豊前4



小倉城障子ヶ岳城香春岳城鎮西原城戸代(城)山城

小倉城


北九州市【最寄り駅】JR鹿児島本線西小倉駅

関ケ原の合戦後に細川家が城主となり築城した。 その後、細川家が肥後熊本に転封後は小笠原家が入り幕末を迎え、 第2次長州征伐の際に坂本竜馬も参加していた長州藩の攻撃におびえ、 城に火を自ら放ち逃げた。最近、西側から戦国期の土塁跡等が発掘された。

小倉城天守閣1 小倉城天守閣2 戦国期のもの

障子ヶ岳(牙)城


勝山町【最寄り駅】JR日田彦山線採銅所駅

足利尊氏の命令により築城された。 その後、大内・大友氏の間でこの城をめぐり激しい戦いが行われた。 秀吉の九州征伐の際に黒田孝高のものになり、秀吉も滞在したとか。
現在は障子ヶ岳の頂上にあり、 「障子ヶ岳の城攻め」なるボランティア清掃活動のおかげで、 その遺構がはっきりとしている。 本丸、二の丸、馬場、北の丸、出丸からなり、土塁や堀切の跡もある。 また、障子ヶ岳稜線沿い(味見峠方向)にも砦の跡があるようだが、 宮原方面からにも、それらしい跡があった。 また、その麓には屋敷跡らしき箇所もあった。

障子ヶ岳遠景 障子ヶ岳北の丸 障子ヶ岳本丸

香春岳(鬼ヶ)城


香春町【最寄り駅】JR日田彦山線香春駅

藤原純友の時に築城されたと云う。 その後、香春岳城は、場所柄、この地域の重要な拠点となった。 高橋氏の居城の時には戸次鑑連(立花道雪)に落城された。 その後、再び高橋氏が城主となり、秀吉の九州征伐の際にも落城された。 関ケ原後は小倉細川家の支城が置かれ、現在跡が残る位置に城が築かれたが、 一国一城で廃城となった。
江戸期前は一の岳、二の岳に居城があったようだが、 一の岳は最早5合目辺りまでしか存在せず、立ち入りも許されない状況である。 二の岳にも立ち入れない。 細川時代の遺構は須佐神社から登り口がある。 一の丸、二の丸、三の丸、天主台跡があり、堀の跡もある。 尚、天主台に行く時は一の丸経由でしか行けなくなっている (三の丸からの道は竹が生い茂り途中までしか行けない)。

香春岳城1 香春岳城天主台 須佐神社

鎮西原城


香春町【最寄り駅】平成筑豊鉄道勾金駅

鎮西(源)為朝がここに屋敷を構えた。
現在は田川農林高校になっている。

鎮西原1 鎮西原碑よく読めない

戸代(城)山城


赤村【最寄り駅】平成筑豊鉄道油須原駅

南朝方の菊池武重が築城。その後、麻生氏、西郷氏、小早川氏。 秀吉の九州征伐の際に香春岳城落城後に、 黒田長政に城主馬屋原元有は許しを請うが、許されず、 黒田孝高に攻められ、自害して、落城した。
最近までアスレチックを売りにした公園だったようだが、人気がなく、 整備されなくなったようで荒廃し、かえって落城した城の雰囲気がある。 本丸、二の丸、土塁、堀の跡がある。

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