築城年代、城主も不明。
辛垣城の出城で、ここを東木戸と称し、三田氏の部下が守っていた所と伝わる。(大系より)
また「多摩丘陵の古城址」によれば、三田氏滅亡後は北条氏が武田氏に備え、改修したと推測している。
民家脇の山へ向かう道を入って行くと、藪の中に空堀がある。
空堀と土塁は良く残っている。
武蔵七党の一つ西党の庶流二宮氏の城であったが、その場所は定かでなく諸説あるらしい。(大系より)
大石氏の城館の可能性がある。二宮神社の東側から14世紀の豪族の居館跡が発見されている(二宮神社説明版による)
以前碑があった場所は住宅地で撤去されたらしい。
二宮神社付近は若干雰囲気はあるのだが。
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