7時半に南大沢駅で集合して新宿へ、遅刻した一人抜きで。
新宿で全員揃った。
スバルビルでバスに乗り、池袋で乗り換え、沼田方面へ。
埼玉が長い。しかも渋滞。気ばかり焦る。
予定時間より2時間以上遅れて到着。仕方ない。
道具を借りるが、係員の愛想がこれ以上ないというくらいに悪い。
気持ちも分らんでもないが。。。
素早く着替え他ん人間を待つがなかなか揃わずイライラ。
なんとか集まってゲレンデへ。
スキーは、2003年3月以来。
まずは、ならし。スケーティングをして勘を戻す。
いよいよ上へ。始めこそ慎重に滑っていたが、だいぶ勘も戻り、
バラバラになることに。解放された。
あらゆるコースを堪能すべく行けるだけ行ってみることにする。
長いコースは膝に負担が掛かって腰も痛く、だらだらとした滑りになってしまう。
ちゃんと課題を持って滑ろうとするが惰性で滑ってしまう。
だいぶ時間も経ち、下へ降りたところで、
他の人達は昼食を摂っているとのこと。構わず一滑りして、
レストハウスの中へ。記念撮影し、再び3人で上へ。
麓まで滑り、終了。腹もすいたので、ラベンダーソフトとドーナツを買い、
車内で堪能。疲れのため寝る。
何年か振りにアキバ下車。凄い。 新宿や渋谷とは違うエネルギー。異質。 メイドまでいた。初めて見た。 電気街は、その手の人達ばかりで、疲れた。 それにしても、店員の表情のなさには。。。 駅に戻ろうとしたら、パジャマ姿の人間までいた。
東大島の叔父の家へ移動。従兄弟2人と卓球をしに区の体育館へ。 目がちらついてぶれた。歳のせいか?
有楽町のBicカメラの体脂肪計コーナーで島Dくんと待合わせ。
東京で再会するとは思わなかった。だが、それが現実。
まず、銀ブラ。かつてのように芸をやっている人はおらず、
犬を連れて来て、披露?している幾つかのグループがあるだけだった。
新橋近くのドトールで休憩し、皇居の方へ。桜田門から入り、皇居前を通って、
東京駅へ。八重洲口に出て、島Dくんの本探しに付き合うために、
八重洲ブックセンターへ。
重い足取りで階段をひたすら登ったが、収穫なし。
丸善へ行ってみることに。
途中、子供を含めた家族連れのすごい行列が出来ていて何かと見たら、
ポケモンだった。なるほどと。
丸善は改装中で仮店舗では数が少なすぎた。諦めて東京駅に戻る。
晩飯を求めて、東京フォーラム方向へ。
ガード下の店で軽く飲んで終了。
羽田までが遠い。調布、新宿、品川で乗り換えて到着。
出発ロビーに1人、ランナーらしき人がいた。
やや遅れて離陸。初めてSNAに乗る。
かなり揺れながら、雨雲の下に潜り込み、着陸。
宮崎空港駅から2枚切符で延岡まで。
駅弁が売れ切れていて、走り回って、空港ロビーで椎茸飯を購入。
1時間電車で揺れて北上。日向市に入ると、最早、帰って来たという気分にもな
る。コースを右手に見ながら、過去のレースを振り返る。
門川で下見バスらしき宮交の観光バスを見掛けた。
延岡に入ると、止んでいた雨が再び落ちてきた。
駅横の観光案内所で絵ハガキを購入し、
定宿となりつつある、
延岡ホテルに移動。フロントの人も昨年の方。
今年は旧館で鍵はすぐに開いた。
16時を過ぎていたために、市役所の受付はすでに閉まっていて、明日の朝、受付
をしないといけない。すぐに着替えて、雨の中、
安賀多橋を渡り、折り返し、ホテルに戻る。たった10分だったが、靴先が濡れた。
18時からのレセプションのためにのんびりする暇もなく、会場へ移動。
会場入りし、席に着いたが、今年は満席にならず、どこか寂しい。
卓には例年と異なり、やぶれ饅頭が置いてあった。
いつものように、挨拶や招待選手の紹介があり、乾杯の後、歓談。
昨年同席したFさんと話す。また隣におられたSさんは大和市から来られていて、
職場がかなりの御近所であることが判明。
楽しみにしていたNATSの劇が今年はなく残念。
終了した後、一昨年
にチキン南蛮を教えていだいた延岡市役所のKさんと再会。
SさんとKさんは昵懇の仲らしい。Fさんとも別れて、いつものように
「おぐら」大瀬店へ。
雨は止んだようだ。
いつものようにもも肉を使ったチキン南蛮を注文。
やはり、この甘酢はよそでは食えない。ペロリとたいらげ、
野菜をお代わりする。
満足してホテルに戻る。
屋上の風呂に入り、いつものように祖母×2にハガキを書く。
明朝は5:40に起きることとして、23時過ぎに就寝。
6時に食堂に行くと、一番乗りだった。 御飯を1.5杯お代わりして、少し食いすぎた感もないではない。 例年通り、延岡城の本丸へ散歩。駐車場では、中継車が準備中だった。 本丸跡で散歩していた地元住民と会話。招待選手でないことを言う。 コンビニで水を買って、部屋に戻り、スペシャルドリンク作り。 今年は、「アミノバイタル」ハイポトニックチャージ。 市役所に行き、第1コールを済ませホテルに戻り、スペシャルドリンクを置きに、 再び市役所へ。往復をしているうちに、いつのまにか、9時近くなった。 慌てて、チェックアウトし会場入り。明らかに暑い。 前日に五ヶ瀬川河畔は工事中でトラックがなくなっていたのを知っていたので、 最初の1kmの周回コースを軽く走る。それだけで汗をかいた。 少なくとも、手袋もアームウォーマーもいらない。 会場内も早くもランシャツ・ランパン姿の人が多かった。 昨日のSさんと再会し、会話。その後、Fさんにも会った。 暑いですねと談笑。 スタートまで落ち着くこともできずに、スタートエリアに行くと、 結構ランナーは出ていた。Sさんと再会。 ゼッケンの小さい人間が前へ行けるようで、Sさんは前へ行ってしまった。 小生としては、大した記録もないので、やや後ろで控えていたが、 ゼッケン順に並べと聞こえたので、遠慮することなく、番号相応の位置へ。 前から3〜4列目。申し訳ない。招待選手にも触ろうと思えば出来る位置。 招待選手は意外にガリガリでもない。
スタート。周りのペースに合わせてしまい、3'41で1km通過。
速すぎる。徐々に落して行く。どんどん抜かれる。
3kmまで来て、勘が掴めた気がする。5kmも順調に通過。
国道10号に出た。停まっている車の列を眺める。
実に順調に10kmも通過。今のところ何も問題はない。
少しダルさを感じるが、大丈夫だろう。そのうち抜けるだろう。
舟越峠を越えて、Fさんに追い付き、片手を上げて無言で合図を送る。
あちらも片手を上げて返してくれた。
並走しようというジェスチャーだったが、どうも調子が悪いらしくて、
こちらに付いて来ないようだ。
こちらは、キロ4分でやって行くかと、ペースを守っているつもりが、
何故か徐々に4〜5秒程遅れたりした。
3人で並走するようになったが、実に邪魔で走りにくい。
なるべくインコースを行きたいのだが、並走されて、並行移動できない。
いらだって、飛ばしてインコースに移る。
日向市に入り、例年とは違って、車とクロスする場所があった。
もちろん、ランナーが優先されたが。
ハーフを余裕で越えて、最大の関門は越えた。
折り返し付近で妙にきつくなった。
インコースへ移りたいが、またもや邪魔で、今度は後ろから移動。
イライラした。
折り返しを回ると、一気に疲れが出て、前へ足が出なくなった。
徐々にスピードも落ち、スタミナ切れの症状だ。
まだ半分くらいあるのに大丈夫か?
さらに状況は悪化し、完走できるか怪しくなり、
精神的にも最もきつかった。4〜5人に抜かれた。当然だろう。
ともかく、行ける所までは行こうとペースを落として走る。キロ4分30秒くらいか。
しばらく我慢していると、スタミナが一時的に回復し、
4分10秒くらいまで上がったように思う。
再び何人か抜いた。が、それにしても、今年は参加者が少ないのか、
全然人がいない。それに対して、沿道の観客は多い気がする。
錯覚だろうか。おかげで声援をほぼ独占できた。
辛い時はこれ程嬉しいことはない。会釈して走る。
昨年は、調子がよく応援されて集中が途切れるので、遠慮したかったが、
今回は、違った。
舟越峠で抜かれそうになり、そのまま付いて行く。
が、無理をしない。1人を抜いた後、前を譲ってマイペース。
35km手前に差し掛かった辺りだったか、土々呂中の前を過ぎた時に、
フェンスを揺らして激しく、中学生が鼓舞してくれた。
笑ってしまった。
これには嬉しくて、右手を軽く上げて、返答。
喜んでくれたようだ。
少しペースが上がった。
松林の36km地点辺りでも、応援が盛んで、会釈して、走る。
しばらく行くと、歩いていた高校生2人がいた。
ここまで、高校生なのによくやるなと、感心。
日豊本線を渡っても、ここからが長い。
ペースが落ちていて、手元の時計も見る気がせず、
果たして40km関門を越えられるのか不安だった。
コースの右手からも声援があり、右手を上げて返答したら、
リアクションがあった。ありがたい。
40km地点も引かからず行けた。後は、どんな状態でも引かかることはない。
残り1kmで1人抜いて、だいぶ前に2人見えるが、無理そうだ。
安賀多橋も長く感じる。あと一息。
よたよたしながら、最後のカーヴを左へ。
ラストスパートでゴールしてみると、なんとかサブスリー。
しかも、今回はテープカット付き。
まあ、よしとしよう。
すぐにダウンのためにジョグる。
閉会式も見ずに、上へ上がり、Sさんに会い、少し話し、
着替える。まだ、そんなに人もいなかった。
リタイア組が今年は多いのか。
うどんと甘酒を飲食し、延岡駅へ。
本来ならアスリートの風呂に入ってゆっくりしたいところだが、
この後、日向市での城渡りが待っている。
特急で日向市下車。レンタサイクルを探したが、昨年の場所には、
小屋はなかった。観光案内所で聞いたら、レンタサイクルをやっていて、
塩見城の詳細な場所を聞いても、最近関東から来た人らしく、分らないらしい。
とりあえず、観光地図を貰い、チャリを走らせる。
城山墓園を上がってみる。と、墓園参りの人に聞いても手応えなし。
寧ろこちらが教えるような格好。
しばらく行ってみると、道が続いているようで、強行してみる。
勘通り、案内板があった。
登ってみると城山公園となっていて、破壊されている感もある。
満足できないので少しうろちょろして、
裏手に行く道を行ってみると、小さな曲輪と堀切を発見。満足、満足。
再び自転車で駅へ。日向市から特急で空港まで。
延岡でお会いしたSさんに、教えてもらった、小山内裏公園の、
戦車道路を試走。のはずが、結局、全コース走ってしまい、
多摩芸術大の辺りではヘロヘロに。先週の延岡後半そのもの。
20kmくらい走ったことになる。東京都の管轄するエリアが一番走り易かった。
今後お世話になるだろう。
それにしても風が強かった。
今日は、山岳耐久レースのコースを少し見て、
ついでに陣馬から高尾まで行こうという、やや欲張りなコース。
武蔵五日市駅で下車し、AmPmで初めてエディを使用。
広徳寺から登り道。多くのおじさん達が作業をしていた。
1人に道が合っているか聞いてみると、間違いない。
大きな変電所の前を通る。磁場は全く感じない。
今熊神社へと階段を登る。これをレースで走るのかと、少し信じられない。
しばらく登り、到着。ベンチもあるので小休止する。
細い道を進み、痩せた尾根などを通り、本道からはずれ、
刈寄山に寄る。途中走ってみたりしたが、きつい。
レースはどんな具合なのか。
入山峠には山岳耐久レースの標識があった。
ここからコースは植林地帯に入り、面白みに欠ける辛いエリアになった。
今日初めて山で人を見た。1人をかわし、さらに2人を抜いて前へ。
高尾まで行くには少し遅いんじゃないかと指摘されるが、
まあ大丈夫だろうと。
1回右膝外側に痛みを覚えたが、痛みは治まった。
峰見通りに入ったが、ひたっすら長いルート。
なんとか市道山に到着。山頂には2人昼食中だった。
おにぎりを1つ食し、吊尾根を南下する。
先程の右足の痛みが再発しだした。
この吊尾根は人気のないコースなのか、人の気配もない。
ひたすら尾根道で途中道が潰え、かすかに残る、東側の植林地帯へ行ってみる。
こちらも本当に合っているのかというくらいのか細い道で、
地図の尾根道とは異なるようで、いよいよ不安になり、引き返してみることにした。
再び尾根道に出てみて試しに少し尾根伝いに登ってみると、
上へと道が繋っていた。安心して登ることにした。
が、右膝はかなり痛い。登るのは良いが、下りはしんどい。
なんとかヘロヘロになりかけながらも、醍醐丸。
小休止。和田峠へと下り出したが、完全に足を引きづりながらになった。
これは高尾山までは無理だろうと決断しかける。
しばらく行くと、先程の迷った道をそのまま来たという、
市道山で会ったおばさんと遭遇した。
エスケープルートを教えてもらう。
地図でも分るように陣馬高原下が最寄りで適しているようだ。
登りにかけてはまだ行けるが、下りはどうにもならない。
いつのまにか、おばさんも付いて来れなくなったようで、
再び一人旅。和田峠に出た。
もう迷うことなく和田峠を舗装路をひたすら下ることにした。
右足を引きづりながらも、下山者を何人か抜いて下る。
途中の乗用車が恨めしい。
意気消沈して陣馬高原下バス停に到着。
運良く待ち時間も余りなく、バスに乗り、夕焼け小焼けを過ぎて寝に入り、
疲れで起きたのは、高尾駅到着時だった。