越前・若狭3



府中城金剛院城新善光寺城湯尾城燧ヶ城

府中城

M35.54'12''88, E136.10'04''26
越前市(旧武生市)【最寄り駅】JR北陸本線武生駅

文明年間に朝倉氏により築城されたという。 その後、前田利家が拡張した。その後、丹羽、木村、堀尾氏が入り、 江戸期に本多氏の居城となった。
現在の越前市庁舎(旧武生市庁舎)で、何も残っていない。


金剛院城

N35.54'20''14, E136.09'38''67
越前市(旧武生市)【最寄り駅】JR北陸本線武生駅

青木紀伊守重治の城。府中城主、本多富正により金剛院が再興された。
土塁の跡が残るらしいが、墓場にそれらしき物があるが、それと認識できなかった。 見逃したのだろうか。


新善光寺城

N35.54'09''83, E136.09'50''48
越前市(旧武生市)【最寄り駅】JR北陸本線武生駅

南北朝の頃に北朝方である斯波高経が築城した。延元元年(1336)南朝方の瓜生保に落城されたが、 すぐに奪回したが、再び、新田義貞との戦いに敗れた後、新田軍に奪われた。 新田軍がいなくなった後、貞治5年(1366)に浄土宗の良如により、正覚寺が建立され今に至っている
現在、土塁だけが、境内の北部に残っている。


湯尾城

N35.47'16''68, E136.11'51''42
南越前町(旧今庄町)【最寄り駅】JR北陸本線今庄駅

寿永2年(1183)に木曾義仲勢が陣を布いた。その後も、瓜生氏や一向一揆勢が拠った。
北陸街道の湯尾峠に位置するという点で重要な城であったようだ。 遺構は、峠から本丸にかけて急斜面でそれらしい気配があり、 本丸は細長い曲輪であったようだ。規模はさほど大きくないように思える。


燧ヶ城

N35.46'08''01, E136.11'48''89
南越前町(旧今庄町)【最寄り駅】JR北陸本線今庄駅

木曾義仲が仁科守弘と齋明威儀師に築城させ籠らせたが、齋明威儀師が平家に内通し落城した。 その後、今庄入道浄慶が足利方として拠り、杣山城の瓜生氏に対抗した。 戦国期に下間頼照率いる一向一揆勢が籠ったが、信長軍に落城された。
現在でも石塁や堀切の跡が残っている。街道沿いの重要な位置を見下ろせる城で、 重要な拠点であったようだ。



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