鎌倉時代の大友氏の居城といわれる。その後。龍造寺氏、三池氏の居城
となる。
現在はみかん畑や民家となり地蔵が13体祭られてある。
曲輪の跡などはしっかりと残る。
また東側に大堀切がある。
津村氏の居城。
現在は若宮八幡宮となっている。
遺構ははっきりしないが、今でも付近をクリークが流れ、
神社が城台の跡であることが偲ばれる。
西牟田家周が築城。島津氏の侵攻の前に落城し、肥前に逃亡。
その後、立花氏が柳川に入った際に家臣薦野増時が入城。関ケ原後、
田中家家臣宮川氏が城代となったが、田中家の改易とともに廃城。
現在は天満宮と小学校になって礎石が1つ残る。
江上武種の居城。落城後、龍造寺氏に従う。
現在の松林寺付近である。
碑が立つ場所が櫓のあった場所か、こんもりとしている。
江上忠種(武種の弟)の居城。
若宮八幡となっている。遺構は特にない。
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