相模・武蔵(神奈川)10



佐原城怒田城浦賀城田奈氏館小沢古城

佐原城


横須賀市【最寄り駅】京浜急行電鉄久里浜線北久里浜駅

三浦義明の末子佐原十郎義連により築城されたと伝わる。 三浦泰村の時に三浦氏は滅んだが、北条時頼に味方したので三浦介を継ぎ、 領地を三浦半島南部に限られ、廃城になった。
現在は明治26年建立の石碑のみ目立たない所にひっそりと立っている。 当時は深い入江を守る衣笠城の支城であった。

城碑

怒田(沼田)城


横須賀市【最寄り駅】JR横須賀線久里浜駅・京浜急行電鉄久里浜線久里浜駅

衣笠城を本拠とする三浦氏の支城として築城された。
現在は吉井貝塚として公園化されており、土橋と空堀の痕跡が残っている。

空堀 空堀を見下ろす

浦賀城


横須賀市【最寄り駅】京浜急行電鉄本線浦賀駅

三浦道寸が築城したと推測される。 現地案内板には北条氏康が三崎城の出城として築城したとある。 後北条氏の時、対岸の里見氏に備えた拠点となっていた。 天正18年(1590)北条氏の滅亡の後廃城になった。
現在は叶神社の裏手の明神山を本丸としている。 現在は社などあり、遺構も破壊されているが、 背後に堀切があり、井戸の跡(右画像)もある。 さらに続く尾根上にも城域は及んでいるようであるが、確認していない。

本丸 井戸跡

田奈氏館


相模原市

武蔵七党の一つ、横山党の田名氏の居館跡と推測されている。 横山時広の次男広季が田名氏始祖で、田名二郎兵衛を名乗っている。 建暦3年(1213)5月、和田合戦で義盛に加担し、 子の時季と共に討ち死にした。
現在、相模川の河岸段丘上にあり、住宅地となって明確な遺構はないが、 蚕影山神社や池の辺りが館跡と推定されている。

土塁? 蚕影山神社 池

小沢古城


愛川町

平安末期、横山党の小沢氏により築城された。 建暦3年(1213)時兼の時に和田義盛の乱に加担し、滅亡した。(大系・神奈川の城より)
諏訪神社に案内板があり、その裏手に痩せ尾根の山がある(左1画像)。 堀切のような遺構や物見台があったような跡が残るが(左2画像)、こちらは平安〜鎌倉期ではなく、 室町期の小沢城時代の物であろうか。 ここから南西側から回った北西部に館跡がある。 朽ちた民家跡の先にスリバチ状の5〜6mくらいはある土塁が残っている(左3、4画像)。

痩せ尾根 物見台? 土塁1 土塁2

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