武蔵(埼玉)2



岩槻城松山城足利政氏館寿能城滝の城

松山城


吉見町【最寄り駅】東武東上線東松山駅

上杉氏の城であったが、北条氏・武田氏の前に落城。 遺構は堀や土塁の跡がはっきりと残っている。
古代人の住居跡である"吉見百穴"のすぐ近くにある。


岩槻城


さいたま市(旧岩槻市)【最寄り駅】東武野田線岩槻駅・東岩槻駅

太田氏が築城。 現在は岩槻公園になっている。


足利政氏館


久喜市【最寄り駅】JR東北本線久喜駅

古河公方足利成氏の嫡男政氏が、その嫡男高基と争い、 最終的に高基が実権を握り、政氏は和解し、 享禄4年(1531)に亡くなるまでここにいた。 永正16年(1519)に館を永安山甘棠院として開山した。
現在は甘棠院の境内が城址で、山門の前に「L」字の空堀が残っている。 土塁も残っているということだが、 中に入れないエリア(甘棠院の北)にあるようである。

空堀 甘棠院

寿能城


さいたま市(旧大宮市)【最寄り駅】東武野田線大宮公園駅

岩槻城主太田資正の4男潮田出羽守資忠が築城した。 が、天正18年(1590)の秀吉の北条征伐の際に、岩槻城と共に落城した。
現在は、大宮公園の近くに石碑が立ち、少し行くと寿能公園があり、 城址とされているが、遺構は何もない。

石碑 寿能公園

滝の城


所沢市【最寄り駅】JR武蔵野線東所沢駅・新座駅

八王子城城主の北条氏照の支城で、天正18年(1590)の秀吉の北条征伐の際に、 八王子城落城の前後に同様に落城したと想像される。
現在、柳瀬川を見下ろす高台に城址は残る。 城山神社のある曲輪を中心に空堀がよく残っているが、 他の曲輪は薮化している。

土塁 空堀 空堀・土塁

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