水野家の居城。幕末時には、阿部正弘が城主だったことも。
小早川隆景の居城。水城。
現在は新幹線の駅の下になっており、城跡には駅の専用の出口から行ける。
小早川隆景が築城した。その後、瀬戸内海への展開上、重要な拠点となった。
その後、小早川家は秀吉に従い、
筑前名島城へ移封となったが、
隆景は隠居し、三原に戻り、
新高山城から移築して補修し、
城下町などを整備した。
毛利輝元が築城したが、すぐさま福島正則が城主となる。
しかし、城普請を幕府に屆けていなかった咎を責められ川中島へ改易され、
その後、浅野長晟が城主となり代々浅野家のものとなった。
天守閣は原爆で倒壊した。現在のものは戦後再建されたものである。
鎌倉時代に大江氏の流れを組む毛利氏が郡山に下向して興った。
特に毛利元就は有名である。
現在の遺構としては、石垣も散在している。また、毛利家代々(広島に出る前)の
墓がある。
主家大内家を滅ぼし、大友氏から養子を迎えた陶晴賢を釣り出す為に、
毛利元就が仕掛た捨て石的存在。
己斐豊後守と新里掃部介に300余の軍勢で籠った。
なんとか持ち堪えるうちに毛利勢が嵐の中奇襲し、陶晴賢を討って、
実質的な支配者となった。
現在は、渡船場から厳島神社に向う途中にある要害山がその城址。
要害と云うにはおおげさで、300人籠るのがやっとくらいだろう。
遺構はよく分らない。
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