越前・若狭2



天筒山城敦賀城小浜城後瀬山城高浜城

天筒山城

N35.39'41''33, E136.04'53''82
敦賀市【最寄り駅】JR北陸本線敦賀駅

詳らかな歴史については他サイトを参照されたし。
金ヶ崎城から尾根伝いに行ってみたが、三角点のある地点から曲輪の跡らしい平坦地が、 数段あるくらいで、明確な遺構は見当たらなかった。



敦賀城

N35.39'19''30, E136.03'47''73
敦賀市【最寄り駅】JR北陸本線敦賀駅

大谷吉継が天正13年(1585)に入城する。元和2年(1616)に廃城となり破壊された。
その当時の礎石(画像右)が1つ真願寺に残っている。


小浜城

N35.30'13''71, E135.44'45''70
小浜市【最寄り駅】JR小浜駅

慶長6年(1601)から京極高次が築城しはじめ、その子忠高の後、 藩主となった、酒井忠勝が寛永15年(1638)に天守閣を築いた。 その後は、明治維新まで酒井氏の居城。
現在は、城内に酒井忠勝を祀った小浜神社があり、 河川拡張のために本丸のみ石垣とともに残っているだけである。


後瀬山城

N35.29'19''11, E135.44'20''39
小浜市【最寄り駅】JR小浜駅

大永2年(1522)に武田元光が築城した。3代の後、元明の時、 朝倉義景に落城された。その後、丹羽長秀が城主となり、石垣を積んで補修した。 その後、浅野長吉、木下勝俊、と続き、関ケ原後に入った、京極高次がここを廃城し、 小浜城を築城した。
現在は、麓から登って行くと、曲輪が10数段あることが分る。 本丸から先には堀切もある。西側斜面にも曲輪があったようだが、確認していない。



高浜城

N35.29'46''74, E135.33'05''73
高浜町【最寄り駅】JR若狭高浜駅

砕導城の逸見昌経が武田氏の内紛に乗じて、叛旗を翻したが、朝倉武田軍に敗れ、 高浜城を築いた。天正9年(1581)に落城されてからも、 酒井氏が小浜藩主となるまで、存在していたという。
スキューバダイビングに格好の地らしく、ダイバーや釣り人が多い。 本丸周辺は、公園化され、アンテナとかある。 本丸直下に石塁の跡なのか、残っている。その当時、石塁を使った築城をしたのかは疑問が残る。




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