事を済ませ、東急目黒線で、自由が丘で大井町線に乗り換え、九品仏下車。 奥沢城跡である浄真寺はすぐ目の前。 駅前から品のある参道を歩き、境内へ。 東京都区内とは思えない落ち着き。九品仏には申し訳ないがさほど興味もないの で、軽く見て回る。 境内を囲むように土塁があるがかつての物なのか。 帰りがけに山門の脇に奥沢城の石碑を発見。なんとなく満足できた。
嵐山から歩き嵯峨嵐山駅から園部へ。駅前のJRバスから、
丹波自然運動公園へ。バス内はほとんど参加者であったようで、
自然運動公園でみんな下車。受付のある補助競技場へ。
運動公園内はなかなか広く、受付を済ませ、陸上競技場内の観客席の芝生で着替える。
すぐに3kmの部がスタート。ウォーミングアップのために柔軟体操を済ませ、
軽くアップする。ついでにバス停まで行き、帰りのバスの時刻表を見ておく。
3kmファミリーの部の子供連れのランナーがゆっくりとトラックを回り走っていた。
そのなかでも、夫婦で両脇から子供の手を取り、
その真ん中の子供は走りもせずに引きずられるのを楽しんでいたシーンは滑稽で面白かった。
走るのが嫌でぐずついている子供をなだめすかせる親ランナーもいた。
しばらくすると5kmの部もスタートし、
勢い良く、外へと出て行き、15分経ったところで先頭は帰って来た。
11時スタートの我10kmの部も10:45にスタート地点に集合で、
ゆっくりと行くと、既に列は出来上がりつつあり、
やや遠慮して前から6列目くらいに並んだ。
そしてスタート。始めは飛ばさない予定だったが、
周りの人が邪魔で飛ばせる余裕もなかった。
やや緩い傾斜だったので、少しずつバラつき、
コーンを折り返しを回るころには、マイペースで行けた。
一気に坂を下り、競技場の周りを回って、外へ出た。
そんなに飛ばしているつもりもないが、呼吸がきつい。
ともかくスピードが落ちないように走る。
先頭までの列も1列になり、前のランナーも始め飛ばしすぎた人は落ちて行き、抜かれることもなくなった。
しばらく行くうちに前との差が広まり、また後ろの呼吸音も聞こえなくなった。
懸命に走ってはいるが、なかなか順調に行かない。
5kmも19分を越えていて驚いた。先々週のペースで18分台だろうと思っていただけに。
折り返し地点を越えて、後ろのランナーとの差をチェックし、給水。
体にかけるだけで、水量も少なく物足りない。
そのうち後ろのランナー2人くらいが追い着いて来た。
このまま抜かれるのも嫌なので、少し飛ばしてみると、
調子が上がり、再び後ろとの差が出来た。
どうも下り坂となっていたようで、スピードが出たらしい。
が、8kmを越えた辺りから脇腹痛が起き、ややスピードが落ち、
前との差もまず抜けない距離になった。
9kmを越えて1人に抜かれ、競技場手前でもう1人に抜かれかけたが、
なんとか持ちこたえ、競技場内に入り、トラックへ。
ここからスパートが効き、最後の100mで抜かれたランナーを軽く抜き去り、ゴール。
記録証を貰うと、なんと部門4位で、惜しいことをしたと。
3位までは表彰台だっただけに悔しかったが、3位がどこにいたのかも分らないし、
今日の出来では駄目だったろう。
先週の10kmの後に引いた風邪で9日間も走れなかったブランクが大きい気がする。
12時過ぎのバスに乗るために素早く着替え、再び重たい足で走って、バス停へ。
汗を流して間に合った。財布には5千円札しかなく、
終点の園部駅では、一旦券売機で並河までの切符を買って、
再び階段を降りてバスに払いに行くという手間が掛かった。
並河駅で下車し、地図で確認して太田へ。
松井八幡宮を見付け登ると、確かに城址。その後の改変があるようで、
全てが遺構ではないようだ。裏手の山も太田山城なので、
本殿の裏手からの道を登ってみる。
と、やがて、石塁が崩壊した物があり、そのうち登ると、
石塁が現れ、そのうち本当に見事な石塁が現れた。なんだ、ここは、と、
興奮しながら、登って行くと至る所に石塁があり、
薮を掛き分けて登って行ったので、道も見失いそうで慎重に進むが、
好奇心がそうはさせじと急き立たせる。ある程度行って、山頂までは行けそうになくなり、
まあ、これだけ資料に載ってない石塁を見ただけでも収穫だろうと下る。
岩に赤いペンキで矢印があり山頂へ行けるのか、どうしても途中で道が分らなくなる。
道らしい物が麓の方へ下っているので、それに従って下ることにする。
と、椎茸のほだ木があり、その横に熊用のワナの檻が口を開けている。
関西に来て、この手の物にはだいぶ慣れた気がする。
道を下って行くと、民家の裏手に出て、一旦道路まで出た。
一旦はこのまま退却するか迷ったが、太田山城への道は資料によればここであるから、
もう一度登ってみることにした。
民家裏で農作業中のおじさんに太田山城について聞いたみたが、
初耳だったらしく参考にならない。ただ頂上に登ることを伝えておく。
先程の道を途中の分岐を右に曲ると何かの社があり、
裏手から道のようなそうでないような道を登って行くと、
再び石塁があり、先程迷ったエリアに出た。
今度は冷静に見渡してみると、
赤いペンキを見付け、それに従って行くと、
結構親切な間隔で矢印が付いていた。
あとはそれに従うだけ。ある程度登ると、尾根に出て、
空気が変わったと思ったら、虎口らしい地点に出た。
少し行くと、荒れてはいるが、土塁。
さらに行くと土塁があり、目印となる紐などは土塁と並行に向かっていた。
道は行者山方向にあり、しばらく行ってみたが、
遺構らしい物もなく引き返した。
先程の土塁に戻り、その目印の方へ行き、曲輪の中へ入ってみたが、
荒れているだけで、めぼしい物はない。元来た道を引き返し、土塁を越えると、
搦め手の虎口なのか、外枡形があった。
収穫はこれだけだが、満足はできた。
再び下る。麓まで下りて、先程のおじさんに一応お礼だけ言って、去る。
牛松山城へ行く気も失せ、帰宅することにする。
まず、南下して、バス通りに出たが、哀しいかな、しばらく便はない。
仕方なく、とりあえず亀岡運動公園まで歩いてみたが、ここもない。
高速の下を潜って、372号線へ。本数が増えそうな気がしてバス停を見たが駄目。
重たい足でさらに頑張って9号線まで出てみたが、駄目。
市役所まで行くと、あることはあったが、亀岡駅まで乗るのももったいない。
結局駅まで歩いた。さて、京都駅のバス停へ行こうかとしたら、
まさにそのバスは出ようとしていた。
信号を無視して渡ったところで、バスは出発した。
ダッシュで追い掛け、信号待ちしていたバスの運転手に合図を送り、乗せてもらえた。
しばらくして、両替の際にお礼を言っておく。
沓掛の辺りで眠り出し、目が覚めたら、家の手前で助かった。
かなり疲労して帰宅。
日本酒度:+2.0 酸度:1.4 アミノ酸度:1.4。
辛くはなく、重たい味。
百万遍にある知恩寺での毎年恒例の古本市に昨年同様にチャリで。 左側のテントから丹念に見て行く。1時間以上も費消した。 結局、今年の収穫は少なかった。
日向市の合名会社。 さほど芋臭くもない。うん、悪くない。
午前1時過ぎの落雷のせいか、いつの間にか停電していたらしく、
タイムセットしていたラジオもリセットされてしまい、よく眠れた。
本来は茨木市内をレンタサイクルしたかったが、
1日中は雨とのことで諦めていたが、朝食をゆっくりと食ううちに、
以前しくじった越水城とついでで考えていた野田城に行くことにした。
どちらも石碑のみの城址で、雨の中にはうってつけ。
阪急で十三乗り換えで夙川下車。道は分っているので、
迷うこともないし、不安もない。淡々とこなすだけ。
この間は全然見付からなかったが、今回はあっさりと、
小学校の横に出て、石碑を発見した。撮影し、すぐに坂を下る。
JR野田か千日前線玉川で降りたいので、JR西ノ宮まで歩く。
この時間帯が一番雨足が強かった。駅までは意外に近かった。
尼崎で乗ってた電車を降りて、野田への最短コースを、
東西線と読んで乗り換えようとしたが、野田には環状線しか通ってないことを知り、
再び山陽本線で大阪へ。環状線に乗り換え、野田駅下車。
城址はすぐだったが、ビルしかないエリアでその石碑が見付からない。
番地まで把握していたが、見付からず、1周して元の場所に戻ると、
焼肉店の電光看板の裏にひっそりと佇んでいた。哀れな末路だ。
撮影し、駅に戻る。なかなか環状線外回りが来ず、イライラした。
梅田の紀伊国屋で本を買い、帰宅。
西大路発が予定より1本早いダイヤで一気に草津まで。
草津での乗り換えもおかげで折り返しが着くのを待つことになったため余裕で座れた。
手原駅からはシャトルバスだったが、少ない。
が、途中の駐車場で参加者を拾っているうちに狭いシャトルバスは満員となった。
1年振りで懐しい。
受付を済ませ、着替えて、アップ。とにかく寒い。
15分前くらいから並べ、ということで、辛い。
今日は、グローブに、アームウォーマーと2つも装着するのは初めてか。
スタートラインでは前から2列目くらい。悪くない。まあ参加者も少ないし。
スタートの号砲と共にスタート。
始めは飛ばさないことを心掛ける。
旧東海道に入り、2グループに抜かれたが、無理して付いて行かないようにする。
前との差は次第に広がるが、後ろとの差ももっと広いらしく、
交通整理に遭った車を通過させているようだった。
5km前後で予想通りに始め飛ばしてしまったランナーが落ちて来た。
3人抜いて、道は徐々に山道になって行く。
参加者の少ない恵まれたレースではなったが、
全く人の気配のない時もあり、それもどうだか。
そのうちトップが折り返して行ったが、断突で速い。
傾斜はさらにきつくなる。きつい。前との差も広まりつつある。
基本的に7,8kmくらい走るとペースが上がるはずだが、
この坂道のせいか、一向に調子が上がらない。
最後のきつい斜面を登り、ややヘロヘロになり、少し下り、折り返し。
前を追い掛けようと若干飛ばしたが、どんどん離れて行く。
後ろの気配は全くなく抜かれる心配は必要なさそう。
昨年の10kmの部でも調子の上がった、田んぼの中の直線に入り、
やや飛ばしたが、縮まっているのか、逆に離れているのかも分らない。
10km手前ぐらいから、
右足の裏が寒さのせいか、痛みとは違うが違和感があって気持ち悪い。
足の裏全体で踏んでいる感覚がしない。
ともかくスピードを上げ、直線を抜け、傾斜のある道を登り出した頃には、
前のランナーの姿がだいぶ大きくなった。明かに疲れていた。
残り3kmを切り、こちらの調子は悪くないので、キープ。
残り1kmを切った所でやっと食らい付き、一気に追い抜き、前へ出て、スパート。
かなりきつかったが、ゴールまでもすぐで、一気にゴールへ駆け込んだ。
順位は11位で入賞もなく、飛び賞もなしだった。
12位であればストップウォッチを貰えたのにと若干の悔しさあり。
シャトルバスで駅まで送ってもらう。
が、次の柘植行きまで52分待ち。仕方なく、改札前の長椅子で時間潰し。
南側の窓も閉めさせてもらったりして、風通しを悪くしたが、
如何せん階段からの空気を封鎖する不能ず、殊の外寒かった。
おにぎり2つと本を読んで、なんとか待ち時間を殺した。
最後は手が寒くて本も読めなかった。
柘植行きの電車で、油日駅下車。
手原駅をSUICAで入場してしまったために、
その機能のない油日駅で、駅長さんにSUICAのための領収書を貰い、
手原駅からの運賃を払う。早く、ICOCAを導入すべきだ。
電車に乗ってから、降雨が始まり、油日でも降っていた。
今日は天気は良いとの話だったが。
GPSの電源を入れ、地図を片手に、傘をさして、和田へ向かう。
かなり離散した状態で家が建っていて、その裏手が城址であるようだ。
まず、和田城址へ。個人宅の裏手に道があったので、
行かせてもらう。坂を登り切り、小高い土の山を登ってみると、
土塁の上に出ていた。見事な土塁に囲まれた空間だった。
遺構はさほどなく、甲賀地方の城址のパターンを知った。
支城Iに行こうとしたが、どうやら、
個人宅にお世話にならないと行けそうもないらしく、ここは断念する。
次に支城IIに行くと、個人宅横から田んぼの方への道があり、
途中から強引に登ってみると、堀に出て、そこを登ると、やはり土塁の上で、唸る。
5mくらいある土塁は見事。
下り、支城IIIを探すが、ここも個人宅裏。断念する。
近くの殿山城跡らしいエリアへ登ってみたが、遺構らしい物もなく、
下る。草津線の北側に出て、南東へ。
上野城を探し、ここもやはり民家の脇の椎茸用の道から強引に登ってみたが、
城址なのかよく分らず、道も荒れていて、諦め、駅へと引き返した。
SUICA問題を解決するために、駅長さんに提案する。
つまり、手元のSUICAは手原から乗った状態のままであるから、
差額(油日〜西大路)-(手原〜西大路)を払いたいと。
この差額=(油日〜手原)とはならない場合が多いから、
距離を計算し調べると、結局、差額≒(油日〜手原)だった。
草津、京都乗り換えで帰宅。
まろやかで、甘い。
を導入する。12+3ヶ月の特別優待版だし、今迄使用していた某社の契約も11月で切れるので。 評判が良いがどうであろうか。
予想に反して、お客の過半数はおばちゃん。
後ろの方は眠りに入る態勢なのに、前の方で団体さんは遠足の子供のよう。
そのうち落ち着いたらしく静かになった。やれやれ。
160cm以下の人には良いかもしれないが、我々は足を伸ばす余裕もない。きつい。
それにしても時間キッカリ
朝6:00に八王子に着いても、どうしようもない。
ともかくファミレスに入り、朝の定食を食べる。納豆の器に辛子が付いていたので、
辛子も含めて、こねてみたが、その辛さで辛かった。定食が出て来る前にコーヒーが出て、
すぐその後に定食が出て来るというのは如何なものか。
次回は、"食後に"と注文しよう。
ともかく、モデルルームが10時まで開かないようだから、
というわけでもないが、調布の深大寺に行くことにしていた。
京王八王子駅に下りると、分倍河原-府中で人身事故があったとかで不通状態。
JR八王子駅から橋本に出て、乗り換えて、相模原線で調布に出ることにした。
布田駅で下りて、ひたすら北上。道が合っているのか、やや不安になるが、
高速道の下を潜り、しばらく行くと、小学校に出て、左折する。
神代水生植物園に深大寺城址があるのだが、現在8:30過ぎにして、
開園は9:30と書いてある。参った。肌寒いし。
ともかく時間稼ぎで深大寺を見る。が、それだけでも時間を潰せず、
道路の真向かいにある石製のベンチで本を読む。
9:27くらいに開き、中へ。
土塁や空堀の跡をしっかりと保存していて素晴らしい。
が、遺構面積はさほど広くもなく、15分くらいで外へ出る。
再び駅へ。バスに乗るか迷ったが、途中の郵便局で金を下ろすこともあり、
ケチって歩くことにした。
布田駅から一気に南大沢まで行くつもりにしていたが、
城址らしい山が低いことが車窓から窺われ、
当初からの計画通り、京王よみうりランド駅で下りて小沢城に行くことにした。
駅前には地図もなく、ともかく手掛りを得るために穴沢天神社へ登ってみる。
神社にいた神主さんに聞いてみると、やはりすぐ上の山らしい。
強引に登ってみるとハイキングコースに出て、あとはそれに従うだけ。
遺構の残存状況は結構良かった。一通り満足して駅に戻る。
南大沢で降りて、同じタイプの部屋を拝見させてもらう。
まあ、見取り図通りには違いなかったのだが。
駅に戻り、多摩センターで乗り換え、小田急へ。
新百合ヶ丘で乗り換えて、登戸で南武線に乗り換え。
武蔵小杉下車。懐しい。モスバーガーで昼食を買って、競技場へ行こうとしたら、
かなりの待ち客で断念。途中のコンビニで買って、競技場へ。
水谷、アレックス-宮本-千代反田-吉村、古賀-ホベルト-佐伯-久藤、中村-布部。
遂にスタメンから本職のFWがいなくなった。4-6-0か。
今日の川崎は、ジュニーニョ、マルコン、マギヌン、箕輪が出場停止。
願ってもないチャンスである。
試合開始から福岡はホベルトを含め、中村憲剛へのマークが徹底しており、
ハーフラインの川崎陣内でもプレスに行っていた。それにしても、ホベルトの前半の動きは、
まさに獅子奮迅というべき働きで、相手選手へのプレスに、味方の攻撃へのビルドアップまで。
一方の川崎は、さすがにジュニーニョ、マルコン、マギヌン抜きでは攻撃を作れず、
福岡もピンチらしいピンチもなかった。
右サイドの森が、福岡の左の古賀、アレックスを警戒して、ほとんど上がらなかったのも、
その原因の1つではあろう。
それでも、福岡は久藤が良い形でボールを持つとタメを作り、
左サイドに振って、アレックスが2回、古賀が1回、フリーでシュートを撃つ、
チャンスを作ったが、アレックスはふかしてしまい、
古賀のシュートはバーに阻まれるなど、活かし切れなかった。
FWに入った布部がなかなかボールを落ち着かせられなかったのも、もったいなかった。
それに対して、川崎のFW我那覇と黒津は本職だけあって、キープ力もあり、
そこにボールが収まれば、中盤が上がれるだけの時間を作り出せ、
正直羨ましかった。前半はそのまま終了。
後半も両チームとも交代はなし。
再三、福岡は左からチャンスを作るが、決めきれない。
一方の川崎もチャンスらしいチャンスもなかったが、
我那覇にボールが入り、そこへDFが集中したところに、
前線にいた黒津への見事なパスが出て、独走。
千代反田が追い付きかけたが、エリア内で倒し、PK。
これを我那覇が落ち着いて決め、先制された。
ここで川崎は、今野に代えて原田を投入して来た。
一方の福岡もその後、久藤と布部に代えて、田中と城後を投入。
城後がFWに入り、田中が右SHに入った。
やや攻撃的な布陣として、アレックスも盛んに上がり出した。
すると、左サイドをパスで強引に突破した城後から、
クロスが上がり、田中がボレーで合わせ、やっとゴールが決まった。
福岡はこのまま押せ押せで行こうとするが、川崎のディフェンスも堅い。
福岡は田中の投入で右サイドも活発化し、中村北斗も徐々に活き出した。
そして42分、右サイドからのFKの際に、黒津に代えて鄭を投入して来た。
やや間があった後、中村憲剛の蹴ったボールがいったん、壁に跳ね返された後、
それを拾った谷口がミドルを撃つと、ぽっかり空いていた隙間を縫って、
ゴールマウスへ。水谷の手に当たり、さらに左バーに当たり、
跳ね返ったボールは右サイドに行き、そのままゴールに入った。
跳ね返ったボールに我那覇が対応していたので、仮に谷口のボールが入ってなくても、
決められていただろう。どっと川崎サポーターが湧き、我アウェイゴール裏はしょんぼり。
残り時間もほとんどなく、吉村に代えて怪我持ちのFW飯尾を入れたが、
時既に遅し、残留するための貴重な勝ち点3を失った。
まさに決定力、FWの差だった。試合内容では勝っていたが、所詮ゴールを決めねば勝てない。
結果が欲しかった。
終了後すぐに武蔵小杉駅に出て、菊名乗り換えで新横浜へ。 新幹線で帰宅。
まず近江塩津行きで、木ノ本下車。
玄蕃尾城へ行った時以来の下車。
かねてから田上城には行きたく思っていたのだが、
今年は熊の出没が多く、11月後半なら大丈夫な頃と読んでの訪問である。
北国街道は雰囲気があって観光客も来ていた。
そこを通過し、目的地へ脇目の振らずに向かう。
高校の脇から登山道があった。が、横に熊出没注意の看板が。
もう大丈夫ではあるだろうと、やや萎縮してスタート。
林道のような道を登る。もちろん、鈴は装着。ラジオも。
警戒しながら歩を進める。ある程度まで行き、林道に別れを告げ、
登山道に入る。人の気配がなく、気味が悪い。
途中、寺院の跡を過ぎ、しばらく行くと、
土塁があり、曲輪の跡。
縄張り図で確認。即、納得。
残存状況の良さに満足。
さらに北側に進み、遺構を全て見ておくことに。
本丸まで戻り、西の尾根の方も見ようと下りかけた。
ラジオの12時のニュースが地方局のニュースに移った。
滋賀県のニュース。
今朝、長浜市住宅地で熊が出没し、東側の山に逃げ込んだ、と。
こりゃ、やばいと云うことで、
ともかく下りることに。登って来た道をそそくさと下山。
茂みの物音に対して敏感になってしまう。
なんとか遭遇することもなく、麓へ。やれやれ。
木ノ本駅に戻り、坂田駅下車。
真新しい一豊と千代の像が立っていた。
そう、この下車による目的地は、千代の生誕地と云われる若宮氏の館跡。
さすがに大河ドラマのおかげか、標識もあって、
館跡は、観光地となっているせいか、何もないのに、やたらと物が一杯あった。
顔だけ切り抜かれた写真用の例の物とか。
見るべき物もほとんどなく去る。
次は米原駅裏の太尾山城なので、電車に乗るのももったいないので、
歩く。高架を通って、線路の南側に出た。
手元の地図で確認して登山口へ。青岸寺の方から登る。
11月20日まで松茸山で、やっと解禁になったばかりである。
一気に尾根筋まで登る。
盗人の岩を見て、すぐに曲輪の跡。上の本郭とは隔絶している。
裏手に回って、北の城の本丸へ。堀切があった。
本丸は平坦であるだけで、これといった物がなかった。
南の城へ。この途中に曲輪の跡や堀切があった。
南の城へ登ると土塁の跡など、こちらの方がまだ見応えがあるか。
とりあえず、満足して、湯谷神社の方へ下る。
米原駅に出て、近江鉄道へ。平日は1日乗車券を売ってないらしく計算が狂った。
しかも彦根乗り換えで次の電車は多賀大社行き。豊郷駅へは高宮駅で待たないといけなかった。
ただ待ち合い室があって助かった。
豊郷駅下車。八町へ向かう。帰りは豊郷から近江鉄道で廿日市で乗り換えて、
近江八幡に出るつもりにした。
ほどなく八町に着いたが、白山神社があるだけで城址の気配はあるものの、
看板もなければ、石碑もない。
余り時間もないので、確実に土塁が残る目加田へ。
しばらく歩き、目加田に着いたが、どこにあるのか分らない。
平城を探すのは難しい。手元の地図で確認してなんとか発見。
公園内で子供達が遊んでいた。
岩倉川を越えた向こう側の吉田にも城址があるので、
駄賃稼ぎで行ってみる。手元の地図で見当を付けて、
やや昔の街道沿いの雰囲気のある通りで、岡村酒蔵の横に石碑を発見した。
よし。
豊郷駅に戻るために再び八町へ。白山神社の西側と、常禅寺の西側に土塁の跡があった。
ただ薮がすごすぎて入る気には全くなれなかった。
豊郷駅をスルーして、高野瀬城を探すことにした。
天稚彦神社へ行ってみたが、日も暮れかかり、石碑が見付からない。
諦めることにして、JR琵琶湖線の稲枝駅へ向かう。
手元が金銭的に厳しいのでJRの方が確実に家に帰れるだろうと判断の結果。
薄暗くなって、肥田に入ると、城下町を説明する看板もあり、
期待させられる。
石碑の場所が分らなくなったが、外にいる人もいない。
しょうがなく、見当を付けて行くと、運良く見付かった。
石碑を撮影。稲枝駅へ向かう。
途中、六角氏の水攻めをした際の土塁らしい跡が薄暗い中見えたが、
この暗さじゃあ確認しようもない。足もだいぶ疲れて来た。
稲枝駅の場所が分らないが、ともかくマンション群のある方へ。
やはり駅はそこで、寒い中電車を待ち、帰宅。
玉Kくん主導によるフットサル大会。他の研究室とのコラボ。
まるで子供と大人の遊び。相手5人に対し、こちらは6人で戦っても所詮烏合の衆。
その後、チーム編成を混合させて、なんとか均衡化させる。
20時まで、ひたすらゲーム。なかなか面白い。スペースに走り込み、走って作る。
まさにオシムイズム。
その後、「でん」で米産牛を堪能。
昼過に母親が掃除に来て、19時前に河原町で父親と合流し、 いつものように先斗町へ。観光客のせいか人が多い。 先斗町には3回も来ているが、以前にどこの店に入ったのか分らない。 同じような店ばかり。どこも味もはずれはないが。
9:30に蹴上駅で母親と待合わせ。烏丸御池で1本早い電車に乗れ、9:15に着き、
母親と合流。蹴上の発電所付近を経て、南禅寺へ。
途中ゝの紅葉にカメラを向ける人が多く、こちらも釣られる。
特に最近デジカメにはまりつつある母親がそうだった。
南禅寺境内に入り、まず塔頭の天授庵に入る。
石庭と回遊式の2つがあり、落ち着いた雰囲気があった。
池の水面に反射して写る紅葉もまた良い。
外へ出ると南禅寺境内は観光客だらけ。
琵琶湖疎水の水路閣と紅葉を撮影。
南禅寺庭園に入る。人だらけ。
くつ下で廊下を歩くと寒さが下から伝わって来る。
やや紅葉にも飽きてきた。そんな中、同じ境内にある、銀杏が目についた。
永観堂に向かう。南禅寺に面した、とうふ屋は長い行列ができていた。
永観堂も紅葉で有名で、こちらも凄い観光客。
人の列に組み込まれ落ち着く暇もない。どのくらいの収入だろうかと、
そちらに想像が膨らんで仕方なかった。
一通り見て、京都駅に戻るために追往路を引き返す。
永観堂前に出ていた露天でたこ焼を食す。疲れた体を癒やす。
とうふ屋前の長い行列を見ながら蹴上駅へと。
烏丸御池で乗り換え、京都駅へ。
一旦、八条口のホテルに荷物を取りに行き、八条口で昼食。
北側に回り、父親と合流。ここで両親は彦根に行くので、別れて帰宅。
西大橋から嵐山へサイクリングコースのラストラン。 今夏はかなり走り込ませてもらった。
Yさんと飲み。Yさんは老化現象のせいか、生中も全部飲み干せなかった。
西大橋から久世大橋までのサイクリングコースのラストラン。 距離を積むためには良いコースだった。桂大橋の麓でラグビー少年達が大勢いた。
13時に出すはずが、15分前から始まった。おかげで、箱詰めが終わっておらず、
あたふた。それでも、14時過ぎには全て出て行き、ぽつねんと部屋に残された。
雨が降って来て、唯一の傘を入れたカバンをダンボールに入れてしまったことが発覚。
昼飯を買うためにコンビニまで走り、ビニール傘まで買う羽目になった。
管理会社に鍵を返し、17時くらいまで、何かの工事が来るはずなので待っていたが、
来ないので諦め、バスで京都駅へ。問題は京都駅23:10発のバスまで、どのようにして時間を潰すか。
昨日から考えていた、夜間拝観をすることにした。
コインロッカーに荷物を預け、地下鉄で、烏丸御池乗り換えで、東山下車。
まず、青蓮院門跡へ。ここは初拝観。青色LED?のモダンな庭の後、
メインの紅葉。夜はスポットライトでそこだけを照らず分、
そこだけが極立って見える。それもそれで良い。
拝観料はやや高めか。
すぐ横の知恩院へ。ここは久々。徳川家のおかげで何もかものスケールがでかい。
池の水面に映える紅葉もまた良い。拝観料に見合うだけの広さで、見所も多かった。
失費も嵩むので、これで終わりにし、晩飯をどうしようかと、八坂神社から東大路に出る。
と、王将を発見。京都、最後の飯が王将というのもなんだが、無性に酢豚が食いたくてしょうがない。
腹拵えを済ませても、まだ21時前。今から駅に戻っても時間はかなり余る。
とりあえず、高台寺に行ってみる。拝観料も600円で、さっきより安いので、入ることにした。
かなりの人でややうんざりした。境内をいろいろと迂回させるように歩かされた後、
メインの回遊式の庭園。水面に映える紅葉は、さっきよりも良い。ただ人も多い。
大河ドラマのせいか人気も上がっているのか。
時間を潰すこともあって、そのまま東大路通りを南下。智積院の前を西へ。
七条通りをひたすら進み、烏丸通りを南下。まだ時間はあるが、ともかく八条口へ。
しばらく待って乗り込む。今日は乗客が少ないらしく、
自由に座っても良いとのこと。山科まで外を見ておく。
たった1年ちょいだったが、京都から去るのが辛く感じる。
いろいろと歩き回ったからなあ。滋賀県も、そう。
時間通りに着き、前回同様にファミレスへ。
今日は納豆は頼まない。コーヒーをおかわりして外へ。
小雨が降る中、片倉で降りて、片倉城へ再訪。
やはり遺構の残存状況はいまいち。
犬を散歩中の人がいて、怪しまれないようにと、面倒だった。
駅に戻り、橋本経由で南大沢入り。