豊前10



那岐野城毘沙門城神楽城小敷城寒竹城

那岐野城


金田町【最寄り駅】平成ちくほう鉄道糸田線豊前大熊駅

懐良親王の豊前に侵入の際に持尾氏に守らせたという。 その後、大友氏家臣麻生弾正隆明がここに築城し守った。 しかし住民との諍いから居城を捨てた。
現在は碧巌寺の裏手にある山で、墓地となっている。 本丸は墓地の最高地点だそうで、南側に堀らしい跡がある。 また南側と東側には曲輪の跡らしき構造が残る。 北に道路を挟んで、那岐野城の曲輪跡といわれる、墓地がある。

堀と土塁1 堀と土塁2 碧巌寺サイド

毘沙門城


犀川町【最寄り駅】平成ちくほう鉄道田川線犀川駅

宇都宮信房が神楽城の出城として築いた。 神楽城の鬼門(北東)にあたる、 この地に毘沙門天を祀ったのが名の起こりと云う。
現在は、今も本丸跡に毘沙門天が祀られてある。 本丸から北西にある曲輪には大堀切を設けてある。 その北西の曲輪跡は墓地となっているが、2条の堀切は綺麗に残っている。 北に虎口があるとのことだったが、よく確認できなかった。

毘沙門城本丸 毘沙門城大堀切 毘沙門城堀切 毘沙門城

神楽城


犀川町【最寄り駅】平成ちくほう鉄道田川線犀川駅

神功皇后がここで神楽を奏したことから、名付けられる。 鎌倉幕府開府の際に頼朝に豊前の地頭として宇都宮信房を置く。 その際に、この神楽城が、その後本拠を萱切城に移るまで 代々宇都宮(城井)氏の本城となった。
木井神社から登山道が続く。夏場故か途中、道が薮化していた。 頂上が本丸跡だそうだが、 草が繁茂しまくり、おまけにブヨらしいのがいて、確認は容易でなかった。 登山道から本丸の手前に堀がある。 東側に畝状竪堀があったらしいが、薮とブヨのために未確認。

神楽城本丸 神楽城堀1 神楽城堀2 神楽城遠景

小敷城


北九州市若松区【最寄り駅】JR鹿児島本線折尾駅

文献や地図にも載っておらず、 麻生氏の端城もしくは郷城らしく、はっきりしない。
学研都市に伴う、開発で発掘されたらしく、その後、宅地として消滅するようだ。 小規模な城址で、発掘物の少なさからも臨時的な砦的な城郭ととらえられている。 堀切と曲輪構造がはっきりと残る。

小敷本丸 小敷登り口 小敷曲輪 小敷堀切 小敷遠望

寒竹城


北九州市

鎌倉時代初期に門司親房が築城。 碑の裏には、建長7年間の後、康元・正嘉の頃にも 門司氏により築城されたと見える。
現在、九州自動車道の上り線側の吉志SAの建物裏にある。 深夜に行ったために遺構はさっぱり掴めなかったが、 ほとんど残っていないと云う。

寒竹城碑表 寒竹城碑裏

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