久留米から先の便が限定されるために、早朝から出発。
久大本線を鈍行で行くのは情緒があって良い。
浮羽駅下車。歩いて目的地、長岩まで行く予定であったが、途中まで歩いたところで、
10分強バス待ちをして、合所ダムを経由して、一気に目的地へ。
歩くと大変な距離だった。
バスの中は運転手とマンツーマンやった。
フリー区間のためか、ちょうど良い所で降ろしてもらう。
ただ、「岩しかない」とのがっかりさせられるコメントを戴く。
まあ、素人的な発言であろうとは思っていたが。
バス停から軽く車道を登ると、目的地。確かに奇岩しかなかった。
こちらを興奮させるものは見付からず。すぐに下り、記念館に寄る時間もなく、
折り返して来たバスに乗車。早速、運転手に岩しかなかったことを報告。
会話が弾む。惜しいかな、途中で乗客がいて、終了。浮羽発着所下車。
往復歩いて目的地まで行っていたら、なんとも虚しい現実が待っていたかと思うと、
ついていたと思える。
西に行く途中で、運転手の言っていた、歴史民族資料館(無料)に立ち寄る。
が、余り有益な情報は手に入らなかった。
こちらが提供しても良いくらい。とは過言か。
地図と勘を頼りに目的地へ。
余り期待していなかったが、果樹園で働くおばちゃんに聞いてみたら、
ばっちりな答が返って来た。変な顔をされたが、早速、登ることにする。
東斜面は果樹園のようなので、何もない西斜面から攻めることにする。
雨が軽く降っていたので、傘をさして急斜面を登る。
傘をさすことで目立つ故に、"悪いことはしてないよ"、
というアピールもかねていた。
昨年は農作物の泥棒が相続き、せちがらい世の中となった故である。
下りの早道は、果樹園方面から行けたが、アピールのために、
同じ斜面を堂々と一旦下って、再び次の目的地へ向けて、林道を登る。
収穫期でなかったことが、最大の救いだっただろう。
次の目的地は、実際の場所が分らぬために、とにかく記述通り、林道をひたすら登る。
確かに登り切ったところは、それらしいが、確証がない。さらに別の分岐から、
東のピークに行ってみたが、ここも"それ"らしい。
文献と記述内容が異なることが気掛り。いまいち確信も持てないまま下り、
予定通り吉井町へ。
参考文献によれば、林道からのアプローチがあるとのこと。
地元住民の方にも情報をもらって、ひたすら林道を南に登って行く。
方角的に、なかなか目的地に向かわないので、途中、
畑で作業中のおじさんに聞いてみたが、上にある住宅で聞いてみたらと。
途中、渓流で洗顔と水を飲む。先週の三瀬の方が冷たくて美味かった。
そのまま、ひたすら登り続け、工場兼民家を通り過ぎて、
やっと参考文献の地図にあるような曲がり方をし始めた。
勇んで道なき道を入る。が、すぐに行き止まり。脇から北上すると、
また、林道があり、参考文献の地図にあるような曲がり方の箇所へ。
再び、道なき道を入る。
が、萱が激しく、おかげで手の甲や腕から出血する始末。しかも、どうも違う。
元来た道を引き返し、工場兼民家で聞いてみたら、奥さんが、
わざわざ旦那さんを呼んでこられ、
しばらくすると人の良さそうな旦那さんが出て来られた。
にこやかに挨拶を交わし(こちらの姿と質問事項から既に笑っていたかもしれない)、
聞いてみると、やはり登り過ぎていたようで、林道とかはないようだ。
地図を書いていただき、御礼を言って去る。
川を渡り、山へと続く、道を登って行くと良い感じになって来た。
らしい、所から、かすかな道を行くが、どうも違う。
引き返し、逆方向に薮漕ぎするが、これ以上行けない。
第一、自分のいる場所が、参考文献の地図のどこなのか分らず、どうしようもない。
諦めて下る。古い看板にある、寺からの道はどうだろうかと、
近くを通ってみるものの、既にモティベーションは落ち、疲労していたので、
次の候補地へ行ってみる。
次の候補地は、山の麓から中腹、山頂に渡るものなので、
これからの天候などを考えると無理。まあ、偵察程度に行ってみるかと。
しかも麓までも見た感じ距離はあるようだ。
正確な道も分らずに吉井百年公園を通り過ぎて、
ひたすらアスファルトを登って行く。どうも、この先が正しいルートか分らず、
しだいに雨も降って来て、道路脇の渓流で水を飲んで引き返す。
アスファルト歩きのせいか、脹脛はかなり張った状態。
とりあえず、筑後吉井駅に向かう。吉井温泉に行くつもりだったが、
距離的な面で諦め、駅へ直行。次の便まで1時間以上もあったが、妥協して、待つ。
久留米駅乗換で、ダイヤの乱れのせいか、上りの電車が来ないようなので、
立ち食いうどん(かしわ)を食す。
電車が来たせいで、汁を最後まで飲み干せなかったのが、心残り。
彼ら(1コ下の世代)が卒業して、それ以来の対面。 誰かと違って、そんなに腹も出てないようだし、変わってない印象。 大学院生でも通用しそう。 進化した点は、社会人になり、さすがに、 ズボンの社会の窓がオートマティックではなくなったことか。
先発は昨年同様杉内。
これで観戦3回連続で彼が先発か。
始め良くても、体力が落ちると分らない投手だ。
試合開始から、杉内は三振をとるわ、松中、ズレータはホームランを撃つわで、
5-0。楽勝かと思われるものの、今年は中継ぎ、抑えがしっかりしてないけん、
先発の杉内がどこまで頑張れるか、中押しをいつとるかにかかる。
が、予想通りというか、杉内は疲労し出すと掴まり出し、6回にノックアウト。
ズレータのソロがあったものの、7回に逆転される始末。
その裏に松中のソロで同点に追い付くものの、
投手の駒から考えると勝負は見えていた。
9回に水田が2点を取られ、万事窮す。
こうサラリと書くと簡潔で良いが、
実際は四死球、残塁、投手交代の多い試合で、
4時間を越える非常に疲れる試合だった。footballだと2試合分以上。
水谷、平島-千代反田-藏田-アレックス、山形-米田-篠田-古賀、
福嶋-ベンチーニョ。
なんとか、仙台戦のショックもあったかなかったか、
前節の札幌戦は2-1で辛くも逃げ切ったらしい。
試合開始から仕掛けて来たのは湘南。ボールがよく動いていた。
が、決定機にまでは到らない。左WBの城定が怪我で外に出ている時に得た、
右からのFKを古賀が蹴ると、よく分らないまま[千代反田の頭を掠め]、
ゴールに吸い込まれ、最初のチャンスで先制した。
誰のゴールなのか分らなかった。流れの悪い時間帯での先制は大きかった。
その後、流れが一気に福岡に傾くわけでもなく、五分五分になりかけていた矢先、
右CKを古賀が蹴ると、これがそのままファーポストに当たってゴールイン。
ここから、福岡のやりたい放題になった。
右サイド、左サイドのディフェンスをかわして、クロスを放り込み、
その弾かれたボールを再びサイドへ、
と云う一連は福岡がやりたいことそのものであった。
唯一出来てないことと云えば、フィニッシュだけだった。
フィニッシュこそ1番大切であることは、
ここ2試合やこの試合の後半になって身に染みるわけだが。結局、
流れの中からは点が獲れず、2-0で前半終了。
前半のまま行けば、かなり楽な試合だったが、後半開始から雲行きは怪しくなる。
湘南が前半途中から3トップになったのもあったが、
ズルズルと福岡のDFラインが下がり出すと、
それに伴ない中盤も全体的に下がる。
すると、FWが孤立しだし、ボールキープもままならなくなる。
後半開始しばらくして、FW福嶋に代えて、長身(巨漢?)の増川を投入。
福嶋は納得できない様子でピッチを去った。増川は、
相手セットプレーへのマークの対応も兼ねていたようだ。
とにかく、我慢の時間が続く。が、30分に、やはりサイドから崩され、
ケアが甘くなったところを突かれ、元福岡のFW柿本にヘッドを決められ、
またもや1点差となり、前々節の悪夢への序曲が博多の森に鳴り出した。
とにかく、カウンターで点を獲ろうとするが、なかなか結び付かない。
途中で投入されたFW田中が相手DFパラシオスと競り合った時に、
パラシオスは足を痛めたらしく、3人既に交代していた湘南は、
10人になったばかりでなく、
守備の要且つセットプレーでのポイントゲッターまで失った。
この影響は、すぐに表れた。
増川が中盤でDFラインからのボールを受け取ると、
DFラインの間に絶妙なロングスルーパス。
これにドフリーでいたベンチーニョが余裕を持って、GKと1対1に持ち込み、
結局、先に動いたGKの負けで、
冷静にゴールへミドルを決めて、試合を決っした。
3点目を取ったことは、前々節、前節に比べれば、良いことだが、
もっと早く決めておれば、こんなに苦しむこともないだろう。
水谷、平島-千代反田-藏田-アレックス、山形-米田-篠田-古賀、
田中-ベンチーニョ。
満員キャンペーンの効果もあって観客の入りは良い。
ただ残念なのは、降り続く雨。
前半は一方的に福岡が押し込んだものの、シュートを打たせてもらえなかった。
それどころか、カウンターを喰らい、元福岡の中払にGKと1対1の局面を作られ、
ヒヤッとさせられた。
お得意のサイド攻撃が、雨のせいでパスが伸びすぎたりした影響もあって、
なかなか辛い状況ではあった。
後半になると京都は、良くも悪くもボールキープが好きな、松井を入れて来た。
これが、効を奏し、福岡はボランチまで対応せざるをえなくなり、
DFラインに吸収され、前線とのスペースが広まり、キープできずに、
京都の攻撃をまともに受けることになった。
京都は巧みにワンツーやドリブル突破を試み、危なくなり出した。
一方の福岡は長身の増川を入れて、前でキープし起点とすることを狙いとした。
ヘディングでは、ほとんど勝っていて、落としたボールをキープできた時のみ、
攻撃に移るという展開になった。
最大の見せ場は、京都が左サイドをオフサイドぎりぎり?で突破し、GKをおびき出し、
マイナスのパスを出した場面だろう。
そこには、ドフリーの田原がいて、ただ左足で合わせるだけで良かったのだが、
運良く決定機をはずしてくれ、事なきを得た。
これで流れが福岡に来るかと思われたが、
そのままスコアレスドローでホィッスルを迎えた。
J2では久し振りに味わうスリリングな緊迫した空気だった。
早くも梅雨入りかと疑いたくなるような天候。
よりによって週末を2週間連続で雨で潤すこともなかろうに。
こっちも雨で引き下がるのでは、九州男児の名がすたる。
使命や前世からの因果による宿命を感じて、雨の中強行軍で行くことにした。
雷以外ならOKである。
西小倉で乗り換え、日豊本線を下る。余り雨足も強くない。
今朝のラジオの天気予報によれば落雷に注意とのことで怯んだが、なんのことはない。
吉富駅で下車。以前の下見以来。
吉富公園や天仲寺公園を雨の中歩き回るが、ちゃんとした看板がない。
天仲寺公園には、そこそこの規模の古墳まであったそうだが、
それすら確認できなかった。
駅に引き返し、次の次の駅、宇島で途中下車する。
まず、宝福寺とつつじ公園を降りしきる雨の中散策してみるが、
確信できる物がない。満足できぬままに、南下。
すぐ近くにもう1つあると云う話だが、さっぱり分らず、予想通りの展開で諦める。
千束に向かう。
千束の"それ"はしっかりと豊前市による看板まであって、
安心と満足を味わう。味わい尽くした後、駅に引き返す。
駅前のどこを宇島鉄道が走っていたのか、よく分らない。
その道の人なら分るのか。
次の駅、豊前松江で途中下車する。駅員に途中下車できるかつっこまれるが、
学割と表記されている以上、100kmを越えるのだから、
それ自体で証明しているのではなかろうか。
実際100kmを越えているから、自信を持って、途中下車出来ますと言って通過。
降りしきる雨の中しばらく歩きバス停へ。
豊前市のコミュニィーバスが2、3分前に通過したはずだが、
歩いている時にその姿を見掛けなかったので、10分待ってみることにした。
すると、予想通り、定刻より7、8分遅れてやって来た。
バスとは云っても、バンだった。ただ普通のバンと違うのは自動ドアであること。
でも、これは最近の車ではありえるのか。
これに乗り込み、馬場で下車する。100円というのが嬉しい。
一緒に降りた、おば様に道を確認した。
この雨の中登るのかと少々呆れられたようだ。
さくら公園まで、小さく丸い石で覆われた歩きにくい道をひたすら登ると、
やや薮化した公園に到着。もちろん誰もいやしない。
が、"それ"の跡は、豊前市の看板の通りに綺麗に残っていて、
満足に値した。帰りのバスは、よっぽど遅れてくれない限りない。
急いで下ろうにも、小さく丸い石で覆われた道は雨のせいでバリバリ滑って、
ゆっくり下るので精一杯。案の定バスは去ったようで、
諦め、豊前松江駅まで歩く。たいした距離でもなかった。
再び、次の駅、椎田駅で途中下車。また、途中下車できるか、
駅員に確認される。こちらが自信を持って対応したためか、
駅員としても間違いは言えないので、「そうだよな、確認のためだよ」
という感じであっさりと通過させてもらう。
もちろん、途中下車は出来るのだが。
椎田駅から北上。役場前で親切な観光マップに好印象を抱いた。
だが、好印象が冷めるのも早かった。宇留津に行けども、碑が見付からず、
完全に通り過ぎ、今津まで行って、地元住民に確認して引き返し、
雨の降る滅多に人を見掛けない宇留津町内を怪しくうろちょろと。
諦めムード漂う中、グラインダーなどで工務中のおじさま達に聞いて、
"それ"を教えてもらい、やっとこさ発見し、感無量。
先程の役場まで引き返し、駅に戻らず、線路を越え、南下。
広幡山を目指す。道は地図と勘を頼りに。
途中まで行くと、"しいだ!"の看板にしっかりと広幡山城址公園と出ている。
後はこれに従うだけかと思いきや、
最後は、さっきの椎田町製の看板とは趣きを異とする手書きの看板になった。
その通りに行くと、看板なしでは分らないような所で、
公園なのに何も看板が出ていないどころか、なんか荒れ気味。
坂の手前が雨のせいで湿地帯となっていて、靴まるごと水に漬かった。
坂を登ると、ちんけな子供用の遊具1つほつねんとした、公園が。
椎田道路を造る時に、跡を完全に破壊したらしいが、
よりによって、手を加えてしまっている。それとは対照的に、
碑だけは立派だった。
唯一救われたのは、
公園とは反対側にあった長い距離の土塁が綺麗に残っていてくれたこと。
公園化するにしても、問題があるように思える。
第一あれじゃあ子供も来ないだろう。帰りも湿地帯で靴を完全に浸し、
元来た道を引き返し、椎田駅へ。相変わらず雨は止まない。
足はかなり来ているようなので、次の築城駅をラストにするか迷う。
築城駅下車。途中下車に、嫌な顔をされたような気がした。
寒田(さわだ)方面のバスの時間を今後のために下調べしておく。
最近、京築バスが廃線にしてどうなることかと思っていたが、
一応移管されたようで足が完全消滅してないことに安堵。
築城町役場まで歩く。市町村によって、
その規模や概観の違いが大きいことがよく分る。
役場そのものが"それ"の跡だが、文献通り何もない。
駅に引き返す。途中の唐揚げ屋の誘惑に負けそうになった。
築城駅から乗車し、苅田駅に降りリベンジを果たすかどうか悩んだが、
疲労から結局回避し帰宅の途に就くことにした。
水谷、平島-千代反田-藏田-アレックス、山形-ホベルト-篠田-古賀、
増川-ベンチーニョ。
試合開始から横浜は点を獲りに行くリスクを背負うよりは、
とりあえず守ってドロー、あわよくば1点獲って逃げ切る方針だったようだ。
前半はそんな横浜の狙い通りに進み、見どころもなく、0-0で終了した。
前半から福岡の生命線である左サイドを横浜は全くケアしてなかったが
クロスの精度やツメが甘く点に結び付かなかった。
後半になると、徐々に試合は動き出した。
しかし、山形や田中がフリーになるシーンがあったにも関わらず、決め切れず、
結局、スコアレスドローで終了した。
終了後、重っくるしい空気が博多の森に沈殿した。
9時30分までの受付のために早朝からの出発。
時刻やルートは昨年とほぼ同じ。
昨年の"バスのタップも上がるのが大変そうな走るつもりであろうおじいさん"
らしいおじいさんは、やはり田川後藤寺駅で一緒に下車したが、
昨年よりもバスの時間とのインターバルが短かかったせいか、
間に合わなかったようだ。海洋センターで下車。賑わってる。懐しい。
今回は表彰台を狙って参加したわけだが、
体育館には、速そうなランナーが少なくとも昨年よりは多く感じた。
走ってみないと分らないが。10kmのスタートは11:15やから時間はかなりある。
着替えて、ジョグをしに行き、南の方へコースの下見に走る。
やはり、予想した通り、油須原線の跡があった。
道路と化していたが、土の盛り方がいかにも線路跡らしかった。
今日のマラソンコースは添田線跡の道路であるから、フラット且つ直線。
暑いので適当にジョグをして再び会場に戻る。しばらく横になって半分寝かかる。
15分前にスタートの位置に行き、アップをしてゆっくりしていたら、
スタートラインに人だかりがしていて、先頭からだいぶ後ろになってしまった。
スタートしてから、周りに人が多すぎて、接触しながらも、なるべく前へ出ようと、
飛ばした。そのせいもあって、前へ出て、楽に走れるようになったが、
すぐにきつくなった。後ろから速い人らに抜かれたが、マイペース。
2.5kmの折り返しで、29歳以下で8位くらいであることが判明し、表彰台は諦める。
とにかく、雲一つない天気と暑さがこたえる。
自分の走りも出来ないままにスタート地点(5km)を通過し、
ここから先は昨年経験済みの区間に入る。7kmを過ぎた辺りで、
前を走るランナー達との差が縮み始め、7.5kmの折り返しまでの坂を利用して、
5,6人牛蒡抜き。さすがに直後に、その反動が来て苦しくなった。
残り8kmを過ぎた辺りで、後ろから来たランナーに一時は抜かれたが、
ネチネチと喰らい付き、こっちもやっと自分のペースになり、
一気に抜き、残り1kmを通過。ここからスパートしたかったが、
もうバテバテになっていて、
ゴール手前でもヘロヘロでスパートも出来ないくらいだった。
汗まみれになった体をシャワーで流し、着替えていたら、
初対面のおじさんから何故か板チョコ1枚を戴くことになった。
抽選会まで弁当と名物しじみ汁を食べ待つ。
抽選が始まり、これからの行程で大きくかさばる物が当たったら因るなと、
皮算用したものの、相変わらず、くじ運はなく、14時頃に抽選会が終わり去る。
Lap:3'41,3'49,4'21,3'47,4'01,8'00,3'49,3'51,3'22
昨年撮影に失敗した"それ"に行く。
昨年は薮化して放ったらかしという具合だったのが、
綺麗に刈られてあった。蚊に2、3箇所も献血しながら、撮影を終了し、
昨年発見出来ずに断念した"それ"を探す。
今任にある蛇面山は、昨年から発見はしていたが、その場所が分らない。
神社から強引に薮漕ぎしてみるものの、どうも違う。
怪しいと睨んでいた、もう1つのポイントからアプローチしてみると、
祠の横に石塁を発見。ここを強引に登り、尾根筋に出た。
また、"それ"の気配はなく、うろちょろとしていたら、
何やら文字が書かれてある石を発見。
まさに"それ"を示す、無縁墓だった。
辺りをうろつくと、確かに文献の通りの様子。
但し、東西南北が間違っていると思われる。
というのも、今回から小生のザックには、方位磁針を付けられたから、
方位は随時確認できるわけだ。惨々薮漕ぎして今更購入するのもなんだが。
鬼に金棒と云ったところか。
満足感に充ち溢れた状態でシャバに出て、大坂山を目指す。
まだまだ、その姿は遠くに見える。
勾金を右折して、柿下温泉麓へ。
温泉を上がって行くと良いようにガイド本にあったが、
工事中で、遠回りせねばならぬ。
時刻は16時近くなる中、迂回した途中の民家前で道を聞いてみる。
そこの主人によると、車で10分くらいで登山口に行けるそうだが、遠く、
車で送ろうかとの、甘い誘惑を。
正直乗りたいところだったが、歩かないと意味がないので、断わり、
30分くらいで登山口に着くだろうと強気な姿勢を見せる。
車道をひたすら犀川方面へ。途中、車とすれ違うだけで、入口の気配がない。
おまけに時刻も16時を過ぎている。
峠を過ぎて下り、やっと入口に着いたのが16時半を回った頃だった。
これから山に入るのも、なんだし止めようかと思ったが、
30分で登れるだろうと開き直り、歩き易い九州自然歩道を登る。
山頂まで1.7kmとのこと。
南東斜面からの道なので、山影になり、暗くなりそうで、
とにかくガンガン登る。途中の渓流で水分補給。
人に全く遇うことなく、登り続け、17時過ぎに山頂に到着。
電波塔の存在に、雰囲気を削がれるが、
北の障子ヶ岳から平尾台に連なる山々は綺麗に見渡せる。香春岳から北も見える。
山頂で3〜4分過ごして、すぐに元来た道を下る。
山頂から西へ続く道が多少気になったが。
とにかく日没前に車道に出たく、一気に下る。
また渓流の本流の方でたっぷりと水分補給。美味い。
17時半過ぎには車道に出られた。
が、これからが長い車道歩きでうんざりさせられる。
柿下温泉まで行き、次の列車の時刻まで、余り時間がなかったが、
汗を流すことにした。客が少なく、さっぱりとできて良かった。
高濃度天然ラドン鉱泉とのこと。"Rn"である。
柿下温泉口から乗車し、田川伊田で乗り換え、
さらに次の田川後藤寺でも乗り換え、新飯塚で乗り換え、帰宅。
唐津で用を済ませて、途中厳木に寄って、実家がある佐賀にまで行く予定を組む。
これを正直に行くと、JRのみを表記すれば、
姪浜-東唐津(720円)+東唐津-厳木(450円)+厳木-佐賀(540円)=1710円,
なぜか途中で降りた方が、直の、
姪浜-佐賀=1770円,
よりは安くなる。
しかし、ここで学生のみ有効な方法として、上記の姪浜-佐賀は89.3kmなので、
もう少し先まで伸ばして、
姪浜-吉野ヶ里公園だと101.2kmで、学割・途中下車可になる。
従って、姪浜-吉野ヶ里公園を買うと、
2070*0.80=1650円,
と1番安く、且つ、途中下車する度に切符も買い直す必要もなくなる。
今回はこの理論を実行した。
姪浜までは余裕で座れたが、終点のために下車し、
かなり大降りな雨を少し心配になりつつ眺め、唐津行きを待つ。
唐津行きは、俳句団体の御年輩方が占拠していて、
座れたのは到着10分前くらいだった。
東唐津で下車すると、馴染のCさんと再会。
アビスパの現状を深刻に話し合いつつ、会場へと歩く。
同時開催されているトライアスロンが、
一足先にスタートしていたらしく、最後のrunに入っていたようで、
歩いている途中に鉄人達とすれ違う。
会場は、「ここ2、3日前に草を刈ったばかりです」、
と言わんばかりの空き地で、受け付けを済ませ、
着替え用のテントも小さいので、外で着替えることにした。
天気は晴れ間がのぞいていたから問題はなかったが。
Cさんとのんびりとダベりながら、準備をし、アップをしに、スタート地点へ行く。
軽くアップし、10kmの部のスタートを見る。
スタートの瞬間は傍目から見ても、こちらを緊張させるものがある。
会場に戻り、最後の準備をして、
荷物を一応雨に備えて着替え用のテントに置いてから、スタート地点へと行く。
すると小雨が降って来て、Cさんと「ミスト状なら大歓迎ですね」と、
少しでも暑さを柔らいでくれる雨をありがたがる。
スタート地点に5分前に行くと、既に人だかりがしていたが、
まずまずの所のポジションを得た。
だが、スタート2分前くらいから様相が変わり、
雨粒が大きく、且つ、密度が高くなり出した。
さらにスタート直前には完全な土砂降り状態に。
スタートして、すぐに前の方に出る。
次第に呼吸がきつくなり、マイペースを維持しようと、若干スピードを落とし、
苦しい走りが続く。雨足は、相変わらず弱くならない。
息を吸う時に雨水が口に入るのが辛い。
まだカンカン照りよりはマシなのだろうが、快適でもない。
折り返してからも同じ状態のままで、少し脇腹痛を感じた。
なんとか、きつさを堪えて、最後の左折に出た。
前にいた、3人ばかりを、最後のランナーとは、手が接触して申し訳なかったが、
なんとかかわしてゴールした。
膝を痛めつつも走ることを止められないCさんを少し待ち、
着替えることに。雨足が、激しくなり、完走賞は濡れまくり。
おまけに着替えテント内は、狭い上に人が多く、サウナ状態だった。
汗を流しながら、なんとか着替えて、抽選会まで大雨の中、待機。
相変わらず抽選にははずれ、誰でも貰えた、餅を戴く。
雨足も弱くなり、Cさんと東唐津駅まで歩いて戻っていたら、
大会の送迎バスが途中で止まってくれ、乗せてもらった。
Lap:9'24,9'25
東唐津駅から唐津方面へ。唐津駅でCさんと別れ、唐津線(筑肥線)へ乗り換え。
厳木駅で下車。駅前には地図もなく、勘と記憶した地図を頼りに南下。
しばらく行くうちに、どうも間違っている気がして、派出所らしき所に入るが、
人がおらず。だが、そこに、まさに地図があったので、記憶して、去る。
何も悪いこともしてないが、後ろめたい気持ちを伴なった。
再び駅前を通過し、北上。厳木高校を過ぎた交差点で左折。
小さく古い看板があった。
少し行って、厳木道路への新道にぶつかり、道が分らなくなる。
記憶を元に、車道を登って行くと、運動公園に出て、間違いと判明。
引き返す。無駄なエネルギーを消費。
湿度が高く、且つ、陽が照って、余計にうんざりさせられる。
厳木道路の下を通って、そのまま直進。現地説明会の看板が出ていた。
すごく蒸し暑い中、アスファルト道を標高を上げて行く。
しばらく歩いて、手掛りにしていた鶴田神社に着く。
階段を登ってみて、様子を見て、すぐに下り、目的地へ。
最後もちゃんと看板が出ていて、
つづら折りの道を汗をダラダラ流しながら、上がりきる。
駐車場に出ると、現地説明会のテントが出ていて、
記名し、紙製のパンフレットを戴く。
予想通り開始の14時に間に合いはしなかったが、
とりあえず本丸へ行けば、まだ間に合うとのこと。
今回は偶然にも唐津に行くついでに、ここを予定していたら、
現地説明会があるとの情報を2、3日前に手に入れていたので、
多少の期待と(不安でなく)恐怖が入り混じった気持ちで現地に立った。
規模が大きく残存状況に秀でた遺構に、思わずため息を洩らしつつ、
本丸へと標高を上げて行く。と、本丸前では、
すでに青いシートをかぶせているところで、その下を見られなかった。
とりあえず、碑を撮影し、その向うで説明している様子なので、
汗を拭き拭き、そちらへと忍び寄る。
10人ちょいの人がいて、60代と20〜30代の人に偏っていたようだ。
同業者をまともに見るのは初めてなので、かなり恐かったが、
だいたい予想の域だった。
自分も、傍目から見ると同じ域に入っているのであろうが。
一通り服装等を見たところ、薮漕ぎして探索しているような人は、
1人ぐらいだっただろうか。説明をしてくださる研究員?の方を除けば。
ただ陽にタオルを持っている人はいなかった。
その分、自分が薄汚く感じられた。
Northfaceを着ていたおじさんには、正直、「やるな」、と直感的に感じた。
説明している間に、熱心に聞いている人もいれば、
落ち着きなく、動き回ったり、
撮影していたり人がいてと、見ていて面白かった。
こちらも対抗して撮影だけはした。
ここでの説明が終わり、全ての説明が終わったようで解散となった。
研究員に質問している人や、うろちょろとしている人がいたが、
徐々にみな下っていったようだ。
小生もまだ行ってないエリアを丹念に見て廻った。
本丸直下の旧虎口のところに空洞があるようで冷たい空気が流れていた。
元来た道を引き返すと、同じようにうろちょろ探索している同業者を見て、
競争心をあおられた。
堀切を越え、北三の丸を見て、見たところ登り口のなさそうな、
二の丸をターゲットに。誰も登ってまいと。
とりあえず、登れそうな崖を見付け、岩や木々を頼りに強引によじ登る。
上がってみると、薮化していて、いまいち遺構ははっきりしなかったが、
優越感で十二分に充たされた。まず、年輩の人は無理だろうし、
若者でも、まず好きこのんで登りはしまい。
三の丸も丹念に見て、入口まで下ると、テントには誰もおらず、
出丸に行ってみると、青いシートをかけて、まさに片付け中だった。
それでも中に行けて、研究員の方にマンツーマンで説明もしてもらえた。
おまけに少し質問なども。貴重な体験だった。少し緊張した。
二の丸等は今後発掘調査するとのこと。
駅まで元来た道を歩き、駅に着く前に列車が去って行くのが見えた。
直線道路で行き違いのために少々停まっていたのが、
どう考えても間に合わない距離だったので、動いて去って行く瞬間は恨めしかった。
温泉行きを諦め、無人駅のホームで上着を着替え、うたたね。
約1時間待ち、途中乗車して佐賀駅まで。