高千穂48塁の1つで、三田井氏家臣の富高弥十郎長義が城主と伝わる。
高橋元種に落城された。(宮崎県中近世城館跡緊急分布調査報告書より)
立ち入り禁止なのか、柵で塞がれて中に入れない状態だった。手前の田んぼとなっている所が堀切の跡か。
歴史的な詳細は不明。
竹脇城桜公園の案内板の指示通りに登ると、見晴らしの良い金比羅神社があり、
そこが城址である。遺構は良く分からない。
宮崎県中近世城館跡緊急分布調査報告書にも未掲載である。
三田井氏の本城であった。天正19年(1591)高橋元種により落城され、滅亡した。
(宮崎県中近世城館跡緊急分布調査報告書)
現在はキャンプ場となっており、石碑が立っており、郭らしい、地形も残るが、後世の開墾も否定できないようだ。
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