朝倉氏滅亡後、柴田勝家が新たに現在の福井を作った時に築いたのが、
この北ノ庄城。その後、賎ヶ嶽の戦いに勝利した秀吉軍に落城され、
勝家とお市の方は果てた。
現在は福井を開いたことで柴田神社として祭られている。
家康の次男、松平秀康(結城秀康)の越前藩の本城。
天守閣は江戸期に火災で燃えてしまい、再建を許されなかった。
その後にあった地震で石垣が崩れていることが、↓の画像からも分る。
朝倉氏の100有余年の本拠地。大規模な城下町が形成された。城山も存在するが、
専ら麓の居館で政務は執られた。
下城戸、上城戸など狭くなった地に砦を築いて、守りを固めた。
また、公家風の寝殿造りの屋敷に庭園などが存在した。
現在は武家屋敷が再現され、まだまだ発掘されており、今後の状況が注目される。
日本で最も古い天守閣。柴田勝家の甥である柴田勝豊の居城。
戦前は国宝となっていたが、震災で倒壊して、その後、再建され、
重要文化財となっている。
新田義貞が尊良親王と恒良親王とここに拠った。高師泰に攻められ、
落城し、尊良親王、新田義顕は戦死した。その後、戦国時代に、
朝倉氏の居城となり、信長軍に攻められ、
手筒山城ともども落城した。
現在は、金ヶ崎神社が建っているが、遺構は比較的はっきりしている。
堀切が3つ残っており、そこで激戦があったとか。
雨の日没前で画像が鮮明でないのが残念。
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