美濃・飛騨1



郡上八幡城岐阜城大垣城加納城曽根城

郡上八幡城


郡上市(旧八幡町)【最寄り駅】長良川鉄道郡上八幡駅

遠藤氏の居城。
当日は、弱い雨が降っていた。
ただ、ここにいた時点で持参金が千円を切って いたことには、ヒヤヒヤさせられた。


岐阜城


岐阜市【最寄り駅】東海道線岐阜駅・名鉄本線・各務原線新岐阜駅

斎藤道三、織田信長の居城として有名。信長が統治後、岐阜と命名。
ロープウェーの料金をけちって、登り初めたのがクセになるとは。


大垣城


大垣市【最寄り駅】東海道線大垣駅

関ケ原の戦いの時、西軍の前線基地となったが、憐れかな、石田三成は 東軍の誘いに乗って、関ケ原に陣を敷くはめになった。


加納城


岐阜市【最寄り駅】JR東海道本線岐阜駅

土岐持益家臣斎藤利永が土岐氏の革手城を守るために築城した。 その後、土岐氏は内部抗争となり、天文7年(1538)斎藤道三が宗家を嗣ぐに及び、 廃城となった。
その後、関ケ原で勝利した家康は、 慶長5年(1600)本多忠勝に命じ、岐阜の本拠を岐阜城から移し、 築城させた。奥平信昌が初代城主となり、その後、大久保氏、 戸田氏、安藤氏、永井氏と続き、明治維新を迎えた。
現在、本丸の石垣や土塁などが残っている。 また発掘調査では、斎藤氏時代の遺構も出土した。


曽根城


大垣市

稲葉通貞が文亀元年(1501)に築城したともいうが定かでない。 その後、孫の一鉄、その孫の典通まで城主であったが、 天正16年(1588)に西尾光教が2万石で城主となり、関ケ原の戦いでは東軍に属した。 関ケ原の戦いの後、揖斐城に移り、廃城となった。(現地案内板、『岐阜の山城』より) 尚、稲葉一鉄の家臣であった、斎藤利三が住んでいた所で春日局の生誕地となっている。
現在は、本丸が華渓寺となっており、一段高い所にある。 裏手には本丸跡石垣の案内板があり、平成元年に石垣と石敷遺構が発掘されたとある。 当時の物か分らないが池も残る。

華渓寺 石垣 横から

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