日向1



延岡城高鍋城飫肥城都城佐土原城

延岡城(県城)(亀井城)

延岡市【最寄り駅】日豊線延岡駅

高橋元種が関ケ原後も城主だったが、改易となり、有馬氏が入る。 有馬氏の転封の後、牧野氏そして内藤氏が入り幕末を迎えた。
現在は城山として市役所の裏にある。やはり千人殺しの石垣は圧巻である。 天守台にある鐘は1日のうち定期的に鳴らされている。
現在延岡は、旭化成の城下町となり、市内のバスの行き先が 「レーヨン」というのが印象的だった。

千人殺しの石垣1 鐘 門跡 千人殺しの石垣2 千人殺しの石垣3 天守台入口復原中? 千人殺しの石垣4

高鍋城

高鍋町【最寄り駅】日豊線高鍋駅

秀吉の平定以来、秋月家が城主。江戸期の名君主として 名高い 米沢 藩主、上杉鷹山はもともと、この秋月家出身である。

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飫肥城

日南市【最寄り駅】日南線飫肥駅

伊東家が江戸期を通じて、ずっと城主。
ちなみにポーツマス条約で 名を著した小村寿太郎の出身地。

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都城(鶴丸城)

都城市【最寄り駅】日豊本線西都城駅

島津家の分家、北郷氏が鎌倉時代にここを本拠として栄えた。 その後、配置替えで伊集院氏が入るも、庄内の乱で伊集院忠真がここに籠った。 結局、徳川家康の調停で島津家と和睦して開城になった。 江戸期は廃城となるも、都城は島津家の私領となって屋敷が置かれた。
現在は木造の都城歴史資料館となって大手門も復元されている。 また曲輪の跡や建物の跡も残る。

都城城門 都城歴史資料館

佐土原城

佐土原町【最寄り駅】JR日豊本線佐土原駅

伊東48城の1つ。 伊東氏の一族田島氏の築城。その後、伊東義佑が移って来たりした。 伊東氏の日向撤退から島津氏のものになり、 江戸期になると島津以久が3万石で入府した。天守があった。 その後、麓にある鶴松館に移り廃城となった。
鶴松館と呼ばれる館(復原)の裏手にある。 案内版など整備されていたようだが、過去の話のよう。 夏だったせいか、草は繁茂しまくり、倒木も目立った。 遺構はかなり残る。本丸への道や、土塁、堀切など。規模は大きい。

佐土原城看板 鶴松館 佐土原城本丸

【参考文献】城郭と城下町[南九州・沖縄]小学館

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