豊前(福岡)14



下川底城薬師寺城緒方城観音寺城城山遺跡群

下川底城(海老名城)

豊前市

岡城主の城井弥七郎知房の家臣、遠藤源兵衛が城代だった。 天文14年(1545)宇都宮正房により築城され、如法寺の座主が城代を勤めた。(現地説明板より)
貴船神社を中心に北に岩岳川、南に佐井川が流れる、南北ともに崖の突端部に位置する。 東側は堀切橋という名の沈下橋がある。 一方、貴船神社の西側には堀切の跡があり、その西側は耕作地となっているが、 空堀の跡のような断面が確認できるが、後世のものかどうかは定かでない。


薬師寺城

豊前市

応永の頃(1494〜1528)に、大友氏の幕下、薬師寺山城守がいた。(福岡県の城より)
豊前城跡マップ(豊前市役所)によれば、柵列の跡が発掘されたとあるが、 現在岩岳川の南側、宗像神社と寺院となっていて、遺構は残ってないようである。


緒方城

上毛町(旧新吉富村)

代々緒方氏の居館であった。 宇都宮氏家臣の緒方帯刀、緒方刑部がいたが、天正15年(1587)黒田勢に落城された。(福岡県の城・福岡県中近世城館跡IIIより)
緒方集落の南側にあり、土塁と空堀が南側に残る。東側にも土塁らしい跡もある。 中は畑となっている。


観音寺城

福智町(旧赤池町)

秋月氏家臣の狩野宗印の居城だった。天正3年(1575)鷹取城主の森(毛利)重実が攻めたが、追い返した。 (福岡県の中近世城館跡IIIより)
興国寺横の小山で、北東部から登れる。 北東から南西の尾根上にあり、削平面があり、浅くなっているが、堀切が1条残っている。


城山遺跡群

福智町(旧金田町)【最寄り駅】平成筑豊鉄道金田駅

国指定の横穴墓群の調査中に城跡としての存在が明らかになった。(福岡県の中近世城館跡IIIより)
横穴墓群からは裏側の東から登れそうに見えたが、大庄屋の六角家の敷地だったようで入る道がなく、 遠めに眺めることしかできなかった。 北と南に堀切のような物は確認できるのだが。




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