安芸・備後1



福山城三原城広島城郡山城宮尾城

福山城

N34.29'26''35, E133.21'39''74
福山市【最寄り駅】山陽本線福山駅

水野家の居城。幕末時には、阿部正弘が城主だったことも。


三原城

N34.24'05''75, E133.04'56''34
三原市【最寄り駅】山陽本線三原駅

小早川隆景の居城。水城。
現在は新幹線の駅の下になっており、城跡には駅の専用の出口から行ける。
小早川隆景が築城した。その後、瀬戸内海への展開上、重要な拠点となった。 その後、小早川家は秀吉に従い、 筑前名島城へ移封となったが、 隆景は隠居し、三原に戻り、 新高山城から移築して補修し、 城下町などを整備した。


広島城

N34.24'06''63, E132.27'34''41
広島市【最寄り駅】山陽線広島駅

毛利輝元が築城したが、すぐさま福島正則が城主となる。 しかし、城普請を幕府に屆けていなかった咎を責められ川中島へ改易され、 その後、浅野長晟が城主となり代々浅野家のものとなった。
天守閣は原爆で倒壊した。現在のものは戦後再建されたものである。


郡山城

N34.40'25''76, E132.42'34''02
安芸高田市(旧吉田町)【最寄り駅】芸備線向原駅

鎌倉時代に大江氏の流れを組む毛利氏が郡山に下向して興った。 特に毛利元就は有名である。
現在の遺構としては、石垣も散在している。また、毛利家代々(広島に出る前)の 墓がある。


宮尾城

N34.18'02''21, E132.19'19''19
宮島町【最寄り駅】JR山陽本線宮島口駅・広島電鉄宮島線広電宮島口

主家大内家を滅ぼし、大友氏から養子を迎えた陶晴賢を釣り出す為に、 毛利元就が仕掛た捨て石的存在。 己斐豊後守と新里掃部介に300余の軍勢で籠った。 なんとか持ち堪えるうちに毛利勢が嵐の中奇襲し、陶晴賢を討って、 実質的な支配者となった。
現在は、渡船場から厳島神社に向う途中にある要害山がその城址。 要害と云うにはおおげさで、300人籠るのがやっとくらいだろう。 遺構はよく分らない。

要害山 宮尾城本丸1 宮尾城本丸2
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