相模・武蔵(神奈川)8



糟屋左衛門尉有季館石田城愛甲三郎屋敷岡津古久城富士塚城(飯田五郎家義館)

糟屋左衛門尉有季館


伊勢原市【最寄り駅】小田急電鉄伊勢原駅

横山党の一族糟屋氏の館跡である。 比企能員の聟であったため、建仁3年(1203)能員とともに自害した。
現在は高部屋神社となっており、土塁らしい跡もあるが、当時の物かは定かでない。 また、国道246号線の北側も城域だったようで、 後北条氏の時代には、千鳥ヶ城として存在していたようである。

高部屋神社

石田城


伊勢原市【最寄り駅】小田急電鉄愛甲石田駅

城主が誰だったのか詳細は分っていない。 後北条氏時代には、藤田氏の所領であった。
現在、舌端状の城址は、住宅地、及び、円光院となっており、 空堀らしい跡や、水神様を祀る、水堀?が残るだけである。 尚、円光院には比較的新しい三浦党石田為久の墓石がある。


愛甲三郎屋敷


厚木市【最寄り駅】小田急電鉄本厚木駅

弓の名手、畠山重忠を討ち取った愛甲三郎季隆の館跡。 季隆没後に和田義盛の乱に加担し衰退した。
明治時代までは堀や土塁などよく残っていたようだが、 農地化に伴い姿を消した。 現在、稲荷神社の手前に石碑が立っており、 この稲荷神社のある場所の裏手は崖となっており、館跡は台地上に位置している。

石碑 遠望

岡津古久城


厚木市

詳らかな歴史は分っていないが、規模などからは土着の豪族の物だったか。
現在は、民家の裏手に位置し、脇の稲荷神社から登り道がある。 北側は竹薮で、左端画像のように切岸が見られる。 また南側には小さな堀切があり、さらに南に2mくらいの空堀が残る(中央画像)。

切岸 空堀 曲輪

富士塚城(飯田五郎家義館)


横浜市【最寄り駅】横浜市営地下鉄下飯田駅・相鉄いずみ野線ゆめが丘駅

飯田五郎家義は、 石橋山の戦いで敗れた源頼朝を安房へ逃したことと、 黄瀬川の戦いでの戦功を認められ、この地を拝領した。
現在は、富士塚公園となり石碑が残るだけで、住宅地開発の嵐に飲まれたようである。

石碑 富士塚公園

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