駿河・遠江・伊豆1



興国寺城沼津城駿府城久能山城田中城

興国寺城


沼津市【最寄り駅】東海道線原駅

伊勢新九郎(後の北条早雲)が始め、今川家から与えられた城。 鳥谷に興国寺を移して築城した。 早雲はここを根城として関東の方へ進出していった。 その後、今川氏の持ち城となり、重要な位置を占めた。 が、永禄11年(1568)武田信玄が駿府を落とした際に、 北条氏邦がここを確保した。その後、武田氏と北条氏の協定があり、 武田氏の属城となった。天正10年(1582)に武田氏の滅亡の際に、 城主曾根正清は家康に降伏し、牧野康成が城主となった。 さらにその後、松平清宗が入り、山口直友が入った。 天正18年(1590)家康が関東に行った後、 中村一氏家臣川毛重次が城主となった。
関ケ原の戦いの後、天野康景が1万石で城主となったが、 除封となり廃城となった。


沼津城(三枚橋城)


沼津市【最寄り駅】東海道線沼津駅

築城の時期は正確には知られていない。 が、元亀元年(1570)頃には武田氏の属城であった。 北条氏の戸倉城と度々小競り合いがあった後、 天正10年(1582)武田氏の滅亡で家康家臣松平康親が入った。 天正18年(1590)北条氏の滅亡後、中村一氏の弟氏次が3万石で城主となった。 関ケ原の戦いの後、大久保忠佐が入ったが、 慶長18年(1613)忠佐は没っし跡継ぎなく除封となり、翌年廃城となった。
その後、天領となっていたが、安永6年(1777)水野忠友が築城した。 明治維新まで水野家が続いた。
現在は石碑しかない。 三枚橋城の頃から狩野川を南端としており、 江戸中期の規模は戦国期の物よりも小さかった。


駿府城


静岡市 【最寄り駅】東海道線静岡駅

家康が大御所となって、住んだ城。今は家康の像も立つ。


久能山城


静岡市【最寄り駅】東海道線静岡駅

武田信玄の頃、武田家が徳川家に対して持っていた城。
今は徳川家康の遺言により、久能山東照宮がある。2回も、 ここへ足を運んだが、未だに入ることが出来ないでいる。


田中城


藤枝市【最寄り駅】東海道線西焼津駅

家康はここで、茶屋四郎次郎(2代目?)のもてなしで、鯛のテンプラを食べ、 腹痛を起こし、そのまま駿府へ運ばれたが、そのまま帰えらぬ身となった。 一緒にスイカを食べたかどうかは不明。
ここ田中城は日本でも珍しい、円状の堀に囲まれた城である。本丸跡は、 小学校にあるよう。



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