、累代角張氏の居住地であった。(信濃の山城と館8より)
井上氏居館跡の南東にあり、畑となっていて遺構は特にない。


十九塙城

須坂市

井上城とも至近距離で井上氏関係の城と推測される。
井上城とは同じ尾根上ではあるが、主郭から南へ下る尾根に1本堀切がある。 また主郭は、穴が掘られたような跡で、城というよりは、見張台か狼煙台のようにしか見えなかった。


井上城

須坂市


信濃源氏井上氏の城。城に関する歴史は不明。
十九塙城と同じ尾根上にある。十九塙城の堀切を越えて、しばらく急斜面を登ると、 登山道に合流する。さらに高度を上げていくと、うっすらとなった堀切があり、小城に入る。 南側に腰郭があるくらいで小規模である。ここから東に行くと、3本の連続堀切があり、 そこを越えて高度を上げるとさらに1本の堀切があり、大城に至る。 主郭はさほど広くなく、周囲を腰郭に囲まれている。 東側に下ると郭があり、その下に大きな堀切がある。さらにその下にも大きな堀切がある。 浄運寺への分岐を過ぎた郭に説明板が立っている。その先には岩盤を削ったような堀切がある(最右画像)。


竹の城

須坂市【最寄り駅】

井上氏の居城。戦国末期に大峡氏が改修したと推測される。(『信濃の山城と館8 水内・高井・補遺編』より)
細長い尾根上に位置する。 最高所である主郭を中心に前後に堀切が数条残っている。 中でも主郭北側の深い堀切と、南側の3重堀切が印象深い。


栗田城(堀之内城)

長野市【最寄り駅】長野駅

栗田氏歴代の居館だった。栗田寛覚(1183年没)の子、仲国が築城したという。慶長3年頃(1598)上杉氏と共に会津へ移ったために廃城になった。 (現地説明板より)
元々、二重の堀に囲まれた平城だったが、現在は日吉大神社が西側の土塁跡に立っているくらいで、住宅地に埋没してしまった。




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