詳らかな歴史については他サイトを参照されたし。
金ヶ崎城から尾根伝いに行ってみたが、三角点のある地点から曲輪の跡らしい平坦地が、
数段あるくらいで、明確な遺構は見当たらなかった。
大谷吉継が天正13年(1585)に入城する。元和2年(1616)に廃城となり破壊された。
その当時の礎石(画像右)が1つ真願寺に残っている。
慶長6年(1601)から京極高次が築城しはじめ、その子忠高の後、
藩主となった、酒井忠勝が寛永15年(1638)に天守閣を築いた。
その後は、明治維新まで酒井氏の居城。
現在は、城内に酒井忠勝を祀った小浜神社があり、
河川拡張のために本丸のみ石垣とともに残っているだけである。
大永2年(1522)に武田元光が築城した。3代の後、元明の時、
朝倉義景に落城された。その後、丹羽長秀が城主となり、石垣を積んで補修した。
その後、浅野長吉、木下勝俊、と続き、関ケ原後に入った、京極高次がここを廃城し、
小浜城を築城した。
現在は、麓から登って行くと、曲輪が10数段あることが分る。
本丸から先には堀切もある。西側斜面にも曲輪があったようだが、確認していない。
砕導城の逸見昌経が武田氏の内紛に乗じて、叛旗を翻したが、朝倉武田軍に敗れ、
高浜城を築いた。天正9年(1581)に落城されてからも、
酒井氏が小浜藩主となるまで、存在していたという。
スキューバダイビングに格好の地らしく、ダイバーや釣り人が多い。
本丸周辺は、公園化され、アンテナとかある。
本丸直下に石塁の跡なのか、残っている。その当時、石塁を使った築城をしたのかは疑問が残る。
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