信濃11



洞頭城大下砦座光寺北本城座光寺南本城福島正則屋敷

洞頭城


高森町【最寄り駅】JR飯田線下市田・元善光寺駅

詳細な歴史は分らない。松岡氏の支城であったか。
農園となっており遺構は残っていないようで、標識のみ立っている。

標識

大下砦


高森町【最寄り駅】JR飯田線下市田・元善光寺駅

松岡氏の見張りの小城と推定されている。(現地案内板より)
道路拡張により遺構は削られてしまったようである。 道路の西側の畑に曲輪の跡らしい構造が残っている。 一方、竪堀等は網の外であったので確認していない。 平成7年の発掘調査では柱穴など検出されたらしい。

曲輪?1 曲輪?2

座光寺北本城


飯田市【最寄り駅】JR飯田線元善光寺駅

詳らかな歴史は分らないが、並木沢を挟んだ南城に対し、居住的要素が強いと、 南城の案内板にある。小学校(左端画像)や保育園となっており、 遺構は、耕雲寺裏手に空堀らしい跡(右端画像)と、 土塁跡という石碑の横に土塁らしい薮の塊(中央画像)がある。

空堀? 土塁 空堀

座光寺南本城


飯田市【最寄り駅】JR飯田線元善光寺駅

戦国時代末期、織田軍の侵攻に備えて、 もしくは徳川氏の勢力下で豊臣方に備えたと説があるが、明かでない。 (現地案内板より)
麻績神社の裏手に位置する。 河岸段丘の崖を利用している。 中央に大きな堀切(右端画像)を備え、東西に曲輪が残る。 本曲輪(左端画像)は空堀の東に位置し、虎口(中央画像)や土塁など残る。

本曲輪 虎口 堀切

福島正則屋敷


高山村【最寄り駅】長野電鉄須坂駅

元和5年(1619)転封となった福島正則が、 高井郡2万石、越後魚沼郡2万5千石の捨扶持をもらい、ここに居住した。 寛永元年(1624)7月13日64歳で病没した。
現在は天明5年(1785)にここに高井寺が移って現存する。 土塁や空堀は安政年間(1854〜60)に崩され、土塁が民家の敷地の中に一部残っている。

碑 高井寺

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