讃岐2



芝山城本津城藤尾城作山城勝賀城

芝山城

高松市【最寄り駅】JR予讃線香西駅

香西氏3代、資茂が瀬戸内海諸島警備のために築城したのに始まる。 家臣渡辺氏が守った。(大系より)
現在、芝山神社が鎮座する。 その北側に削平地があり、ここが主郭ではないかといわれ、土塁の跡らしい物も残る。


本津城

高松市【最寄り駅】JR予讃線香西駅

香西氏の家臣、本津右近の居城であった。(大系より)
藤尾城にあった案内地図の中にあったが、三野社と書かれてあったが、見つからず、 ここは恵比須神社で遺構らしいものはない。


藤尾城

高松市【最寄り駅】JR予讃線香西駅

香西氏18代、佳清は佐料城が防御機能が低いため、天正3年(1575)に築城を計画した。 同5年に未完成のままに移ったが、同10年に長宗我部元親に攻められ、 最終的に和議で香西氏は配下となり、長宗我部軍が来城し、完成させた。 が、同13年に秀吉の四国攻略に遭い、廃城となった。(大系より)
現在、宇佐神社の境内となっており、小高い山という以外にかつてを髣髴とさせる物はなかった。


作山城

高松市【最寄り駅】JR予讃線香西駅

佐料城に伝達する繋ぎの城、または藤尾城の副城という役割もあったかと推測される。 香西氏18代佳清の跡目争いの成就院事件の復讐戦である作山城の戦いの舞台としても有名である。(大系より)
大系にはそれなりに遺構があったように記載されているが、 現在、住宅地や工場となっており、何も残っていないように見えた。


勝賀城

高松市【最寄り駅】JR予讃線鬼無駅

讃岐藤原氏の後裔である、香西氏初代の左近将監資村が承久3年(1221)承久の乱で戦功をあげ、 阿野・香川四郡の守護職を得、築城した。 天正10年(1582)18代佳清の時に、本拠とした藤尾城落城寸前に和議がなり、 長宗我部氏の配下となり、天正13年(1585)5月、秀吉の四国攻略により、 佳清は野に下り、廃城となった。(大系より)
佐料城から登山道を登っていくと、「猫びたい」「猫の背」と標識があり、 狭いが削平された跡であろうか。すぐに城址に至る。こちら側が絡めてのようである。 山頂に土塁で囲まれた主郭を中心に、北側にくい違い虎口があり、 東側にも平虎口が残る。 くい違い虎口の外側には石塁が残る。 東側の平虎口の外側はやや不整形ながらも削平されている。 大手道は北側からと推測されているようである。



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