山城・丹波(京都)・丹後5



二条城峰ヶ堂城革嶋城上羽城石見城

二条城

N35.00'50''01, E135.44'51''95
京都市【最寄り駅】地下鉄二条城前駅

慶長7年(1602)京都所司代板倉勝重の下、畿内の大名の造営費をもって築城した。 家光の上洛後は衰微を辿り、寛延3年(1750)落雷により天守閣が焼失した。 天明8年(1788)には市中の火事から飛び火し類焼した。 慶応2年(1867)に徳川慶喜が大政奉還を行った。
現在は、世界文化遺産登録もされ二の丸御殿は国宝である。

東南隅櫓 二の丸御殿 天守閣跡から西橋を臨む

峰ヶ堂城

N34.59'13''21, E135.40'32''52
京都市【最寄り駅】阪急嵐山線上桂駅

鎌倉時代に、法華山寺(峰ヶ堂)が建立された。 が、位置的な重要性からか、山城となり、 そのうち細川晴元の西岡支配の拠点となった。
唐櫃越のすぐ南に位置する。電波塔や三角点がある所は、 本丸らしく、直下に堀切もあり、狭いながらも腰曲輪も数段ある。 また、寺院跡の辺りには、堀切や土塁もある。 唐櫃越を監視するにはうってつけの城であったのであろう。


革嶋城

N34.58'29''39, E135.42'06''17
京都市【最寄り駅】阪急京都本線桂駅

佐竹源氏の後裔である革嶋氏の居館。 鎌倉時代初期に近衛家から革嶋荘の下司職に補任され、革嶋氏を称した。 三好三人衆の岩成友通によって追い出され、 鶏冠井氏が入るも、信長の上洛により復帰した。 本能寺の変後山崎の合戦で、明智光秀に加担したがために没落したが、 江戸時代に入り再び当地に於いて再興した。
現在は、革嶋春日社や三宮神社は残っているが、城址らしい跡はほとんどなく、 駐車場となったり薮化している。 地理的には、山陰道の近くである。


上羽城

N34.57'01''51, E135.40'27''74
京都市

城主は上羽氏という説もあるが、不明。
堀と土塁があるが、竹薮となっており、遺構も範囲が狭く、 当時の城が容易に想像できない。


石見城

N34.56'56''12, E135.40'48''98
京都市

城主など不明。
善峰川のすぐ南岸に位置し、土塁があり、幅の広い空堀が残っている。



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