讃岐1



高松城屋島城丸亀城前田城前田東城

高松城

N34.20'59''51, E134.03'02''13
高松市【最寄り駅】予讃本線・高徳線高松駅・高松琴平電鉄琴平線高松築港駅

生駒親正が築城した。その後のお家騒動で転封となり、 徳川光圀の兄である、松平頼重が城主となり、そのまま幕末を迎える。
玉藻公園として整備されている。当時は海水を堀に入れる城だったとのこと。 琴電沿いに見る高松城もまた良い。街の中心にあるせいか、 どこでもビルがあり、撮影者を困らせる。

高松城門 高松城月見櫓 高松城天守閣跡 高松城艮櫓

屋島城(やしまのき)

N34.21'17''80, E134.06'12''80
高松市【最寄り駅】JR高徳線屋島駅・高松琴平電鉄志度線琴電屋島駅

日本書紀に天智天皇の頃に出て来るとか。
西側斜面に城門跡が見付かったらしく発掘中である。

城門跡 屋島遠景

丸亀城

N34.17'10''77, E133.48'01''09
丸亀市【最寄り駅】JR予讃本線丸亀駅

生駒親正・一正が築城した。高松城が本城となったために 城代が置かれたが、一国一城令で廃城となる。生駒氏転封後、 山崎氏の居城となる。山崎氏断絶により、京極氏が入る。
天守閣も、当時の物を昭和22年に出来る限り使って再建されている。 三家を通して築城されたらしく、山崎氏の頃までは、 現在の搦手が大手だったらしい。 そのせいか、搦手の石塁は大手に比べ、幾重にも巡らされ見事である。

丸亀城遠景 丸亀城北西から 丸亀城三の丸から

前田城

高松市【最寄り駅】ことでん長尾線高田駅

十河景滋の弟である前田頼母頭宗存が文明年間(1469〜87)に築城した。その後、主殿頭宗春と続き、 三代甚之丞宗清の時、長宗我部元親が十河存保の十河城を攻めた時に、十河氏に味方し功績を上げたという。 しかし天正10年(1582)[12年とも]長宗我部氏に落城された。(大系・現地説明板より)
主郭には、前田家の墓があり、北側と東側に土塁らしい跡がある。 また南側の宝寿寺の墓地一帯が二郭跡のようである。


前田東城

高松市【最寄り駅】ことでん長尾線高田駅

google mapに表示される城。詳細な歴史は不明。 舌端状の台地が残り、堀の跡らしい箇所が現在は田んぼになっている。 西光寺の辺りも堀の跡なのか窪んだ地が畑になっている。



次へ

このページの著作権は、作者に帰属します。 画像などの2次利用は御遠慮下さい。


戻る