塚本、平島-千代反田-宮本-アレックス、宮崎-米田-ホベルト-古賀、
増川-田中。
2万5千人を目標とした鳥栖のサポーターの企画に乗っかるように、
福岡側も「電車でGO!」なる企画でサポーターが大勢鳥栖スタジアムに乗り込んだ。
九州クラシコともなれば、絶対に負けられないし、現在の順位など関係ない。
試合開始前からお互いのサポーターは盛り上がっていた。
特に今回はホームタウンとしての"久留米"を賭けた闘いとなった。
小雨が降る中、キックオフ。
試合開始から、良い感じで福岡は攻められたが、それも数分で、
次第に出足の早い鳥栖に圧力を掛けられ、ボールを持たされる時間が増えて行く。
福岡のセットプレイを跳ねかえされると、守りが手薄であったところを突かれ、
伊藤と竹村の2人に対し、3人程揃い、なんとかピンチを防げたかと思いきや、
竹村の絶妙なスルーパスに伊藤が反応し、GK塚本の動きを冷静に見て、
ゴールに流し込まれた。ホーム側の歓声が鳴り響く。
まだ、時間はあるやと福岡は冷静を努めるものの、どこか浮き足立ち、
宮本のパスミスから塚本も釣り出され、
無人のゴールに羽畑のループシュートがゴール1歩手前でかき出されたりと、
追い付くどころか、追加点を奪われる可能性の方が高かった。
後半に入ると、宮崎を山形に、田中を太田にと交代し、とにかく電柱に当てて、
その落としを拾う作戦に出たが、さっぱり効果も表れず、
鳥栖のDF陣にことごとく跳ね返された。それどころか、
終了間際には、守りが手薄になったのを突かれ、
GK不在のゴールにシュートを放たれ、なんとか平島が弾き返し、
九死に一生を得るのが精一杯で、点を取る気配は感じられなかった。
そして、試合終了。なんとか得失点が-1で済んだ、という結果だった。
余りの御粗末な内容にゴール裏のサポーターは荒れた。
鳥栖にとっては、いつもの3倍入った観客を再び呼べそうな試合内容だった。
午前中に前線が通過するということで、
15時過ぎに荒平山に向けてチャリで出発。出来れば油山まで縦走したい。
途中、愚妹に「白い巨塔」全5巻を返し、
通い慣れた263号線を今回は脇山口からひたすら南下する。
早良平尾から263号線に別れを告げ、小笠木方面へ東進。
荒平山の登山口は見付けにくい。
麓からは以前と全く同じコースになる。
渓流沿いの登山道にチャリを置き、準備をし、登り始める。
初めは林道でどこで登山道に入るか記憶にない。
小田部紹叱とその息子の墓など、以前の記憶が蘇える。
しばらく行くと、紹叱の自刃の地の前を過ぎ、手を合わせる。
すぐに林道は終わり、登山道。車なら2台くらい置けるだろう。
欝蒼とした杉林を沢沿いに登って行く。
しばらく行くと、綺麗な石垣がある。
御丁寧に、以前はなかった石垣跡を示す立札まで設置されてあった。
が、残念。以前はこれを見て感激したが、
これは、石垣の組み方からして、江戸時代か明治の頃の物だろうと推測される。
というのも、まず、ある場所からして城の遺構はまだ上の方だし、
本丸と二の丸の間にある石塁に比べて、はるかに高等である。
城の中心部分を疎かにして、どうでも良い箇所に力を注ぐ必要があろうか。
もう少し登って行くと、傾斜が緩やかになり、出丸と本丸の分岐になる。
出丸の方は現在九電の送電線が立てられてある。
頂上へと登る。どうも体調的に疲れがあって、足が思うように前に進まない。
すぐに頂上に着く。
体力的にも時間的にも天候的にも油山縦走は中止。
とりあえず、以前行かなかった二の丸へ行ってみる。
小雨が降って来た。撮影に勤しみ、本丸である山頂へ戻る。
今度は三の丸を経て、少し下ってみる。以前は小雨が降っている中登って、
すぐに下ったので全然見てなかったことに気付かされた。
"目"も養われて、以前とは視る所も変わったし。
一通り回って、下る。帰りは次郎丸から地下鉄3号線沿いに福大に出、
中村学園まで北上し、草香江で古本を物色し、赤坂経由で帰宅。
瀬高で下車し、田んぼや民家しかない中、まず1つ目を見付ける。
比較的簡単に発見でき順調。女山に向かう。
九州新幹線の工事現場を横切る。天気が良すぎるくらい良い。
女山の麓から登るものの、
神籠石のコースは竹が倒れて普通には進めそうにないので、
しばらく自動車道を行ってみる。
が、合流する気配がないので、意を決っして、竹の倒れている荒れた道に入る。
台風18号のせいで、かなり荒れていて、途中にも倒木が多かった。
しばらく行くと、神籠石と合流し、尾根に出て、山内古墳に出た。
水門跡が麓にあったようで引き返そうとしたが、荒れ道に辟易し、
清水山に行くことを断念し、今来た道を帰りも下り、水門を見ることにする。
とりあえず、神籠石を追い掛ける。
しばらく行くうちに、中世の城跡のような石塁が出現しだし、
興奮は止まらない。さらに進むと、
ハイカーと遭遇。挨拶を交し、少し話す。
やはり、台風18号の影響で荒れているらしく、また、山門の名前の由来は、
この水門に関係するのではとおっしゃっていた。
中世の城跡の石塁について聞いてみると、
以前まであった「みかん園」の遺物ではと一蹴された。
衝撃的な情報だが、果たして事実か。
とりあえず、頂上にある展望台まで行き、引き返す。
どう見ても、ただのみかん園には見えないのだが。
途中、堀切のような跡もあったが、単なる思いすごしなのだろうか。
とりあえず、下ってしまい、水門を見に、少し北上。4つある水門のうち2つを見て、
再び南下。今度は山川町経由で高田町の東端へ行く。
とにかく、雲が余りなく、照りつける太陽はまだ暑い。
大根川を渡って、水分を補給し、それでも足らず、
山川のJAで2l購入する。
地図を頼りに、高田町の東端の"それ"の麓に着く。
麓は果樹園のようだが、意を決っして、進み、竹林の中、高度を上げて行くと、
金比羅堂なる看板を見付け、一安心。
ここも台風のせいで倒木が目立つ。
山頂は草が繁茂したお堂があるだけで、
高田町の作った比較的新しい看板があって救われた。
再び下り、田尻へ向かう。
アスファルトの道をひたすら西に向かい、
九州新幹線のトンネルが見え始め、田尻の交差点から南下する。
森山宮は道を聞いたこともあり、簡単に見付かったが、
肝腎の"それ"は完全にみかん園になってしまっており、
中に入るかどうか躊躇した。
とりあえず、こそこそと入ってみるものの、期待されるものも何もなく、
李下で冠を正さず、の言葉を肝に銘じ、すぐに下る。
ここも台風の影響で実が色付く前に落ちてしまっていた。
田尻から南瀬高近辺の候補地2つを行く予定だったが、
南から怪しげな雲が、もくもくと北上して来た。
遠くの南東の方で、気のせいだろうか、雷鳴らしき音も聞こえる。
竹飯にあったという"それ"の跡に行ってみるものの、墓しかなく、
落雷する前に早く駅へと急ぐ。何しろ、障害物が周りになく、
自分自身が避雷針になってしまう。
結局、南瀬高駅には降り出す前に着き、しかも、すぐに電車がやって来るという、
おまけ付きだった。2つの"それ"は泣いて馬謖を切る思いで諦めた。
本来なら、船小屋温泉で一風呂浴びる予定だったが、駅から、
ちょっとあるし、この雲行きだったので、通過し、
比較的駅から近い、二日市まで一気に北上することにした。
二日市駅に着いても南の方(九千部、基山、天拝)は黒々と雷鳴が聞こえる。
登っていたら悲惨なことになっていただろう。
大慌てで温泉に入った後、すぐにバケツをひっくりかえしたような雨が降ったようで、
温泉の屋根が激しく雨で叩かれる音がしていた。
二日市温泉はせっけんやシャンプーが用意されていないようで、
なんとか用済みの人の使ったシャンプーの残りを搾り出し、洗髪する。
せっけんも転がっていて助かった。おまけにここは背中が綺麗な人もいて、
入った時からドギマギさせられた。
体が日焼けのせいか火照り、しばらく水風呂に浸る。
上がって外へ出ると、雲は予定通り、北へ過ぎ去っており、
濡れることなく二日市駅まで行け、帰宅の途に就いた。
余りに上手く行きすぎて、ハプニングもなく、つまらなくも感じたのは、
贅沢の極みか。
水谷、平島-千代反田-藏田-アレックス、山形-米田-松下-古賀、
増川-太田。
試合開始直後は、押し込み、増川のヘッドがポストに当たり、
その返しを千代反田が蹴り、相手DFに当てたりとチャンスは転がっていた。
また、攻撃面でも出場停止のホベルトに代わって入った松下の配球が良く、
縦の繋がりが出来、またエリア外からのミドルも魅力的だった。
だが、結果的にチャンスを逃した後、ちょっとした油断を掬われた。
右サイドでDF藏田をスピードで振り切った北村に突破され、
釣り出されたGK水谷を見て、左へパス。
これに城が合わせ、先制された。
さらに、DF陣でのパスから松下を経由したパスに受け手がおらず、
そこを北村に突かれ、追加点を奪われた。
攻撃もそれ以来、持たされるだけになっていった。
松下が入ったことで前へとボールはスムーズに動くようになってはいたが、
DFラインから先に工夫がなく、シュートを撃てない。
クロスを上げても精度が酷すぎて、誰にも合わない。
後半は、藏田を宮崎、古賀を林に代えて来た。
が、前半からと状況は余り変わない。
最後の10分になって、横浜が若干引いたことで、
やっと福岡のペースになった。
だが、前に前にボールを放り込んでも、なかなかボールは収まらず、
ロスタイムに林が昨年を彷彿させるかのような、
動き出し、ボールの貰い方、トラップ、シュート、どれも決まり、
34節にして今季初ゴールを決めた。だが、福岡に残された時間もなく、
1-2で負けた。林のゴールが唯一の救いだった。
2萬人突破が2月28日だったから、 7ヶ月で1萬人の勘定になる。
父親と母親と3人で父親の運転する車で多久の西渓公園へ。
途中、34号線沿いのうどん屋に入ったが、店の前に車が2台あったので、
客が来るので大丈夫と思っていたら、どうも実はダミーだったようで、
店のおばちゃんがうどんをすすっていて他の客は皆無だった。
注文をしても、どうも愛想がなく、
父親は苦笑していたが、味の方は悪くなかった。
西渓公園には以前(昨年か)、父親と来たことがある。
今日は、ここにある多久市歴史資料館が目的だったのだが、
事もあろうに祝日は休館だった。
しかも展示は9月30日までの企画なので、もう駄目。
このまま引き下がるのは負けを認めること。
急遽、梶峰山に登ることにする。登る格好をしてこなかったが、
そうこうも言ってられない。そこに"それ"があるから。
ともかく頂上が見えるので、道なき道を進んで行くと、車の轍のある道に出て、
しばらく行くと、草の繁茂した方へ反れて進まないといけない。
しばらく躊躇したが、意を決っして、進むと、登山道らしき道に出て、
今来た道なき道を示すように目印を作る。
そのまま山頂方向に行くと道がついえた。
しょうがないので、もうここまで来て引き返すのは愚の骨頂なので、
強引に尾根を行くことにする。道を見失わないように、
尾根を強引に登り詰める。
遺構などが出始め、勇気百倍で、木をつかんで強引に登り続け、頂上に着く。
事前学習した縄張図の通りだが、人がおらず、木々で展望が開けないせいか、
多少薄気味悪い。道を失うことは避けたい一心でずっと憂鬱だ。
とにかく、記憶が確かなうちに下ることにする。
尾根筋に下れば良いやとタカをくくっていたが、
しばらく下るうちに、通った記憶のない立派な堀切を2つ通過した。
怪我の光明ではあったが、少々パニックになりつつあった。
元来た道を引き返して、記憶を頼りに下り、事無きを得た。
さらに下って行くと、自分で作った目印に出て、順調に車の轍がある道に出た。
これで安心と思っていたら、西渓公園への道が分らなくなってしまった。
もうほんのちょっと下るだけなのだが、全く思い出せない。
記憶を頼りに強引に下ってみるが、どうもヤバい気がする。
小雨も降って来た。最悪だ。
とにかく、多少パニック気味で強引に下ると、車の通ったような道に出て、
しばらく行くとアスファルトに出て、九死に一生を得た。
結果的に西渓公園よりも西側に出てしまった。
西渓公園に戻り、蜘蛛の巣と汗だくのシャツを脱いで、
せっかくなので少弐氏2代が眠る専称寺に行った。
まさか福岡空港の滑走路を直に歩くとはつゆ思わなかった。
階段を降りた時は、ああバスか、面倒だなと感じたのだが、
階段を降りてそのまま滑走路を歩き、階段を登り乗り込むとは。
ともかく、機体が小さいが故に高さが連絡タラップに足りないせいなのだろう。
小さいが故に、離陸も、ヒョイッと云う具合に簡単。
春日市、那珂川町、総理工、牛頸ダム、黒金山、牛頸山、天拝山、基山と、
上空から地図を眺めているようで楽しい。
小郡、御井郡に入り、分らなくなり、雲の中に入ってしまい、
下界を追い掛けるのをやめた。
高知竜馬空港の着陸時は、機体が軽いが故に、接地瞬間、やたらとぐらつき、
少々恐かった。
空港から高知市内とは逆方向なる安芸に向う。
同じ便で来た、素粒子の久bくんと渡Bくんも同行することになった。
バスで一路安芸市へ。南国市を過ぎると安芸まで信号が少ない。
安芸で降りると暑い。目の前には日本一高い防波堤(16.0m)があった。
日本一なのかどうかは、不問ということにしても、確かに高いのだが、
ともかく上に立ってみたかった。
安芸市の中心部までは幾ばかりかまだ距離を残しており、
鞄を持って移動。一人だけの行動なら良いが、2人同行していて、恐縮してしまう。
とりあえず、土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線の安芸駅のロッカーに荷物を預け、
昼食を摂って、行動開始。
駅に無料のレンタサイクル(無料ならrentも変だが)
があったにも関わらず結果的に気付かなかった。
駅の北側に出ると何もなく、
とにかく野良時計を目指すものの目的物が見えそうで見えない。
方角は正しいはずなのだが。
ともかく北上する。安芸川に沿って北上する。
小生は歩くことに何も抵抗はないが、同行する2人はどうかと気掛り。
しばらく歩いて、小山らしき所に近付き、やっと目的地であることを知る。
ともかく「市役所から1.6km」という駅にあった看板に対いする信用は失われた。
まず、安芸城を探る。ちょうど、同業者のような人と遭遇した。
動きが一般人と明らかに違った。同業者と遭遇すること自体、ほとんどなく、
白昼時にお互いの姿をさらけだすのは恥ずかしい。
いろいろと見回るためにうろちょろする。
同行者2人に観察されるのも恥ずかしいものだ。もちろん遠慮はしないが。
次に野良時計を武家屋敷跡を通って、見に行く。
まだ目的物が見えないことに、
期待とそれを裏切られるのではと云う懐疑を抱きながら。
こちらとしても、同行者2人に野良時計はすごい物だと吹聴して、
安芸まで連れて来て、こんだけ歩かせているのだから、どうしても、
すごい物であってなければ困るのだ。
そうでなければ、ただの詐欺師ではないか。
果たして、狭い路地を出て行くと、やっと出現。
予想に反して華奢な物であった。
よりによって野良時計の前に車が駐車してあって撮影しづらい。
一息入れて、岩崎弥太郎の生家に行くか議論。
小生はどちらでも良かったが、同行者の意見も無論尊重せねばならぬ。
地図から、ここ野良時計からそう遠くはない判断して、行くことに決定。
しばらく歩けども、またもや目的物が見えず、不安になる。
なんとなく、その結末(オチ)については3人ともに薄々気付いていた。
さらに歩いて行くと、田んぼの向こうに楠の木のある古い建物が見え出した。
2人とも苦笑に似た声が上がるが、もちろん引き返しはしないし、
言わずもがな、そうさせない。
だが彼らももう腹を据えているようだし、
その場の成行きを楽しんでいるようですらある。
なす畑を通って、漸く到着。アスファルト歩きは結構足にくる。
生家の三菱を見て(実は見るべきマークを間違えていた)、
弥太郎の幼少期に大志を抱かせた、日本を表す、庭の石について、
その南北について議論した。生家の前にあるトイレにはがっかり。
残念ながら三菱の資本は投入されていなかったようだ。
来た道は戻らねばならない。ひたすら駅へと歩く。
さすがに2人とも足にきているようだ。駅に着く前に小雨が降り始めたが、
なんとかセーフ。この時点で駅にレンタサイクルがあることを知った。
列車の時間までまだあるので、焼きナスのソフトクリームを食べてみる。
最初はすごい味と感じたが、慣れるとなんでもなかった。
高知駅でほとんど寝て、解散。
とりあえず、円行寺口まで行き、
高知YHにチェックイン。余りの美しさに驚く。
円行寺口駅近くの中華料理屋で晩飯を食した。なかなか美味。
円行寺口駅から乗ろうとしたら列車の乗客はほとんど同業者らで
満たされていて、早々に凹む。同乗していた女子高生が、
なんで列車内の人が多いのか訝しんでいた。
夜はR関連の方々とアルコール抜きで飯。隔離部屋に押し込まれた。
前日練習しようとするものの、
衛星放送でやっていたダンス・ウィズ・ウルヴスに引き込まれてしまった。
自分のネタを早々に終えて、後は聞くだけ。
今回の収穫は、練習時間が短かかったにも関わらず、
本番のネタ見せで「以上です」と終えて5秒後くらいに終了のブザーがなったこと。
とにかく、冷房がない部屋には閉口。
昼飯を抜いて、朝倉駅南にある"それ"へと強い引力(∝1/r)により吸い込まれる。
最早、斥力は存在しなかった。しかも、朝倉キャンパスからは、
目と鼻の先。かえって、今まで堪えていたことが不思議なくらい。
台風(22号)が明日来襲といういこともあったことを念のために付与しておこう。
ともかく小雨が降っているか、そうでないのか分からないような天気の下、
看板のある環境の良い中登る。多少、荒れてはいるが、
こちらの心をギュッと掴むものがあった。だからと云って、
冷静且つ客観的な目は忘れてはいけない。
道の悪さなどに構わずに対象のみに集中する。腹八分といったところで下山。
午後のセッションに戻る。汗まみれで躊躇しつつ椅子に座る。
冷房の効いている部屋だったが、居心地悪し。
いつの間にか、席の横に佐賀大OBの土Tさんがおられて、びっくりした。
よく見ると講演者変更の紙が前に貼ってあるし。
日帰りバスツアーとのこと。すごい。
OHPによる発表も斬新。発表の場で話の展開に合わせてOHPに書き加わえていた。
夜は芳Gさんと安Iさんと焼肉屋で乾杯。23時高知発の終電で戻る。
前日の夜から雨・雷は降り出し、風の音がうるさい。
とにかく、今日は徳島に泊まる予定であるから、
不通になる前に徳島に入らねばならぬ。
大歩危・小歩危は簡単に不通になりそうである。
当初から楽しみにしていた岡豊にある"それ"は断念することにした。
まさに、泣いて馬謖を斬る、断腸の思いだ。
馬謖どころか、馬良レベルの悔しさであるが。
朝起きてニュースを見ると、伊野から西は不通になっていた。
円行寺口6:48発に乗るつもりがモタモタして出発が遅れた。
夜遅くと朝早くにYHを騒くしたかもしれない。申し訳ない。
高知-伊野で折り返し運転をしていて、次がいつ来るのか分からない。
若干パニックになりながら、タクシーで高知駅へ。
まだ岡山行きの土讃線特急南風は止まっていない。
が、タクシーで来る程に慌てる必要もなかった。伊野から2便くらい来た。
出発時間(8:01)まで時間を持て余す。TVカメラも取材で来ていた。
学会会場に向かう核理議長と会う。健闘を誓い合う。
ちゃんと並んだおかげで座席に座れ、阿波池田まで。
阿波池田では徳島線の乗り換えに時間があるので、
小雨の降る中、途中下車し外に出る。この時点で47都道府県達成。
吉野川沿いを下って行き、穴吹駅で下車。
ここに来て、大降りになった。脇町に行くバスも良いのがない。
とりあえず、荷を一時預かりで駅に託し、
ザックは平地であるが、恥をかき捨て、ザックカヴァーをして気合いで、
吉野川を渡り、脇町に入る。
脇町の中心部に入った辺りで雨が小降りになった。
秋葉神社麓まで行き、神社から上にある目的地へとアスファルトを登る。
上に出たと思ったが、それらしい碑や公園もない。
しばらく探せども見付からず、廃屋などある西側に焦点を搾る。
確信は全く持てないが、ここなのか。満足度0%で仕方なく下る。
脇町の名物、"うだつ"を見て、駅へと引き返す。足取りは重い。
コンビニで昼食としておにぎり2つを購入、駅で停車中の列車に間に合い、
阿波川島駅まで。
雨が本格的になり、山からの側溝が濁流となって吉野川へと流れている。
吸い込まれたら、間違いなくオシャカだろう。
阿波川島はコインロッカーもなく、しかも土砂降りに近い。
仕方なく荷物を持って、最寄りの"それ"へ。
すさまじい雨だ。呑気に観光なんかしているヤツはいない。
撮影したり、登ったりで、ある程度満足し、駅方面へと引き返す。
もう1つの山の上にある"それ"を目指す。
アスファルトを辿って行けば良いはずだと予習していた。
が、ある程度行った所で登り出したは良いが、どんどん雨水が流れて来て、
いよいよ生死にも関わることになりそうだと懸念し、ここも、
馬謖を斬って、駅に土砂降りの中引き返す。無念。
14:22で一気に徳島へ。
ここまで来ると、本当に台風が来るのか、というくらい穏か。
とりあえず、駅のすぐ横にある"それ"を見物。
博物館に入る前に、遺構を見ることにする。
平山城なので登るのが面倒。風も強くなって来た。小雨も。
頂上(本丸)まで上がり、すぐに下る。
昨今の台風のせいか、石垣が壊れているらしい。
博物館に入る。一通り観て、外へ出ると、辺りは一変して嵐の中。
ホテルまでそんなに遠くないはずだったので、我慢して傘をさして歩く。
しばらく歩いたところで、折りたたみ傘が崩壊。ホテルも見付からない。
自分を信じてしばらく歩いてやっと発見。
すぶぬれになってチェックイン。やれやれ。
しばらく寝て、嵐が若干治まった機に乗じて、隣のファミレスに入る。
16時から徳島では、JRもバスも止まってしまったらしく、
かなりリスキーなことをやっていたことを自覚させられた。
台風一過と云う可きか、この上ない晴天に恵まれた。
7:09徳島発の電車に乗るために早起きする。
眠たいが、これ程の晴天は幸先良く、モティベーションを上げてくれる。
チェックアウトを済ませ、駅への最短路である徳島城の麓を歩いていたら、
ふとホテルの部屋に干していたズボン2着を思い出した。
予定を1時間後の列車に繰り下げざるをえない。幸先悪し。
まあ、人生万事塞翁が馬、人の禍福はあざなえる縄の如し、といった具合だから、
気にしないことにすることを気にする。
1時間の間隙を利用して、再び"それ"の本丸に西の丸方面から登る。
こちら側の石垣もまた一興。駅で20〜30分、本を読んでつぶす。
ふと、ホームにあるベンチに座っている状態から足下を見ると、
Gらしき小さな虫(まだ成虫ではない?)が寄って来たので、追い返す。
しばらく、ホームを動いていた、のを凝視していた。
が、高徳線の列車がここ終着駅徳島に着いたために、怒涛の通勤・通学客が、
改札へと押し寄せ、次の瞬間、というか、一瞬の出来事だった。
人として、生きているだけでも業の深いことを悟る瞬間でもあった。
高徳線で、北上。まず、勝瑞駅下車。
"それ"は近いはずだが、例のズボン問題で20分くらいの時間しか許されない。
重いカボンを背負って小走りに目的地へ。
一通り、見て、撮影し、また駅へと引き返す。あと1時間あれば、
別に見たい所もあっただけに、再来したい。
再び高徳線の車上に。濁流と化した吉野川を渡る。
しばらく行くと徳島県ともお別れ。そのような感慨にふけるも、
昨日の台風で靴が濡れたせいか、微妙に靴が臭う。一大事。
とりあえず、靴を脱ぎ、乾かすことに。
乗客が少ないのが救い。が、高松に近付くにつれ、乗客が増え出す。
とりあえず湿った靴を履き、縮こまる。
なんとか、屋島駅まで持ち堪え、下車。屋島に向う。
琴電の屋島駅の前にある、手荷物預かり所に重い荷物を預け、
登山道を聞く。さすが、お遍路。歩く人も多々いるのだろう。
おばちゃんの説明は口慣れたもの。
弘法大師は、多くの人に職を用意したという点でも評価されよう。
登山道はお遍路用なのか、しっかりとアスファルトに馴らされていて、
擬登山となった。しばらく歩いて、屋島寺に着く。
参拝して、護身お守りを購入。(帰宅後に紛失したことが判明。)
看板にある鎌倉時代の"それ"の跡を探す。なかなか見付からず、
最終手段として、平日のせいで暇そうな店でおばちゃんに聞いてみることに。
観光地で聞くのは、多少気が引ける。
だが、聞いてみれば、隣の店にまで相談した挙句、隣の店の主人らしき人が、
わざわざ車で連れて行ってくれることになった。
しかも、古代の"それ"の跡に話はすりかわった。
おばちゃん達は、こちらの話も聞かずに、ちゃんと調べて来い、とか言っていたが。
こっちも、だったら、そんな無責任な看板を拵えるな、と反撃したかった。
ともかく、店の主人の車で連れて行ってもらい、恐縮する。
古代の"それ"の跡を発掘していることは知っていたが、
まさか見れるとは思いもしなかったので、非常に嬉しい。
一通りというか、極一部の遺跡を見て、登って来た道を再び下る。
走るにはもってこいの道で快調に下る。
手荷物預かり所で荷物を受け取り、琴電で高松に出る。
円行寺口-博多の乗車券を利用していたので、JRであれば、
これ以上金が掛からないが、駅までの距離と時間を冷静に考え、
琴電に乗車。瓦町で乗り換え、高松築港へ。
結果的にこの琴電に乗ったことは演出的に良かった。
というのも、琴電から臨む高松にある"それ"はまた格別だった。
下車後、玉藻公園へ。都心にあるがために撮影者泣かせ、である。
一通り見て、JR高松駅へ。
まだ時間もあるので、丸亀に行くことにする。
昼飯は、讃岐まで来て、コンビニおにぎり。
余裕がある時に是非うどんを食いたい。
丸亀を訪ずれるのは、12年と6ヶ月振り。
前回、"それ"の麓から頂上まで登った挙句に天守閣が工事中で入れず、
すごすごと退却した苦い記憶が残る。
今日は遠目から見ても工事はしてなさそう。
しかも、今は、天守閣至上主義ではないし。
それにしても、台風一過の高い空に、綺麗に映える"それ"だ。より高く見える。
昔は権力の象徴として君臨していたのだろう。
登ってみると、石垣の立派さには驚く。
途中、"より当時に模して"復元された箇所もあり、その精神は評価できる。
有りもしない天守閣を建てる精神は信じられない。
天守閣は台風のせいか、しっくいが剥げている箇所があった。
天守閣のある場所からの景色は最高。360度綺麗に見渡せる。
帰りは、搦手である南の方に下る。
大手口からの道よりも、実はこちら側の石垣の方が見事だった。
歴史的に云っても、現在の物が出来たのが京極氏時代だが、
それ以前の山崎氏時代は南向きに大手を造っていたそうであるから、
納得も出来る。
坂出乗り換えで、マリンライナーで岡山へ。
これに乗るのも13年と7ヶ月振りか。
あの時は金比羅神社へ行った。
久々の瀬戸大橋は新鮮。
岡山駅はラッシュのピークらしく、人だらけ。
荷物をロッカーに預け、切符を購入し、吉備線で備中高松へ。
日没との闘いの火蓋が閉じられた。
1km=5分くらいで走る。さほど遠くもなく、目的地の"それ"に到着。
撮影に入る。残念ながら、小さな資料館は閉まっていた。
次に清水宗治の墓を参ってから、土塁を見るべく、東の方へ足を伸ばすも、
結局は日の没するのに勝てず、見付けられないまま、終戦。
途中、明かに廃線跡と思しき自転車専用道があり、そそられた。
再び備中高松駅から岡山駅に戻り、新幹線で帰宅の途に就く。
改めて新幹線の速さに感心した。
小倉-博多間は暗闇ながら、どこを通っているのか、想像を巡らせ堪能した。