陸奥(岩手)3



前沢城安倍舘内舘千厩城鳥海柵

前沢城

奥州市(旧前沢町)【最寄り駅】JR東北本線前沢駅

鎌倉時代初期に三田将監が下向し、以後三田氏が前沢を治めたが、 江戸時代には伊達家の所領として、大内、成田、飯坂氏が入り、 最後に三沢氏が8代計190年間明治維新まで3千石で治めた。 (『現地石碑、案内板より』)
現在、御物見公園となっており、展望に優れるものの、遺構は何も残っていない。 麓にある小学校に三沢氏居館表門が残っている。

表門 石碑

安倍舘

奥州市(旧衣川村)

安倍忠頼・忠良・頼時3代(80余年間)、安倍氏の居城であった。 その後、貞任の時に古舘(安倍新城)に移ったか。 (『現地案内板より』)
現在は、東郭は田んぼとなっており遺構はなく(左端画像)、 西郭と呼ばれる山城が残る。 城址に明確な遺構はないものの、 「コ」の字が東に開いたような状態で階段状になって残っている。 南股川を挟んで対岸には、源頼義の陣地であったらしく、 現在は八幡神社があり、この間では、 やじりが多数出土したと現地の方からうかがった。

東郭 本丸 本丸下

内舘

一関市(旧東山町)【最寄り駅】JR大船渡線岩ノ下駅

興国4年/康永2年(1384)に、 薄衣城主千葉清純(清堅とも)の4男、千葉平七郎隼人正村が城主となり葛西氏に仕えた。 以後、10代民部信胤まで続いたが、天正18年(1590)葛西氏と滅亡を共にした。
現在、砂鉄川の左岸に位置し、西の砂鉄川側は崖となっている。 本丸(右端画像)、二の丸(中央画像)、三の丸から構成され、空堀で切られている。 またそれぞれの曲輪は空堀で囲まれ、 三の丸にはうっすらと虎口、土橋(左端画像)が残っている。 ともかく、遺構の残存状況は素晴しいの一言。 本丸がグランドゴルフ場になっているのはどうかと。


千厩城

一関市(旧千厩町)【最寄り駅】JR大船渡線千厩駅

金野義綱が建久2年(1191)頃に葛西清重より千厩領を拝領し、 城主になったと推測されている。以後、貞澄まで25代続いたが、 天正18年(1590)桃生郡深谷の戦いで討ち死にし、葛西氏と運命を共にした。
現在、館山公園となり、曲輪構造は残るが、 土塁や堀切などは残っていない。


鳥海柵

金ヶ崎町【最寄り駅】JR東北本線金ヶ崎駅

安倍12柵で唯一の明らかな柵。安倍頼時の3男鳥海三郎宗任が守っていた。 天喜5年(1057)頼時はここで戦死した。 前九年の役(1051〜62年)で鎮守府将軍源頼義がここに入城している。 (現地案内板より)
胆沢川の北岸に位置する。 東西に深い空堀が残る(左画像)。本丸は畑となっており(右画像)、 二の丸、三の丸は畑や工場跡になっている。 東北自動車道が縦断している。

空堀 本丸


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